検索結果を絞り込む

本文・本体へのリンク

検索結果 2,855 件

  • 駒澤大学図書館所蔵 多田文男教授旧蔵国内官製地図の概要と稀覯図

    小田 匡保 日本地理学会発表要旨集 2024s (0), 117-, 2024

    ...集成五万分一地形図は軍事施設の名称が入っているというが、本図は館山海軍航空隊がなく、戦時改描のあとが見られる。</p><p> 関東地方以外の二万分一迅速図も2種類含まれる。一つは、伊勢国と記された三重県の地図10枚である。名古屋の第三師団司令部が明治22年に作製している。本図は、「地図・空中写真閲覧サービス」になく、国会図書館にも所蔵されていない。...

    DOI

  • 外国船の航海日誌に記録された気象測器データによる江戸時代末期に日本に接近した台風の解析

    久保田 尚之, 塚原 東吾, 平野 淳平, 松本 淳, 財城 真寿美, 三上 岳彦, ALLAN Rob, WILKINSON Clive, WILKINSON Sally, DE JONG Alice E-journal GEO 18 (2), 412-422, 2023-11-21

    ...日本近海で遭遇した台風事例について,経路等の解析を行った.1853年7月21~25日にペリー艦隊6隻が観測した東シナ海を通過した台風の解析事例,1856年9月23~24日に蘭国海軍メデューサ号が観測した安政江戸台風の解析事例,1863年8月15~16日の薩英戦争中に英国海軍11隻が観測した東シナ海における台風の解析事例について報告する....

    DOI Web Site 参考文献10件

  • 日本初の純国産ジェットエンジン「ネ 20」技術

    杉村 文隆, 鈴木 一義 日本航空宇宙学会誌 71 (11), 295-297, 2023-11-05

    ...<p>ネ 20は,日本初,世界でも最初期の実用ジェットエンジンであり,我が国の民間用を含むジェットエンジン開発の先駆けとなった.海軍航空技術廠は,ドイツから入手した限られた図面と見聞した情報を参考に,独自の研究成果に基づいたジェットエンジン(ネ 20)の設計,試作を行った.設計作業開始からわずか8カ月後の1945年8月7日には,ネ 20を搭載した橘花が高度600m,飛行時間12分間の初飛行に成功した...

    DOI Web Site

  • <論説>第二辰丸事件と仲裁裁判

    箱田 恵子 史林 106 (5), 571-610, 2023-09-30

    ...だが、清朝外務部が英国海軍提督の仲裁裁判(公団)による解決を提案したことは、内外の新聞報道を通じて予想外の影響を引き起こしており、この件は日清と仲裁裁判をめぐる議論に新たな視点を与えてくれる。まず、当時の日本は仲裁裁判に消極的・反対的だったとされるが、この事件の仲裁裁判付託を一旦は閣議決定していた。...

    DOI HANDLE Web Site

  • 前田高地麓の日本軍陣地壕群について

    下郡 剛, 川満 和, 仲村 真 沖縄工業高等専門学校紀要 17 (0), 1-26, 2023-06-29

    ...奉安殿・忠魂碑(沖縄市、1997年)、沖縄戦関連宜野座村資料(宜野座村、2001年)、新川・クボウグスク周辺の陣地壕群(うるま市、2004年)、海軍特攻艇格納秘匿壕(宮古島市、2004年)、旧日本軍特攻艇秘匿壕・集団自決地(渡嘉敷村、2005年)、チビチリガマ(読谷村、2008年)、旧登野城尋常高等小学校跡奉安殿(石垣市、2009年)、掩体壕・忠魂碑(読谷村、2009年)、名蔵白水の戦争遺跡群(石垣市...

