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  • 近世・近代移行期の治水行政と土木官僚 : 静岡藩水利路程掛とその周辺

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 203 161-293, 2016-12-15

    江戸幕府において天領の治水行政を所轄したのは勘定奉行をトップとする勘定所であり、その配下として実地で防災・復興などの土木工事を担当したのが普請役という下級官吏であった。普請役には純粋に技術者だった者がいた半面、工事に従事する農民を管理・監督するだけの行政官だった者も混在していたと考えられる。維新後、明治政府は治河使・土木司・土木寮・土木局といった担当部門を会計官・民部省・工部省・大蔵省・内務省な…

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  • 安田常雄先生を送る

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 163 251-252, 2011-03-31

    source:https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun7/index.html#no163

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  • 大原幽学没後門人と明治の旧幕臣

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 125 119-156, 2006-03-25

    大原幽学は、全国を流浪した後、下総国香取郡長部村(千葉県干潟町)に居を定め、産業組合組織による耕地整理・農業技術改良・農作業の計画化・消費物資の共同購入といった方法で、天保期の荒廃した農村を建て直そうとした人物である。利己心を制し勤勉につとめ禁欲的に生活すべしというその主張は、道徳と経済とを統一した実践哲学であり、多くの農民が門人となり教えを奉じた。幽学の思想は、性理学(性学)と呼ばれたが、村を…

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  • 小普請の軍事的再編と静岡藩勤番組への帰着

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 126 3-31, 2006-01-31

    近代化を目指し幕府によって進められた軍制改革は維新により頓挫するが、ある部分については後身である静岡藩に継承された。士官教育のための学校設立という課題が、沼津兵学校として静岡藩で結実したのは、まさに幕府軍制改革の延長上に生まれた成果であった。その一方、軍制のみならず家臣団そのものの大規模な再編を伴った新藩の誕生は、幕府が最後まで解決できなかった大きな矛盾である寄合・小普請という無役の旗本・御家人…

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  • 旧幕府陸軍の解体と静岡藩沼津兵学校の成立

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 121 199-222, 2005-03-25

    徳川幕府の後身たる静岡藩が明治初年に設立した沼津兵学校が、士官養成機関としての進化という、きわめて限定された範囲において、幕末に幕府によって推し進められた軍制改革の最終到達点であるとする評価に誤りはない。しかし、一地方政権である静岡藩と中央政府である幕府との根本的な違いにより、軍制全般においては決して直線的な継承関係をなしていなかった。脱走・壊滅し自然に消え去った海軍は別として、陸軍については、…

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  • 箱館戦争降伏人と静岡藩

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 109 47-92, 2004-03-01

    維新後、旧幕臣は、徳川家に従い静岡へ移住するか、新政府に仕え朝臣となるか、帰農・帰商するかという選択を迫られた。一方、脱走・抗戦という第四の選択肢を選んだ者もいた。箱館五稜郭で官軍に降伏するまで戦った彼らの中には、洋学系の人材が豊富に含まれていた。榎本武揚ら幹部数名を除き、大多数の箱館戦争降伏人は明治三年(一八七〇)までには謹慎処分を解かれ、静岡藩に帰参する。一部の有能な降伏人は静岡・沼津の藩校…

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  • 旧幕臣洋学系知識人の茶園開拓 : 赤松則良・林洞海文書から

    樋口 雄彦 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 108 203-225, 2003-10-31

    明治維新後、禄を失い生計の道を絶たれ窮乏化を余儀なくされた士族によって各地で入植・開墾が行われた。わずか七十万石に圧縮された静岡藩では、膨大な数の旧旗本・御家人を無禄移住という形で受け入れたため、立藩当初から家臣団の土着が進められ、荒蕪地の開墾が奨励された。廃藩後は県による支援も行われ、士族授産事業が推進された。しかし、同時期、藩や県からの経済的援助を受けることなく、独力で茶園の開拓に取り組んだ…

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