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検索結果 1,027 件

  • 訳注『研志堂詩鈔』選(二)

    塩見 邦彦 山陰研究 16 t61-t81, 2024-03-10

    ...と同時に漢詩人として活躍した人物であり、この時代において傑出した詩人でもある。ここに数回にわたって、彼の詩集、『研志堂詩鈔』の選訳及び注釈を試みる。彼は詩人の心と画人の心とをもって、自然を見たのであって、結果としてそれが漢詩という世界に結実した。そのために、唐詩・宋詩の作風に学んだことを、実証的に説明する。...

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  • 翻刻 渡部寛一郎日記5・I (大正六年十二月〜七年六月)

    渡部寛一郎文書研究会,, 要木 純一, 竹永 三男, 板垣 貴志, 内田 融, 大原 俊二, 居石 由樹子, 小林 啓治, 小林 奈緒子, 杉谷 直哉, 原 洋二, 本井 優太郎, 森安 章 山陰研究 16 t83-t103, 2024-03-10

    ...渡部寛一郎文書は、渡部寛一郎日記、剪淞吟社に結集する人々の漢詩と関連文書、若槻礼次郎ほかの渡部寛一郎宛書簡、私立中学校修道館など渡部寛一郎が関わった教育関係文書などで構成されている。中国文学・歴史学などの学際的研究によってこれらの諸文書を解読・分析し、近代日本の漢詩文学と政治文化の関連を山陰地域に即して実証的に追究することが本プロジェクトのめざすところである。...

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  • グエン・クォン・ヴィン詩歌(抄)(Bản Tóm Tắt Tập Thơ Vinh Nguyễn Quang)

    橋本, 和孝 関東学院大学人文学会紀要 149 59-71, 2024-01

    ...しかし、日本の短歌が漢詩の影響を受けているように、ベトナムでも漢詩文の影響がある。漢文調に訳すことが可能であれば、伝統的なベトナム詩の韻文に近づけた。今回、短歌化した4篇は元来は、短詩である。ヴィン氏の詩の中に、いかなる社会学的主題と背景が見いだせるかを探求することは、ベトナム社会を理解する題材となる筈である。...

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  • 王朝時期の日本漢詩集:和歌集の中国文学文化を受容と変容する橋として

    秦 岭 日中言語文化 17 (0), 171-, 2024

    ...本論文では、『万葉集』『古今和歌集』の二つの和歌集と『懐風藻』、勅撰三集の四つの漢詩集を中心に、和歌と漢詩の中の松のイメージを整理し、漢詩が中国文化の受容と変容の中で過渡的な役割を果たしたことを探究し、日本文学の自分自身の美意識を形成していく過程を考察する。...

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  • 言語モデルを用いた漢詩文の返り点付与と書き下し文生成

    王 昊, 清水 博文, 河原 大輔 自然言語処理 31 (1), 134-154, 2024

    ....一方,古文やそれに関連するタスクにはほとんど注意が払われてこなかった.漢文は約 2000 年前の弥生時代に中国から日本に伝えられたと推測されており,それ以降日本文学に多大な影響を与えた.現在においても大学入学共通テストの国語において漢文は 200 点の内 50 点を占めている.しかし,中国にある豊富な言語資源に比べ,日本にある漢文の書き下し文資源は非常に少ない.この問題を解決するために,本研究は漢詩文...

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  • 釈論大江千里集(十二)

    小池, 博明, 半沢, 幹一 57 (1-16), 2023-06-30

    ...In this anthology, as usually called Kudai-waka (句題和歌), each Waka is given one phrase poetic title from Kanshi (漢詩=ancient Chinese poem) selected by Oe....

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  • 江户时代的汉诗社史之概观

    郭 凝恩 東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies 14 563-580, 2023-03-31

    The Chinese Poetry Society developed with the development of Sinology in Japan. As early as in the Nihongi, there are records of Japanese aristocrats followed the example of the Chinese Lanting …

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  • 与謝野寛(鉄幹)の漢詩稿

    小清水 裕子 人文学研究所報 (69) 109-117, 2023-03-27

    ...さらに,この二篇の漢詩は与謝野寛が漢詩の師と仰ぐ吉田増蔵(学軒)に同時期に送った漢詩作品とほぼ同作品であることから,推敲の見られる作品として貴重な資料であることを指摘する。...

