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  • 大日本平和協会にみる二〇世紀初頭の「平和」認識と国際秩序観

    岡本 真奈 洛北史学 20 (0), 46-70, 2018-06-01

    ...さらに第一次大戦後、勢力均衡による秩序安定が困難になると、国内外のデモクラシーや「民本主義」の風潮と共鳴し自由・平等という普遍的要素を媒介に秩序形成が図られるようになった。「平和」認識もこの思想に基づき国際社会の安定と排日問題の改善という意味が付加されようになっていった。この思想的展開過程から「非戦」でも「反 戦」でもない協会の「平和」認識が持つ意義を見出すものである。...

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  • 総合雑誌の誕生とその発展

    近藤 大博 国際情報研究 1 (1), 1-9, 2004

    <p>月刊総合雑誌は、文明開化期に誕生し、それ以来、日本人の生活の知的文化的側面において重要な役割を担ってきた。現在もなお、50 数誌が発行されており、数多くの熱心な読者を有している。月刊総合雑誌は、一貫して政治、社会、文化面での思索家たちの営みを紹介し続けてきた。日本近代史そのものを映し出してきていると表現してもよい。日本近代史の理解を深めるため、総合雑誌の歴史をたどり、日本近代史において果た…

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  • 民本主義と帝国主義」再考

    李 秀烈 比較社会文化研究 11 1-10, 2002-03-15

    ...1 二つの五四運動論ー「はじめに」に代えて / 2 吉野作造における 1910年代と1920年代 / 3 五四運動と山東問題ー1919年という歴史的磁場 / 4 1920年代の始まり方ー山東問題「解決」と吉野一 / 5 排日と北伐ー「国民党正系論」と孫文評価の問題ー / 6 民本主義と帝国主義ー「あとがき」に代えて一...

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  • <論説>民本主義論の終焉と二大政党制論の改造 : 蠟山政道のナショナル・デモクラシー論と二大政党制論

    小関 素明 史林 80 (1), 109-146, 1997-01-01

    本稿は、近年、日本における政治的自由主義論との関連で注目されている福沢諭吉から吉野作造につながる二大政党制論(<政治システム論>) の重要性を再確認しつつ、吉野作造の二大政党制論が以後どのように引きつがれるのかと言うことを蠟山政道の政治思想を手がかりに検討したものである。蠟山は基本的には吉野の二大政党制論の枠組みを継承し、英国労働党の動勢を参照しつつも、むしろそれゆえにこそ、吉野の既成政党(民政…

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  • <論説>東方会の成立

    永井 和 史林 61 (4), 592-627, 1978-07-01

    ...同党の特微は、その編成時における指導的メンバーの大多数が二〇年代には憲政会=民政党に属し、政治思想的には民本主義の立場に立っていた点に求められる。...

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  • <論説>パリ講和会議と日本・中国 : 「人種案」と日使恫喝事件

    藤本 博生 史林 59 (6), 902-929, 1976-11-01

    ...民本主義者は、このような「人種案」を批判したけれども、国家主義者やブルジョア新聞は、それぞれの立場からこれを「支持」した。国際聯盟規約から人種差別撤廃条項が除外された時、日本の世論における国際協調的傾向は影をひそめ、東亜モンロー主義が高らかに唱えられた。...

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  • <研究ノート>民本主義の誕生 : 浮田和民を通じて

    宮本 又久 史林 50 (2), 283-301, 1967-03-01

    ...このような浮田の民本主義は、大逆事件と韓国併合によって、一層日本帝国主義の危機を痛感させられた事によって強められていったものと考えられる。危機に対応する保守主義という観点から、民本主義の誕生を、一応、大逆事件の年である明治四十三年に置いて考えたい。民本主義は一応大正八年を頂点として凋落の傾向を見せ、第二次若槻内閣を最後として終りを告げるが、戦後の「民主化」はその復活と考えられる。...

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