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  • 勧学会に結衆した僧について

    久保田 實 印度學佛教學研究 71 (2), 540-543, 2023-03-22

    <p>Research on the Kangakue 勧学会 has focused on middle-class aristocratic bureaucrats, but work on the Buddhist monks who participated in the Kangakue is scarce. It was young Buddhist monks from …

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  • 古代・中世移行期における天皇の変質

    井上 正望 史学雑誌 130 (4), 38-63, 2021

    ...そして村上天皇による母藤原穏子に対する服喪時に、清涼殿で「尋常御簾」を使用したことが、倚廬で服喪・忌み籠りしていて清涼殿に不在という天皇の個人的側面を「隠蔽」し、天皇は表向き清涼殿にいるとみなす「如在」の一形態であり、天皇機関化作法であることを述べる。これは、天皇の相対的な個人的側面を「隠蔽」し、機関化され表向き服喪することがない形式的ながらも絶対的な側面を維持する方便である。...

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  • [研究ノート] 延喜太政官式に見える挿頭花について : 挿頭花装飾の位置

    永島, 朋子 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 218 183-204, 2019-12-27

    ...そして、『政事要略』所引西宮記本文が『西宮記』を著した源高明が大納言として習得した村上天皇の天徳・応和年間(九五七~九六三)までの様相を伝えていることから、この段階までには挿頭花装飾の序列と装飾者の固定化が生じていることを確認した。定考は、天皇の出御が見られないとはいえ、天皇の官制大権に関わる儀式でもある。...

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  • <研究論文>『風姿花伝』神儀篇の成立経緯と著述の意図 : 「申楽」命名説を軸として

    重田 みち 日本研究 = NIHON KENKYŪ 58 51-79, 2018-11-30

    日本中世の能楽論書『風姿花伝』五篇のうちの神儀篇は、能楽史研究をはじめ藝能史・説話史研究、民俗学等の資料として注目されてきた。しかし、その成立時期や著者を純粋に世阿弥と見てよいかどうか等、文献学的な問題が多く積み残されている。また、同篇は従来、既成の伝承を比較的素朴に綴った猿楽伝説と見られ、その著述に世阿弥の特別な意図がなかったかどうかなど、伝書としての性格や史料論的な観点に注目した検証は行われ…

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  • 村上天皇御集」の性格/斎宮女御徽子女王との関わり

    SUMIDA Hiroko, 角田 宏子 芸術工学2014 2014-11-25

    ...村上天皇は、文学活動を盛んに行なった平安時代前期の天皇であり、現存する「村上天皇御集」には、後宮の女御や更衣たちと詠み交わした歌が収録される。村上天皇の妻室は、十人以上知られるが、この歌集の半数以上を占めるのは、斎宮女御徽子女王との贈答歌である。徽子女王には別に、複数の本で伝わる「斎宮女御集」があり、「村上天皇御集」の歌とも重複している。...

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  • 新出『河海抄』の解題と翻刻 (その1)

    安永 安永, 中村 祐美, 小坂部 悟美, 黒川 悦子, 飯塚 ひろみ, 吉海 直人, YASUNAGA Miho, NAKAMURA Yumi, KOSAKABE Satomi, KUROKAWA Etsuko, IIZUKA Hiromi, YOSHIKAI Naoto 同志社女子大学大学院文学研究科紀要 13 53-70, 2013-03-29

    ...特に、本報告で扱った「料簡」はその性格が強く、「いづれの御時にか」で繙かれる『源氏物語』の虚構世界を「醍醐・朱雀・村上天皇」の三代の御代に設定し、主人公光源氏の解釈も実在の歴史上の人物に依ることで、新たな『源氏物語』の読みを展開している。こういった視点は原典をより深く読むための手掛かりとなる。  ...

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  • <研究ノート>伊勢神宮の選定に関する小考

    板倉 則衣 日本研究 42 123-167, 2010-09-30

    伊勢神宮は、天皇の即位ごとに天皇の皇女(内親王)または女王が選ばれ、伊勢神宮に奉仕した。こうした斎宮制度は、天武天皇の大来皇女がはじまりとされ、中断される時期はあるが、後醍醐天皇の祥子内親王までの六六一年間続けられた。

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  • 長慶天皇の文学環境(<特集>中世文学を生み出す環境)

    深津 睦夫 日本文学 58 (7), 13-21, 2009

    ...その結果、長慶天皇の周辺に存したのは三代集や源氏物語等のごく限られた「古典」だけであり、それらに関して父後村上天皇や二条為忠の教えを受けたと推測されるが、さらに独力で作品を深く読み込んで、独自の境地をも築いていたと考えられる。...

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  • 真名鶴神話と伊勢神宮の祭祀構造

    藤森 馨 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 148 73-83, 2008-12-25

    ...こうした火鑚を行って鶴が守護した稲を炊飯する儀を忌火といい、宮中の忌火御饌の起源であると神祇官より村上天皇に上奏されたのである。すなわち、この神話伝承によれば、宮中の忌火御饌は、伊勢神宮内宮の由貴大御饌神事と不可分な関係があるという。...

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  • 産養と王権 : 誕生儀礼と皇位継承

    服藤, 早苗 埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 3 184(1)-169(16), 2003-12-01

    ...十世紀中期に村上天皇と女御藤原安子との間に誕生した憲平親工に対して、天皇は過分の給物・鰹等のモノや乳母等のヒトを賜与する。誕生から七日間の御湯殿儀、第一日から奇数日に饗宴を張る産養等の産育儀礼が安子の父右大臣師輔の指揮のもとで盛大に行われた。憲平親王は三ヶ月後に東宮に立てられるが、壮年の村上天皇と国母太皇太后穏子によって決定されたのであり、兄朱雀上皇は皇位決定から排除された。...

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