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  • 漢字と色彩

    鷲野, 正明 国士舘人文科学論集 = Kokushikan Journal of Human Sciences 4 113-118, 2023-02-28

    source:https://www.kokushikan.ac.jp/faculty/GS/HS/outline/

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  • 訳注『研志堂詩鈔』選(一)

    塩見  邦彦 山陰研究 15 t85-t104, 2022-12-31

    ...と同時に漢詩人として活躍した人物であり、この時代において傑出した詩人でもある。ここに数回にわたって、彼の詩集、『研志堂詩鈔』の選訳及び注釈を試みる。「はじめに」では、彼の詩の特色、『研志堂詩鈔』の版本について述べる。彼は詩人の心と画人の心とをもって、自然を見たのであって、結果としてそれが漢詩という世界に結実した。そのために、唐詩・宋詩の作風に学んだことを、実証的に説明する。...

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  • 翻刻 渡部寛一郎日記4下 (大正五年)

    渡部寛一郎文書研究会,, 要木 純一, 竹永 三男, 板垣 貴志, 内田 融, 大原 俊二, 居石 由樹子, 小林 啓治, 小林 奈緒子, 杉谷 直哉, 原 洋二, 本井 優太郎, 森安 章 山陰研究 15 t105-t116, 2022-12-31

    ...寛一郎が木次の漢詩人横山耐雪を訪ね、詩会を催した経緯を記す。また、前回の朝鮮紀行を補うメモ部分も付録されている。...

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  • 漢詩作品の自動生成とその評価システムの試み

    叢 艶, 高久 雅生 情報知識学会誌 32 (4), 393-405, 2022-12-18

    <p> 唐詩作品は, 中国古典文化に欠かせない重要な遺産の一つである.唐詩作品は独特な文体,押韻規則と平仄規則の制約条件がある.これらの制約条件は,唐詩作品の韻律 (リズム) の把握が可能であり,作者の気持ちや,詩文が描く風景などを感じる重要な要素である.しかし,初心者は,唐詩作品を読み,模倣し,さらに詩文を創作する際,唐詩作品の制約条件を守ることは困難であり,創作した詩文が,制約条件に合うか否…

    DOI Web Site 参考文献1件

  • 『唐詩選』における送別詩の収録状況:『唐詩三百首』との比較を通じて

    馬, 艶艶 じんもんこん2022論文集 2022 221-226, 2022-12-02

    中国で 『唐詩三百首』 という唐詩選集が現在でも大流行しているのとは異なり、日本では江戸 時代に伝えられた明代末期の 『唐詩選』 が愛読されており、現在に至っても、重要な唐詩入門書と認 められている. なぜ日本と中国では、人気のある唐詩選集に違いがあるのだろうか. それを究明する ために, 『唐詩三百首』 との比較を通して, 『唐詩選』 の特徴を明らかにしたい. 本論文では,まず …

    情報処理学会

  • 「きりぎりす(蟋蟀)」の考察/『奈良帝御集』の和歌をめぐって

    角田 宏子 芸術工学2022 2022-11-25

    ...また、日本に伝来当時、典拠となる漢詩の「蟋蟀」には類語が複数存在していた。中国語の「蟋蟀」が受容されて日本漢詩が作られ、「きりぎりす」を詠んだ和歌が作られる。それらの状況をふまえ、先行研究では「蟋蟀」(類語を含む)の受容については、漢詩文の影響、とくに白楽天の詩の影響下にあるという一律的な捉え方がなされてきた。...

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  • 与謝野晶子と漢詩文~『みだれ髪』における李白

    小清水, 裕子, Koshimizu, Yuko 秋草学園短期大学紀要 (38) 13-28, 2022-03-31

    ...与謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』は、西欧的な短歌集であるという評価がなされているが、一方で日本古典の血脈となる、中国の古典である漢詩志向も見られる。これは晶子の受けた故郷の堺での漢詩文教育と、与謝野鉄幹の影響が大きい。『みだれ髪』では晶子の鉄幹に対するオマージュから、鉄幹の憧憬する中国の唐代の詩人、李白に対するオマージュも同時に示される。このことは特に「蓮の花船」の章において見られる。...

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  • 頼三樹三郎漢詩訳註(1)

    任 萌萌 比較日本文化学研究 15 65-89, 2022-03-31

    Chinese literature in Japan refers to literature arising from the Chinese character culture from China accepted by the Japanese and developed as their own culture. The Edo period was the most …

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  • 漢詩の構造化に関する研究 — 唐詩作品を中心に

    叢 艶, 高久 雅生 情報知識学会誌 32 (1), 15-38, 2022-02-28

    ...いて,漢詩情報のウェブ上でのデジタル化表現を提案した.最後に,これらの構造化の結果に韮づいて,二つの漢詩作品の同士の間の差異を提示した利活用を試みた....

