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  • 歴史の中の日本民法・家族法序説 : 政治・外交と法制定の交錯

    加藤 雅信 名古屋学院大学論集 社会科学篇 58 (4), 241-279, 2022-03-31

    ...かつて日本の家族法の中核をなしていた「家制度」は,民法典制定時に華族が反対し天皇制官僚も消極姿勢を示すなかで,「水戸学」以来の伝統を受け継ぐ「世論」のもとで形成された「創られた伝統」であった。戦後の家族法改正は,この家制度を廃絶した。我妻はこれが日本側「起草委員の独自の発案」であったことを強調するが,実はアメリカの初期占領政策―日本の軍事的弱体化・産業的弱体化・精神的弱体化―の一環であった。...

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  • 『講孟劄記』における吉田松陰と水戸学の関係

    大場, 一央 国士舘人文科学論集 = Kokushikan Journal of Human Sciences 3 1-15, 2022-02-28

    ...本稿は、吉田松陰と水戸学の関係について、松陰の代表的著書である『講孟劄記』における水戸学の扱われ方から検討したものである。従来、吉田松陰は水戸学を強く支持していたと言われながら、その思想には水戸学の影響が少ないとされてきた。そこで本稿は、『講孟劄記』における国体と性善に関する議論において、松陰が水戸学をどのように扱ったのかを検証した。...

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  • 藤田東湖の『孟子』観 : 徂徠学派との比較から

    武石 智典 研究論集 15 81-92, 2016-01-15

    ...徂徠学を、後期水戸学を代表する学 者である藤田幽谷、会沢正志斎、藤田東湖がどのように受容、もしくは拒絶したのか考察 することは、後期水戸学の特色を 明らかにする上で、重要である。後期水戸学を代表する学者の一人である藤田東湖には、『孟子』について論じた「孟 論」 がある。また、荻生徂徠には、『孟子識』があり、荻生徂徠の経学の高弟である太宰春台にも「孟子論」がある。...

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  • 吉田松陰の経世論

    武石, 智典 研究論集 13 359-384, 2013-12-20

    ...更に,松陰の「草起論」に 対する解釈や「水戸学」との距離感,亦は「雄略論」における対外姿勢や松 陰の攘夷の定義といった先行研究においても解釈が分かれる問題がある。 本稿は,吉田松陰の忠誠観と対外認識及び政策に着目し,時代区分に沿っ て松陰の思想の変遷を明らかにするものである。...

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  • 肥後和男宮座論の再検討

    市川 秀之 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 161 61-75, 2011-03-15

    ...同時に水戸学や古代史・古代神話などの研究者でもあり、肥後の宮座論はその研究全体のなかで位置づける必要があるが、これまでそのような視点から肥後の宮座論を評価した研究はない。肥後が宮座論を開始したのは、宮座の儀礼のなかに古代神話に通じるものを感じたからであり、昭和一〇年前後に大規模な宮座研究を開始したのちも肥後のそのような関心は衰えることはなかった。...

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  • 水戸藩の儒礼受容 : 『喪祭儀略』を中心に

    田, 世民 京都大学大学院教育学研究科紀要 53 137-149, 2007-03-31

    ...本稿では『喪祭儀略』の諸本を検討し、その内容の変遷とその意義を分析する。また、水戸藩の喪祭礼実践における朱舜水の役割に注目し、その人と著述が与えた影響について検討し、それを近世日本における明文化受容の一事例として考察する。さらに、後期水戸学における喪祭礼の実践とそれに関する著述を分析し、水戸藩の儒礼受容という文脈でその意味を捉えてみる。以上の考察を通じて、水戸藩における喪祭礼を中心とした儒礼受容のあり...

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  • 近世後期日本における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容

    大島, 明秀 洋学 14 1-32, 2006-03

    近世を「鎖国」ではなく、「海禁」政策と東アジアの華夷秩序から捉え直さなければならないとする近年の「鎖国」研究の成果を踏まえ、本稿は「鎖国」を言説として捉え、どのように日本で「鎖国」言説が形成されたのかを追究した試みを行った。資料として用いたのは、日本において「鎖国」という言葉の誕生の契機となったケンペル原著、志筑忠雄訳『鎖国論』写本(一八〇一年)であり、その受容を見ていった。 …

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  • 水戸学の思想と教育

    荒川 紘 人文論集 54 (1), 1-42, 2003-07-31

    Tokugawa Nariaki who became the 9th daimyo (lord) of the Mito domain in 1829, embarked on some programs of administrative reforms, giving prominent posts to such capable scholars of the reform …

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  • 水戸学と文武不岐論

    福島 正義 Research Journal of Budo 10 (3), 7-13, 1978

    General principles of Mitogaku exist in the next phrases.<br>1. Loyalty and filial piety is peerless.<br>2. No distriction between pen and sword,<br>3. Reverence and respect confusianisum.<br>4. …

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  • 藤田幽谷研究ノート

    大月, 明 人文研究 29 (4), 227-247, 1977

    一 横井小楠は、江戸にあった天保十年十一月二十五日に兄の左平太宛に、「来春は......二月余寒退き候時節より水府に遊学仕筈にて......。……

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  • <論説>小楠学の儒教的思想形態について

    今中 寛司 史林 52 (1), 33-64, 1969-01-01

    ...肥後藩教学史上には、闇斎学・徂徠学・水戸学・蕃山学・陽明学等の、永い伝統がありながら、小楠の依拠した学問は、時習館成立の宝暦期に活躍した大塚退野の学であり、退野学は十六世紀朝鮮の李退溪の学問に淵源する。退溪の『自省録』は朝鮮役に日本に伝来し、闇斎学と退野学がその後嗣である。...

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  • 前期水戸学者の一考察 : 三宅観瀾と栗山潜鋒

    大月 明 人文研究 19 (8), 627-660, 1968

    ...一 はじめに : 幕末、天保期以降の尊王攘夷思想の展開が、やがて討幕運動へ発展し、明治維新成功の原動力となっていったことは、改めていうまでもないが、幕末から明治期にかけての尊攘思想家から討幕論者に及ぶ、志士や読書人たちの思想的系譜を後づけてみると、そこには多少なりとも、いわゆる水戸学との関係があったことが、多くの人々に認められるのである。……...

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