    DOI

  • 戦争と企業 : 紡績企業の工場転用,航空機工場・試飛行場の用地確保

    笠井 雅直 名古屋学院大学論集 社会科学篇 59 (4), 1-19, 2023-03-31

    ...陸海軍による生産の拡張要求に応えるためには政府による既存産業のスクラップ化の推進が不可欠となっていた。新たな航空機工場に課せられた製造規模は新たに試作機の試験飛行のための飛行場を所要としたことで,戦時下の航空機企業の工場敷地は急拡大する。敗戦後,これらの管轄地は,農地改革が進行する中での企業の再建過程でその大半は失われるとはいえ,新たな民需用工場として活用される。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 長野県北信地方の産業集積の形成過程について

    宮嵜 晃臣 専修経済学論集 57 (3), 69-93, 2023-03-15

    ...片倉製糸紡績株式会社田中製糸所を富士通信機製造株式会社が買収し,須坂工場を設けた背景には戦中の軍需に川崎工場だけでは対応できず,昭和恐慌,世界恐慌,さらに太平洋戦争に突入することで生糸の輸出が絶望となった須坂の製糸業の苦難を結果として利したものと同時に,同工場が「陸海軍を通じて転用工場第1号」となり,須坂が「航空兵器生産倍加運動」の場として,航空機・通信用部品供給拠点として位置づけられ,こうした経緯...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 奴隷貿易から合法貿易へ : ラゴスの場合

    布留川 正博 関西大学経済論集 72 (特集), 41-62, 2023-03-10

    ...しかし、イギリス海軍の監視の網の目をかいくぐって、密貿易が栄えた。この貿易拠点のひとつが西アフリカ奴隷海岸のラゴスであった。地理的条件にも恵まれ、ラゴスは19世紀前半に西アフリカ最大の奴隷貿易拠点となった。イギリスはこれを座視できず、ラゴスの内政に介入し、王を交代させ、奴隷貿易禁止の条約を結んだ。ラゴスはその後、イギリスの植民地となり、イギリスをはじめヨーロッパとのあいだで合法貿易を行った。...

    DOI 機関リポジトリ HANDLE

  • 法務省登記所備付地図データを活用した戦前期遺構のマッピング―広島県東広島市における旧呉市上水道の事例―

    岩佐 佳哉, 熊原 康博 E-journal GEO 18 (2), 367-379, 2023

    ...わせることにより,呉市が1943年に敷設した上水道の遺構をマッピングし,その特徴を明らかにした.現地調査の結果,少なくとも192個の遺構が存在することが明らかになった.また,登記所備付地図データを用いることで,遺構に沿って幅3 m程度の細長い区画が長さ約10.7 kmにわたり今も存在することを確認できた.この細長い区画は上水道を敷設するために呉市が取得した土地である.旧呉市上水道の敷設の背景には旧日本海軍鎮守府...

    DOI Web Site 参考文献4件

  • 美保関事件で沈んだ駆逐艦蕨の探査と3次元モデルによる可視化

    三納 正美, 大原 圭太郎, 山舩 晃太郎, 市川 泰雅, 木村 颯, 片桐 昌弥, 橘田 隆史, 西尾 友之, 大原 歳之, 菅 浩伸 日本地理学会発表要旨集 2023s (0), 248-, 2023

    ...</b><b>はじめに</b><b></b> </p><p> 島根半島の東端に位置する地蔵埼から北東に30㎞以上離れた海域に、日本海軍の駆逐艦「蕨(わらび)」が沈んでいる.1927年の夜間演習中,軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」,軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」がそれぞれ衝突し,「蕨」は沈没,「葦」は大破(艦尾沈没)し,殉職者119名にも及ぶ大事故となり,美保関事件として後世に伝えられている.事故直後から...

    DOI

  • 明治期における山陰地方沿岸の海図の整備過程

    舩杉 力修 山陰研究 15 91-115, 2022-12-31

    ...海軍の水路部作製の海図、水路誌をもとにして、海図が全国で整備されていく明治期を対象として、山陰地方沿岸における海図の整備過程について検討した。沿岸測量の時期を検討したところ、山陰地方沿岸では明治期には5 つの時期に分けて測量されたことが判明した。明治後期には山陰地方沿岸の測量はほぼ完了し、海図が刊行されたことが判明した。...

    DOI 機関リポジトリ

  • 古写真及び現存構造物による針尾無線塔の施工方法の推定と施工期間の検証

    小川, 健, 日比野, 誠, 岡林, 隆敏, 松田, 浩 土木構造・材料論文集 38 141-150, 2022-12

    ...針尾無線塔は,旧日本海軍が1918(大正7)年に着手し,1922(大正11)年に完成させた構造物である.約100年を経た現在でも,ひび割れ,鉄筋の腐食もなく健全な姿を維持している.しかしながらこの無線塔の施工方法は現存している数枚の写真以外よく分かっていない.また,3塔は全く同じ規模の構造物ながら記録に残る施工期間は大きく異なっている.そこで,本論文ではこれらの古写真やコンクリート表面に残る現況から...