    DOI Web Site 参考文献7件

  • 高等学校における国語科漢詩単元の「充実した学び」を提供する授業実践

    大貫 眞弘 教育実践学研究 25 (0), 12-22, 2022

    ...国語科教科書では小・中・高の校種を跨いで教科書に掲載されている漢詩があり,その場合は小学校よりも中学校,中学校よりも高校で,如何にして学習者により充実した学びを提供できるかが問われることとなる。その中で高校教科書の漢詩単元に掲載されている,訳詩・翻案詩の創作を取り入れた言語活動により充実した学びを実践する可能性を見いだした。...

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  • 『懐風藻』大友皇子伝の思想 : 漢詩を創る「皇太子」

    土佐, 朋子 京都語文 29 67-90, 2021-11-27

    『日本書紀』と『懐風藻』大友皇子伝の記述は、相違を見せながらも完全に隔絶しているわけではなく、微妙に交差し重なり合う。これは、『懐風藻』編者が『日本書紀』を用いて自らの歴史観にあった大友皇子像を独自に創出したことを示すと考えられる。『懐風藻』編者は、(1)太政大臣就任前、(2)太政大臣時代、(3)皇太子時代の時系列を立て、それぞれに『日本書紀』の記事を巧みに利用しながら受命の皇子にふさわしいエピ…

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  • 『狭衣物語』出典未詳表現覚書 : 「こゑの秋のかせは月みつことしきりなり」を取りあげて

    小林 理正 詞林 69 39-48, 2021-04-20

    ...本稿発表後、島内景二「「狭衣物語」の漢詩句引用二題」(『解釈』三〇巻一一号、昭和五九年)の存在を知った。同論は「こゑの秋のかせは月みつことしきりなり」の一文の典拠を指摘している。これを看過していたのは重大な過失というほかないものである。しかしながら、典拠論明へのアプローチが異なることに鑑み、本稿の意義は失われないものと判断した。島内氏のご寛恕を得て、いま発表時のまま公にすることとする。...

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  • 嵩山房小林新兵衛の「唐詩選かるた」について

    大庭, 卓也 比較文化年報 26 1-53, 2021-03-31

    中国明代の李攀龍撰とされる『唐詩選』中の絶句をかるたに作って遊ぶということは、中国では行われず日本独自の習慣である。これは、我が国においてこの唐詩総集がいかに親しまれていたかを示す現象であり、日本における『唐詩選』受容史のうえで看過できない研究課題である。しかしこれまで、嵩山房(『唐詩選』関連書を独占して出版し続けた江戸の書肆)が売り出した「唐詩選かるた」について、充分な検討は加えられてはいない…

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  • 日本と中国の梁燕

    丹羽, 博之 大手前大学論集 20 1-13, 2021-03-31

    ...更に漢詩にも   燕吟午静小窓間辛苦営巣幾往還   対主喃喃説何事去年人易去年顔『翰林五鳳集』(巻三) 煕春 と詠まれている。これら日本の燕のイメージは二十世紀まで脈々とうけつがれた。一九四五年学徒出陣で戦死した、真鍋真次郎氏の姉宛の手紙にも白詩が引用されている。...

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  • 『万葉集』人麻呂歌集七夕歌の方法

    遠藤 耕太郎 アジア民族文化研究 20 (0), 63-100, 2021-03-31

    ...<p> 中国の辺境で国家を作り上げた古代日本に、『文選』や『芸文類聚』などの漢詩とともに中国から七夕伝説が伝播した。七夕の詩宴ではこれらの漢詩を模倣した七夕詩が作られたが、その向こうを張って行なわれた七夕宴では、七夕のストーリーや登場人物の設定を脱構築し、恋する男女の立場に立って歌うという特徴をもった人麻呂歌集七夕歌が作られた。...

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  • 西郷隆盛「憶弟信吾在仏国」詩中の「姑息」について

    大渕, 貴之 鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science 72 1-5, 2021-03

    ...西郷隆盛(18281-1877)の漢詩に、フランス遊学中の弟従道(通称信吾。1843-1902)に寄せた七絶「憶弟信吾在仏国(弟信吾の仏国に在るを憶う)」がある。その転句「欲離姑息却姑息」については、従来、諸家により一応の解釈が示されてきたものの、未だ全体の詩意から見て収まりの良い解釈は行なわれていない。...

