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検索結果 52 件

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  • 大釈同異論再考

    別所 弘淳 智山学報 69 (0), 411-428, 2020

    ...従来、台密は大釈同体、東密は大釈別体を主張するとされてきた。</p><p> しかし、東密諸学匠の記述を改めて精査してみると、従来言われていていた、「東密は大釈別体」とは異なる見解が多くみられた。すなわち、東密内で大釈別体を支持する学匠はごく一部であり、多くの学匠が大釈同体を主張しているのである。...

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  • 三種即身成仏について

    土居 夏樹 智山学報 69 (0), 239-255, 2020

    ...<p> 東密に伝わる「三種即身成仏正意」は、異本『即身成仏義』に説かれる三種即身成仏のどれが「即身成仏」の正当な理解であるのかを問う論義である。しかしながら、異本『即身義』では、三種即身成仏すべてを用いて「即身成仏」が説明されていることから、この論義そのものの意義を疑う意見もある。...

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  • 東密系釈教歌攷 ―新勅撰集釈教部巻頭詠の一解釈―

    但馬, 貴則 大阪産業大学論集 人文・社会科学編 32 一-十八, 2018-03-30

    ...勅撰集所収の真言密教系釈教歌は、法華経や浄土信仰などをもっぱらとする撰歌事情から天台的に解せられた上で入集したものが多く、それらを東密の立場から見た場合には、従来とは異なった解釈の生ずる可能性もあるかと思われる。そこで本稿ではその一例として新勅撰集釈教部巻頭の弘法大師詠を採り上げ、まずは通行の解釈への疑問点を挙げた上で東密的な解釈を試みた。...

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  • 空海以降の密教戒解釈

    池田 友美 智山学報 67 (0), 243-256, 2018

    ...<br>  約四百年の時を経て、杲宝により東密でも安然の議論に焦点が当てられた。このことについて、当時どのようなきっかけがあったか検討することは今後の課題である。...

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  • 東密における『釈摩訶衍論』の解釈の一考察

    橋本 文子 印度學佛教學研究 60 (3), 1300-1304, 2012

    ...-1144)『大経要義鈔』がこの問題について論駁を施しているが,『釈論』が如何に東密側でより具体的に論理面で受容されるに至ったか,西院流の祖である仁和寺の信証(1086-1142)が『大毘盧遮那経住心鈔』の中で論駁を施している.『大日経疏』を基底にした彼の論及を概観しつつ,実範の論駁と対比して試論を述べたい....

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  • 東密における『教時義』受容の一考察

    橋本 文子 密教文化 2007 (219), 1-24,144, 2007

    Within the doctrinal system of Kobo Daishi Kukai _??__??__??__??__??__??_ (774-835), the theory of the ten stages of mind (<i>jujushin</i>, _??__??__??_) is one of the key classification systems. It …

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  • 東密における『教時義』受容の一考察

    橋本 文子 密教文化 2006 (217), 29-48,144, 2006

    One of the most important classificatory systems proposed by Kukai (774-835) in his system of thought is the ten stages of mind (<i>jujushin</i> _??__??__??_ )system, which forms the backbone of …

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  • 紅頗梨色阿弥陀像をめぐって(3) : 道場観を中心に

    苫米地 誠一 智山学報 44 (0), 53-79, 1995

    ...真言密教(東密)系の阿弥陀如来像とされる紅頗梨色阿弥陀如来像は、頭上に五智の宝冠を戴き、身色を紅くして、阿弥陀如来の三昧耶形である金剛杵を茎とする蓮華を台座としてその上に坐す、特異な形式の像として知られている。その典拠は弘法大師空海作とされる『無量寿次第御作』『紅頗梨秘法』とされるが、宝冠を戴く阿弥陀如来像の成立は、空海時代よりもかなり下がると考えられる。...

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  • 弘法大師と興教大師 : 両部不二思想をめぐって

    宮坂 宥勝 智山学報 40 (0), 31-51, 1991

    ...が、思うに、これは東密の所説に由来する。そして、東密説は台密の両部而二説に相対する立場を標榜したものにほかならない。ところで、同じ東密でも而二(または二而)門学説と不二門学説とがある。このように東密にも両説があるのは、空海の説いた両部の関係を而二とみるか、もしくは不二と認めるかに関わっていたからであろう。...

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