    機関リポジトリ HANDLE Web Site

  • [論文] 乾隆帝の勅諭と第2次澳門占領事件

    村尾, 進 国立歴史民俗博物館研究報告 239 39-74, 2022-09-30

    ...1793年のマカートニー使節団に続く,イギリスによる1808年の第2次澳門占領事件(長崎におけるフェートン号事件をその一環としていた)は,中国沿海地方の天津・寧波・舟山と接続する澳門の占領を企て,さらに澳門と省城の間の境界を越えて,深く東アジア海域内に入り込み長崎に到ったという点において「広東体制」の領域の外部に逸脱し,同時に軍隊を率いた海軍少将ドルリーが澳門から省城広州に進入し総督との会見を要求したという...

    機関リポジトリ

  • ドンケル・クルチウスの日本語文典の成立を巡って

    ルディ トート 日本語の研究 18 (2), 19-37, 2022-08-01

    ...さらに,クルチウス編纂の蘭和辞典の数頁分,『日本文法試論』の原稿についての大通詞名村八右衛門名義の宣言書の写し,そして当時の海軍伝習生勝海舟が原稿の内容についてオランダ語で記した49頁のメモの発見を報告する。</p>...

    DOI

  • 奄美大島海峡(瀬戸内町)軍事関係史

    齋藤,達志 瀬戸内町文化財調査報告書 : 瀬戸内町内の遺跡3 第7集 197-225, 2022-03-31

    ...江戸時代後期からアジア・太平洋戦争終結に至る、旧日本陸海軍が奄美大島を軍事拠点化した理由と、その変遷について、軍事史の観点から詳細に述べている。...

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • ポストコロナ期の米中関係における中国パワーの方向性とその対応

    下平 拓哉 危機管理研究 30 (0), 1-8, 2022-03-28

    ...そしてその対応として,米海軍戦略の方向性と日米豪印によるクアッド拡大の意義について考察を加えた。中国のパワーが,今後,どのような方向性を示すかを明らかにしていくことは,インド太平洋地域における日本の今後の舵取りを考えていく上で,極めて大きな意義がある。...

    DOI

  • 海軍横須賀基地周辺の英語景観とアメリカ人の行動範囲

    榎本, 広大, エノモト, コウダイ, 小田, 匡保, オダ, マサヤス, Enomoto, Kodai, Oda, Masayasu 地域学研究 = Regional views 35 41-51, 2022-03

    ...本稿は,横須賀市にある米海軍横須賀基地周辺を対象にして,英語の言語景観を分析した。英語看板・表示の分布を地図化し,そこからアメリカ人の行動範囲を推測した。その結果,以下の事柄が明らかになった。1)英語看板・表示は,広い範囲に分布しているが,特にどぶ板通り商店街とその周辺および京急横須賀中央駅周辺に集まっている。...

    機関リポジトリ

  • 日輪兵舎の用途の多様化に関する考察

    松山 薫 日本地理学会発表要旨集 2022a (0), 150-, 2022

    ...<p>その一つ目の例は,農業訓練とは異なる目的の研修施設として建てられたものである.厚生省の体力増強を目的とした津田山修練道場(神奈川県)のほか,棚倉の営林局技術員養成所(福島県),大館の滑空道場の宿舎(秋田県)などがそれにあたる.他の例としては,主として建設の簡便性をいかして,工事などの労働者の仮設宿泊所として用いられたケースである.橿原神宮造営工事(奈良県),静岡大火の復興工事(静岡県),根室海軍航空基地...

    DOI

  • 二〇世紀初頭の渤海・黄海海域における領海制度と漁業紛争

    佐藤 良聖 史学雑誌 131 (11), 66-91, 2022

    ...<br> 一九〇九年、統監府は韓国漁業法を施行し、日本海軍と共同で沿岸監視の方針を作成したことで、領海を制度的根拠とする漁業管理体制を成立させた。中国人漁民は韓国領海への侵入を許可されなかったため、朝鮮半島沿岸から排除された。その上中国人漁民と朝鮮人住民が引き離され、彼らの社会的関係も分断に追い込まれた。...