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  • 景徐周麟の「書隠」について

    武 頴 日中言語文化 14 (0), 17-24, 2021

    ...<p>要旨:景徐周麟(1440-1519)、俗姓は佐々木、諱は周麟、道号は景徐、半隠、宜竹、対松など、五山文学後期の代表的作家であり、その作品集として、『翰林葫蘆集』には詩、字説、道号などをはじめとする各種の漢詩文が収録されている。そのうち、四十三歳の時に作成した「書隠」詩は三首あり、その隠逸思想を研究するのに見逃してはいけない存在である。...

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  • 安政江戸地震と漢詩

    松葉 友惟 近世文藝 114 (0), 31-43, 2021

    Many Chinese poems were written about the big earthquake in Edo which occurred on October 2, 1885 or the second year of the Ansei Period. This fad for earthquake poetry was more widespread than has …

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  • 南宋版『天竺霊籤』原本再現の試み

    日髙 衣紅 芸術学論集 1 (0), 3-12, 2020-12-31

    ...南宋版と同じ漢詩を伴う御籤は後代に継承され、中国では明代(以後、明版と呼ぶ)、日本では17世紀以降の御籤本が現存する。日本には図も含めて、様々な種類の『天竺霊籤』系統の御籤本が刊行され、100籤が揃っていることから、本来の南宋版も100籤100図から構成されていたと考えられている。...

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  • 翻刻 渡部寛一郎日記3(明治三十九年)

    渡部寛一郎文書研究会,, 要木 純一, 竹永 三男, 板垣 貴志, 内田 融, 大國 由美子, 大原 俊二, 居石 由樹子, 小林 啓治, 小林 奈緒子, 杉谷 直哉, 原 洋二, 本井 優太郎, 森安 章 山陰研究 13 none-, 2020-12-31

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  • 三日月と待月

    陳, 馳 人間・環境学 29 93-103, 2020-12-20

    ...ただし, いずれの三日月の待月は, 漢詩文の表現と通じる部分があるが, 独特な感性が感じられる, 日本独自の観月の表現であり, 漢詩から受容したものではなかったと言えよう....

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  • 先春吟社及其盟主

    郭, 凝恩 東アジア文化交渉研究 = Journal of East Asian cultural interaction studies 13 583-598, 2020-03-31

    At the end of the Edo period, the Chinese poetry society Baikasha in Osaka gradually declined, and the appearance of Senshun ginsha provided a new place for poets to exchange ideas, which …

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  • 中等教育段階での『漢詩創作指導』

    岡本 利昭 研究紀要 : 神戸大学附属中等 論集 4 9-14, 2020-03-31

    ...新科目『古典探究』では,漢詩を創作することが「言語活動例」として『学習指導要領』に明記された.新科日の施行を目前に控えて,中等教育段階での漢詩創作指導を実際に行ってみた,漢詩創作指導の際の評価基準としては,平仄と押韻の達成度で評価することが有効であると感じた....

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  • 後水尾院歌壇における漢文学の利用

    大山,和哉 同志社国文学 (92) 198-210, 2020-03-20

    後水尾院歌壇において和歌の典拠として漢文学を利用することが頻りに行われていたことについては、既に先学によって指摘されている。本稿は後水尾院の和歌、後水尾院歌壇で行われた『仙洞三十六番歌合』、種々の歌学書の記述等を総合的に考察し、当時の歌壇においてどのような漢文学の本説取りが行われたのか、なぜそのような本説取りが必要であったのか、歌壇に属する人々がどのように漢文学の本説取りを学んだのか、といったこ…

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  • 日下部鳴鶴と杉聴雨の漢詩の応酬 ―東宮・嘉仁親王の彦根城行啓を讃えて―

    内田 誠一, Uchida Seiichi 安田女子大学紀要 (48) 1-10, 2020-02-28

    明治大正期の官僚であった杉聴雨が、明治三筆の一人である書法家の日下部鳴鶴に宛てた毛筆書簡幅がある。この書簡の末尾には、鳴鶴から贈られた詩に次韻した詩が認められている。この次韻詩の原詩をつきとめ、原詩と次韻詩の内容を分析し、詩が詠じられた背景をさぐった。その結果、この二首の詩は、東宮である嘉仁親王(のちの大正天皇)が彦根城に行啓されたことを讃えた内容であることが判明した。原詩では親王が城山の迎春館…

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  • 大槻磐渓の漢詩

    島森, 哲男 宮城教育大学紀要 54 507-524, 2020-01-30

    ...本稿では幕末から明治の初めを生きた仙台藩の儒者、大槻磐渓(1801 ~ 1878)の漢詩を、⑴天地の一蠧魚、⑵開国論、⑶獄中の詩、⑷狼の詩、⑸旅の詩、⑹花の詩、⑺晩年の詩、⑻三男文彦への激励、の₈つの観点に沿って読み解き、その生涯と思想の一斑を辿ることを目指す。...

