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  • 鎌倉時代における天皇像と将軍・得宗

    佐藤 雄基 史学雑誌 129 (10), 4-34, 2020

    ...後鳥羽院は武芸をはじめとする諸芸能を好み、文武を包摂した君主像を追求していたし、幕府の側でも源実朝が後鳥羽院を模倣して「文」に基づく統治者意識を高めていた。前例のない「武」の権力をどのように位置づけるのか、様々な模索のもとで幕府像も揺れ動いた。<br>  こうした慈円の構想が現実味をもつのは、承久の乱後の摂家将軍・九条道家の時代であった。...

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  • 実朝伝説と聖徳太子 : 『吾妻鏡』における源実朝像の背景

    小林 直樹 文学史研究 47 114-128, 2007-03

    ...一 : 『吾妻鏡』に描かれる源実朝の姿は伝説のヴェールに覆われている感が深い。そうした印象を与える理由の一つに、実朝の聖徳太子信仰があることは確実であろう。たとえば、東大寺大仏鋳造に活躍した宋人の工匠、陳和卿が実朝と謁見する場面がその好例である。……...

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  • 鎌倉幕府評定制の成立過程

    佐々木 文昭 史学雑誌 92 (9), 1453-1473,1564-, 1983

    ...Besides the Hyojo system came to have various political powers and functions gradually through the reigns of Minamoto-no-Yoriie (源頼家), Minamoto-no-Sanetomo (源実朝), and Hojo Masako (北条政子), and became an...

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