    DOI

  • 軍港都市呉における市街地形成過程の分節性とその発現

    佐鳥 蒼太朗, 中島 直人, 永野 真義, 宮城 俊作 都市計画論文集 56 (3), 983-990, 2021-10-25

    ...具体的には、地図資料により都市形成の空間的な実態を把握したのちに、文献資料により個別の開発事業やその背景を調査し、呉の都市建設期における市街地形成の地理的・空間的な展開とその背景を日本海軍の策定した呉の都市建設計画との関連性に着目しながら整理した。...

    DOI Web Site

  • 欧州から見た台湾原住民,1870~1880年代及び1920初代 ―新しい研究と資料

    モロジャコフ, ワシ―リー 拓殖大学台湾研究 5 77-89, 2021-03-25

    ...西洋における台湾研究の主な先駆者は海軍軍人,外交官やキリスト教宣教師であった。ロシアにおける台湾研究の開拓者である海軍将校パーウエル・イビス(Pavel Ibis;1852~1877年)は,近代台湾に関する西洋の代表的研究者としても知られている。ロシアの資料館で発掘・調査された資料に基づく彼の最初の評伝は,その生涯と活動に関する多くの新事実を公にしている。...

    機関リポジトリ

  • 川村純義と三菱の新入炭鉱取得

    西尾 典子, 宮地 英敏 エネルギー史研究 : 石炭を中心として 36 31-58, 2021-03-25

    ...一、はじめに / 二、川村還書にみる海軍内の炭鉱開発会社構想 / 三、川村純義の経歴と宮中顧問官 / 四、 川村純義による選定鉱区への触手 : 一八八七(明治一九)年の約定 / 五、地元との折衝の難航 : 一八八七(明治二〇)年の約定 / 六、枢密顧問官への就任に伴う川村純義の変節 / 七、三菱への譲渡 / 八、おわりに...

    DOI HANDLE Web Site

  • 日本の対韓国輸出管理強化

    中島 朋義, Tomoyoshi NAKAJIMA ERINA REPORT (PLUS) = ERINA REPORT (PLUS) (158) 30-34, 2021-02-22

    ...文在寅政権の発足以来、2018年10月の韓国最高裁の元徴用工判決、同12月の海上自衛隊機に対する韓国海軍のレーダー照射事件、2019年6月の慰安婦合意に基づく財団の解散など、一連の出来事によって日韓関係は大きく悪化した。2019年7月の日本の対韓国輸出管理の強化は一般にそれらの一連の動きの中での一つの事象と見られている。...

    機関リポジトリ

  • 横須賀造船所の外国船修理事業

    賀 申杰 史学雑誌 130 (2), 1-36, 2021

    ...<br> この時期、部外船の修理の受入れに対する海軍の態度に関する考察として金子栄一・小林宗三郎、室山義正らの研究があげられる。これらの研究は修理船の外需の排除を海軍の方針として理解し、その上で、ヴェルニーの解雇の原因として外国船修理に関する彼の方針への海軍の反発があったと理解している。...

    DOI

  • 「南方放送史」再考①

    村上 聖一 放送研究と調査 71 (3), 40-57, 2021

    ...このうち今回は、放送実施までの過程を中心に、陸海軍、日本放送協会の文書に基づきつつ検証した。その結果、南方地域を軍事占領する構想が現れたのが1940年以降だったこともあり、放送に関しても開戦数か月前になって放送協会が南方の放送事情の調査を本格化させるなど、戦前にはほとんど検討がなされていなかったことがわかった。...

    DOI Web Site

  • 「南方放送史」再考②

    村上 聖一 放送研究と調査 71 (4), 70-87, 2021

    ...この地域はジャワやスマトラといった島ごとにラジオ放送の発達状況が異なり、また、陸軍、海軍が担当地域を分けて放送を実施した。このため、本稿では、それらの条件に応じて、放送実施体制や番組内容、聴取状況にどのような違いが生じたのかといった点に着目しつつ、検討を進めた。...