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  • 市河寛斎『日本詩紀』考

    李 均洋, 張 璇 広島大学大学院文学研究科論集 79 111-127, 2019-12-25

    ...『日本詩紀』は江戸後期の漢詩人・学者である市河寛斎によって編纂された漢詩集であり、飛鳥時代の近江朝から奈良時代、平安時代の平治まで428人の漢詩3204首、句527を収めていた。三代詩集といってもいい。 『日本詩紀』の編纂方針は「全」を求めること、すなわちできるだけ近江朝から平治までの詩を網羅しようとするのである。「録我詩命」は『日本詩紀』を通じて日本詩教の思想文化の伝統と精神を唱えるのである。...

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  • 日本漢詩研究概論

    佐藤 利行 広島大学大学院文学研究科論集 79 1-14, 2019-12-25

    Since Japan is part of the Sinographic cultural sphere, it has been strongly influenced by China since ancient times. The Chinese influence is pronounced in Japanese literature as well. While the …

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  • 『伊勢物語』五十二段と漢詩文 : 屈原・潘岳との関わりを通して

    内藤 英子 名古屋大学国語国文学 112 17-30, 2019-11-10

    『伊勢物語』五十二段は、男女の恋愛を前提として「人」を女性と考えるのが一般的だが、現在の注釈では、「飾り粽」を贈られ「雉」を贈った理由や、相手が沼に「まどひ」、自分が野で「わびし」かった理由が解明されているとは言い難い。そこで、五十二段で贈答される「飾り粽」と「雉」に着目し、それぞれの背景にある二人の人物屈原と潘岳との関わりを考察することによって、「人」を男性の「友」として新たな読みを提示する。

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  • 「韻塞ぎ」の実践

    岡本 利昭 研究紀要 : 神戸大学附属中等 論集 3 16-19, 2019-04-20

    平安文学には優雅な言葉遊びが,しばしば登場する. 『韻塞ぎ』もその一つである.だが,平安文学に登場する言葉遊びが,どのようなものであるかについて,理解はあまりされていない.また教室で実践されることも少ないこれは現在,言葉遊びへ理解が不足していることと同時に,漢文への理解,とりわけ作詩法への理解が不足していることが原因と考えられる.本稿では,作詩法への知識があまりなくても,比較的実践がしやすい『韻…

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  • 井土靈山の生涯と事績

    井土 愼二, Ido Shinji 名古屋大学人文学研究論集 2 21-41, 2019-03-31

    An anthology of Sino-Japanese poetry published in 2016 comprises a well-annotated collection of classical Chinese poems with translations in kundoku-style Japanese. One quatrain that appears in the …

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  • 女書の民族帰属に関しての一考察

    劉 穎 アジア民族文化研究 18 (0), 1-32, 2019-03-31

    ...筆者は、これまでの女書の歌い方の研究結果と、ヤオ歌と漢詩の音声表現に関する先行研究を踏まえながら、現地調査の事例を通じて、音声表現の視点から女書の民族帰属について探ってみることにした。結果としては、女書の音声表現のみではその民族帰属を判別することはできないということになった。</p>...

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  • 橋本循「原爆歌」初探

    内田 誠一, Uchida Seiichi 安田女子大学紀要 (47) 1-10, 2019-02-28

    ...だが、漢詩で書かれたものは極めて少ない。本稿では、橋本循「原爆歌」を取りあげて内容を分析し、あわせて土屋竹雨「原爆行」と比較する。さらに、吟詠家・平池南桑の漢詩「原爆少女像」を引いて、原爆を詠じた漢詩が少ない理由を考察する。...

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  • 江湖詩社の松魚詠

    新稲, 法子 京都語文 26 105-122, 2018-11-24

    ...松魚詠が現れた寛政期、如亭と親しかった山東京伝が黄表紙や洒落本に袷を質入して初鰹を買うという表現を盛んに用いており、漢詩が戯作と同じ文苑で時流を敏感に反映していることがわかる。江戸の初夏を詠むのに用いられた「松魚」は化政期には定着し、旅先にあっては江戸人にとっての「蓴羹鱸膾」となり、幕末に受け継がれていった。...

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