    DOI Web Site

  • 高度経済成長期日本の軍事化と地域社会

    松田 ヒロ子 社会学評論 72 (3), 258-275, 2021

    ...<p>本稿は,高度経済成長期の日本の地域社会の軍事化について,石川県小松市に1961年に設置された自衛隊と民間航空が共用する小松飛行場/基地と,基地開設を記念して開催された「伸びゆく日本産業と防衛大博覧会」(小松防衛博)を事例に検討した.小松市には戦時中に海軍飛行場が建設されたが,当時の市長や市議会議長らは,飛行場建設を契機に小松市を軍都として発展させることを構想していた.軍都計画は終戦により頓挫したが...

    DOI Web Site 参考文献2件

  • 明治・大正時代のイノベーション:その独創技術と産業応用

    小林 直人, 亀山 哲也 Synthesiology 13 (1), 45-60, 2021

    ...一方、産業振興の面では、初期無線研究において技術が海軍に移されて研究開発が行われ、その後それらの技術が企業に引き継がれ我が国初の無線通信機製造会社が成立したこと、「東工試法」によるアンモニア合成技術が企業における国産初の硫安製造の成功に大きく貢献したことは大きな特徴である。 このように我が国においては極めて早い時期に、技術導入に加えて独自技術開発やその産業応用が行われていたことは注目に値する。...

    DOI Web Site 参考文献2件

  • 海軍第三火薬廠汽缶場跡の調査

    毛利 聡, 牧野 雅司, 今村 友里子 日本建築学会技術報告集 26 (64), 863-868, 2020-10-20

    <p>We carried out excavation of the remains of a boiler house in Maizuru 3rd Naval Explosives Arsenal. This investigation consists of measurement of the remains, performance evaluation of concrete, …

    DOI Web Site 参考文献1件

  • 永野修身元帥手記(東京裁判関係資料)

    三輪 宗弘 エネルギー史研究 : 石炭を中心として 35 47-58, 2020-03-25

    ...解題「永野修身元帥手記」 / 永野元帥手記 / 真珠湾攻撃ニ対スル永野元帥手記 / 「重要国策決定ノ経緯概説」ニ対スル永野元帥意見 (要研究) / 元帥海軍大将 永野修身略歴...

    DOI HANDLE Web Site

  • 宮古島のなかの世界史 : 「久松五勇士」像の形成過程

    琉球大学西洋近現代史ゼミ, 池上, 大祐(解題), Seminar of Western History, University of the Ryukyus, Ikegami, Daisuke(bibliographical introduction) 地理歴史人類学論集 (9) 19-32, 2020-03

    ...特に 1920~30 年代に は国語読本(稲垣国三郎が推進)の教材になったり、海軍記念日の式典でも扱われたりと、ナシ ョナリズムおよび戦意を高揚させていく装置として機能した。日本との一体性というニュアンス は 1960年代の記念碑建立の時期まで残存したが、1980年代からは宮古島久松の「海人」という ローカル・アイデンティティ形成に利用された。...

    機関リポジトリ HANDLE

  • 国民学校芸能科音楽「聴音練習」成立期における陸軍の動向

    長尾 智絵 北海道教育大学紀要. 教育科学編 70 (2), 49-59, 2020-02

    ...しかし「軍部の圧力」については,それが陸軍を指しているのか,海軍を指しているのか,またはその両方を指しているのか明確ではない。そこで本稿では,これまで「軍部の圧力」の根拠とされてきた陸軍の資料について,これまで公開されてこなかった一次資料を使って,改めて検討することにした。さらに,当時,陸軍が刊行していた雑誌上での議論に注目し,陸軍が絶対音感教育についてどのような見解を持っていたのかも検討した。...

    DOI 機関リポジトリ Web Site

  • 江戸時代末期に日本近海で外国船に観測された台風

    久保田 尚之, 松本 淳, 財城 真寿美, 塚原 東吾, 三上 岳彦, Allan Rob, Wilkinson Clive, Wilkinson Sally, Wood Kevin, Mollan Mark 日本地理学会発表要旨集 2020a (0), 104-, 2020

    ...データ</b></p><p></p><p><b> </b> 1863年の薩英戦争と1864年の下関戦争に参戦したイギリス海軍の航海日誌をイギリス水路部,公文書館で入手し気象データをデジタル化した(図1)。1853年,1854年に日本に来航した10隻のペリー艦隊の航海日誌をアメリカ公文書館で入手しデジタル化した。</p><p></p><p><b>3. ...

    DOI

  • 大正期における海軍の艦隊行動と地域社会

    章 霖 史学雑誌 129 (9), 39-64, 2020

    ...第一次世界大戦以後における国際協調の機運や平和的思潮は、海軍にも大きな影響を与えた。特に一九二二年のワシントン海軍軍縮条約の締結はその顕著な例であろう。こうした時期において、海軍は如何なる広報活動を行って、地域社会との関係を構築しようと試みたのか。...

    DOI

  • 戦時国際法と「警察」概念

    太田 聡一郎 史学雑誌 129 (11), 37-60, 2020

    ...また第一次上海事変の海軍や日中戦争の陸軍は、警察使用から戦時使用の合法性を導出することで催涙性ガス使用を正当化した。催涙性ガスの事例は、化学兵器を使いたいという陸軍内の軍事的要請と、催涙性ガスに関する国内外の法的位置づけを、事実上の戦争における「警察」概念の多義性によって合法的に結節しようとした試みだったと評価できる。...

    DOI

  • 1922(大正11)年に完成した重要文化財「針尾無線塔」の施工方法の考察

    小川 健 土木学会論文集D2(土木史) 76 (1), 32-50, 2020

    ...<p> 針尾無線塔は,日露戦争において無線通信の重要性を認識した旧日本海軍が,1918(大正7)年に着手し,1922(大正11)年に完成させた構造物である.最近,コンクリート構造物の劣化が深刻な社会問題となっているなか,この無線塔は約100年を経た現在でも,ひび割れ,鉄筋の腐食もなく健全な姿を維持している.ところが,施工方法は現存している数枚の写真以外よく分かっていない.ただ,この貴重な遺産を構築した...

    DOI 機関リポジトリ HANDLE ほか1件

  • シリーズ 戦争とラジオ〈第6回〉 国策の「宣伝者」として

    大森 淳郎 放送研究と調査 70 (9), 20-41, 2020

    ...「帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」 この、太平洋戦争の開戦を告げる館野守男アナウンサーによる臨時ニュースこそが、いわゆる「雄叫び調」が誕生した瞬間であると、当時から主張されていたし、今日でも定説となっている。しかし、これが事実ではなく、いわば伝説にすぎなかったことは開戦前のアナウンサーたちの発言を注意深く見ていけばすぐにわかる。...

    DOI Web Site

  • 「協同一致」の論理にみる陸海軍関係

    飯島 直樹 史学雑誌 129 (8), 1-37, 2020

    ...<br>  最後に、「協同一致」の論理に依拠してきた陸海軍関係がロンドン条約の段階で動揺したことは、戦時期の政策や作戦面での陸海軍対立の淵源となったこと、戦時期に海軍を「協同一致」の下に牽制するために陸軍で元帥府活用構想が浮上することを展望した。...

    DOI

  • 海軍技師・建築家の吉野直吉について

    安田 徹也 竹中大工道具館研究紀要 31 (0), 53-90, 2020

    ...本稿では海軍技師・建築家の吉野直吉の足跡を追った。その概要は下記の通りである。 1. 吉野直吉は明治2年(1869)に生まれ、大工としての修業を経て明治33年(1900)から大正7年(1918)にかけて海軍の技術者として活躍した。 2. 1920年代から1940年代にかけて東京や川崎で堂宮建築の設計を行っている。主な作品に氷川神社社殿、玉川神社社殿、千束八幡神社などがある。 3....

    DOI Web Site

  • 航海の自由と通商の国民

    薩摩 真介 史学雑誌 129 (2), 1-36, 2020

    ...しかし、本論文ではこの時期の議論を、近年の財政軍事国家論の進展を踏まえ、十八世紀半ばのブリテンにおける軍事力、とくに海軍力の行使を正当化ないし批判するロジックの解明という新たな観点から分析する。<br> 使用した主な史料は、新聞・パンフレット類などの出版物、および議会討議録であるコベット『議会史』である。...

    DOI

  • 昭和初年における海軍条約派の退潮:堀悌吉中将の失脚過程を中心として

    渡辺, 滋 山口県立大学学術情報 12 25-40, 2019-03-29

    ...1933~34年にかけて、海軍部内で当時の大臣の名前に由来する「大おおすみ角人事」と称される大規模な更迭人事が行われた。この人事の最後に位置したのが、堀悌ていきち吉中将の退役人事(国際協調派)と艦隊派(対外強硬派)のせめぎ合いのなか、前者の中心人物で海軍きっての逸材といわれた堀が、最終的に退役に追い込まれるまでの過程を、学界未紹介の史料なども使いながら、検討していく。...

    機関リポジトリ

  • ウィリアム・ペティの政治算術(3) ―ベーコン主義の経済科学―

    大倉, 正雄, Okura, Masao 拓殖大学論集. 政治・経済・法律研究 21 (2), 1-26, 2019-03-20

    ウィリアム・ペティ(Sir William Petty, 1623-87)の主著『政治算術』(Political Arithmetick)は,名誉革命後の1690年に遺著として刊行された。その頃隣国フランスでは,ルイ一四世の財務総監J・B・コルベールによる経済政策の推進によって,国力・経済力が著しく強力されていた。 …

    機関リポジトリ Web Site

  • フランス分析官レジナールド・カンとその『フォルモサ報告』

    モロジャコフ, ワシ―リー 拓殖大学台湾研究 3 111-122, 2019-03-08

    ...1906 年夏にフランスの植民地省,海軍省,参謀本部第2 課(情報機関)の命令で出張分析官として,情報収集のため台湾を訪問し,帰国後,内部資料として『フォルモサ報告』を執筆した。この未公刊資料は2001 年にフランス語の原文と中国語訳が台北で刊行された。本論文の目的はこのレジナルド・カン著『フォルモサ報告』の内容と結論を詳しく紹介することにある。...

    機関リポジトリ

  • 漫画映画の拡張:『桃太郎の海鷲』から『桃太郎 海の神兵』へ

    小倉 健太郎 映像学 101 (0), 5-26, 2019-01-25

    ...【要旨】<br> 1943年に公開された『桃太郎の海鷲』は、海軍省が後援となり真珠湾攻撃をモチーフとして制作された国策アニメーションである。演出は、当時代表的なアニメーターのひとりと見なされていた瀬尾光世が務めた。同じ瀬尾による1945年公開の『桃太郎 海の神兵』は長らく幻の作品とされていたが、1984年に倉庫から発見され話題を呼んだ。...

    DOI Web Site

  • 日清・日露戦争期の日本の気象観測網の拡大と電信線

    小林 茂 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 209-, 2019

    ...<br><br>この不足を補うために日清戦争期(1894-5年)には望楼や灯台の利用が検討されたが、観測の実現が確認できるのは旅順の海軍根拠地と老鉄山灯台に過ぎず、それもまもなく中国側に返還された。他方、中国沿岸気象ネットワークの一環であった台湾の海関の観測データは、日本の領有後も香港や徐家匯との交換が継続されたが、短期間におわり、以後は台湾総督府の観測所との交換に切り替えられた。...

    DOI

  • 旧フランス領インドシナにおける気象観測史

    遠藤 伸彦, 松本 淳 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 65-, 2019

    ...日本・ベトナム・フランス・米国水文気象当局の図書室ならびにフランス国立図書館に所蔵されている旧フランス領インドシナ(以下,旧仏印)の気象に関連する出版物に基づき,植民地時代の旧仏印の気象観測の歴史をとりまとめた.旧仏印気象局が設立される以前はフランス海軍の軍医が気象観測を行っていた.旧仏印気象局が設立された後は,気象観測網が年々拡充されたが,その業務は旧仏印総督府の政策によって強く規制されていた.収集...

    DOI

  • ワシントン海軍軍縮後の連合艦隊

    木村 聡 史学雑誌 128 (8), 33-58, 2019

    ...<br> 海軍という組織は、軍政を掌る海軍省と軍令を掌る軍令部の二元組織と解釈されるが、正確には、軍政権と統帥権の並立の下に、最高機関として海軍大臣、艦隊・鎮守府の司令長官、海軍軍令部長(軍令部総長)が存在するという構造である。そして、艦隊司令長官や鎮守府司令長官の役割は指揮統率であった。<br> それが、ワシントン条約への対応策として精兵主義の方策がとられた。...

    DOI

  • 旧帝国陸海軍軍人と靖国戦犯合祀の関係

    中立 悠紀 史学雑誌 128 (7), 1-26, 2019

    ...<br> 本稿を通じて、ポツダム宣言受諾後に解体された旧帝国陸海軍の佐官級官僚が、靖国への戦犯合祀において担った役割を明らかにする。...

    DOI

  • 日本に上陸した台風の長期変動に関する研究(1881年-2018年)

    久保田 尚之, 松本 淳, 三上 岳彦, 財城 真寿美 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 172-, 2019

    ...西部北太平洋地域では現在、気象庁、アメリカ海軍統合センター(JTWC)、香港気象局、上海台風研究所が台風の位置や強度に関する情報を1945年以降提供している。<br><br>過去の気象データを復元する「データレスキュー」の取り組みで、それぞれの気象局が1945年以前についても台風の位置や被害に関する記録を残していた(Kubota 2012)。...

    DOI

  • ワインビネガーの明治時代から昭和におけるまでの活用の発展と展開

    吉田 沙紀, 林 一也, 綿貫 仁美 日本調理科学会大会研究発表要旨集 31 (0), 176-, 2019

    ...一方で,明治5年に書かれた海軍省公文備考では大砲の色付け用に西洋酢が使用された記録があり,食品以外の活用も認められる。明治中期から後期ではワインビネガーの活用は増加したものの専門書や女学校の教本が主であり家庭料理での活用は一部に留まっている。大正時代においても依然として専門書での活用が主であったが,葡萄酢や佛蘭西製葡萄酢と明確にワインビネガーが指定される傾向が見られた。...

    DOI

  • 元帥府・軍事参議院の成立

    飯島 直樹 史学雑誌 128 (3), 1-36, 2019

    ...一方で、1903年に設置された軍事参議院は天皇の帷幄で重要軍務の諮詢を受けることを目的とし、元帥のほか陸海軍要職者から構成され、多数決制や議長の表決権などの議事規程も備えた合議制諮詢機関であった。...

    DOI

  • 海軍と在郷軍人会

    木村 美幸 史学雑誌 128 (11), 1-26, 2019

    ...本稿では、海軍志願兵募集や「海軍と地域」研究の課題に大きくかかわる海軍と在郷軍人の問題について、海軍の在郷軍人会に対する姿勢に注目して検討した。<br> 海軍は、一九一〇年に在郷軍人会ができると、財源の問題と在郷軍人統制に対する立場の違いから不参加となった。...

    DOI

  • パリ外国宣教会のルイ・フュレ神父

    BEILLEVAIRE Patrick 地学雑誌 127 (4), 483-501, 2018-08-25

    ...フランス海軍兵站部から借り受けた測器を使って,彼は最近標準化された方式に基づいて,1日5回の観測データを収集した。これらのデータは,すべてフランス気象学協会創始者(1852年創設)のシャルル・サント–クレア・ドヴィルに送られた。...

    DOI Web Site Web Site 被引用文献3件 参考文献3件

  • 那覇(1856-1858年)におけるフュレ神父の気圧観測

    DEMARÉE Gaston R., MAILIER Pascal, BEILLEVAIRE Patrick, 三上 岳彦, 財城 真寿美, 塚原 東吾, 田上 善夫, 平野 淳平 地学雑誌 127 (4), 503-511, 2018-08-25

    ...水利技師アレクサンドル・デラマーシュ(1815-1884年)は,フランス海軍兵站部によってフュレ神父に委託された気象測器の検定を行った。気象観測は,1850年代のフランスで使われていた気象観測方式に従って実施された。気圧観測データは,気圧計の読みとり値,気圧計付随温度計の読みとり値,そして温度補正した気圧の数値で記載されている。...

    DOI HANDLE Web Site ほか1件 被引用文献3件 参考文献4件

  • 米国施政権下小笠原諸島の返還と初等教育 : 「日本人」に「なる」ということをめぐって

    西郷, 南海子 小笠原研究年報 (41) 47-64, 2018-07-31

    ...1956年に米海軍は父島にラドフォード学校を設立し、米国のカリキュラムに基づいて、英語で子どもたちへの教育を行っていた。本稿では、返還の2年前からラドフォード学校で日本語の授業を担当した小笠原愛作(アイサック・ゴンザレス)と、返還と同時に東京都教員として赴任した赤間泰子へインタビューを行い、父島での初等教育が「アメリカ人」としての教育から「日本人」としての教育へ転換していったプロセスを追う。...

    機関リポジトリ HANDLE

ページトップへ