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検索結果 119 件

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  • 環濠集落午王山遺跡

    小倉,淳一 国史跡指定記念午王山遺跡展 ~独立丘に営まれた弥生時代の環濠集落~ 32-37, 2023-10-05

    国史跡指定記念午王山遺跡展記念講演会(令和5年10月7日開催)講演要旨

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • 弥生時代の渡来系技術の実像

    石川,日出志 鞠智城シンポジウム発表要旨 : 渡来系技術と古代山城・鞠智城 14 (2023), 11-19, 2023-10-01

    比較考古学という視点に立ち、比較の時間幅を1000年内外まで広げて、大陸から導入された技術がどう受容され、変容したのかに焦点を絞り考察する。 1.比較考古学という視点 2.弥生時代の大陸系技術    土器にみる大陸系技術 / 青銅器鋳造技術の導入 / 土木・石積み技術 3.古代山城の築造技術の由来は?

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • [論文] 東部関東地域における弥生中後期社会

    小林, 青樹, 轟, 直行, 池田, 和之 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 231 11-43, 2022-02-25

    ...中期後半は六崎大崎台遺跡を中心とする大規模環濠集落に人々が集住する居住システムであったが,後期前半になると10軒未満の竪穴建物で構成される小規模集落が営まれ,集落間較差のない等質性の高い居住システムに変化した。そして,後期後半になるとヒト・モノが集まり,集落規模も大きいハブ集落が複数現れ,小規模集落との間に較差が生じることが明らかとなった。...

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  • 総括

    青木,勘時 天理市埋蔵文化財調査報告 : 平等坊・岩室遺跡 第8次調査 11 275-280, 2021-03-31

    DOI

  • 佐賀平野の地形を活かしたクリーク整備

    島内 利昭, 永石 利文, 久原 洋一 農業農村工学会誌 79 (6), 443-446,a2, 2011

    <p>かつて佐賀平野には,網の目のように走るクリークが存在した。近年の生活様式の多様化に伴う混住化の進展と農業生産性の向上のための「ほ場整備事業」の実施などにより,昔ながらのクリークはほとんど見られなくなり,集落内や一部の地域のみに残るだけとなった。直鳥地区は,昔ながらの農村景観を有した地区であるが,その現況は,クリーク内に泥土が堆積し,護岸は土羽構造であるため,侵食による法面崩壊が顕著である。…

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  • 北部九州の弥生時代集落と社会(論考編2 各地の弥生集落)

    小澤 佳憲 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 149 165-195, 2009-03-31

    ...この画期の前後における社会構造を比較した結果,弥生時代前期には入れ替わり立ち替わり現れる環濠集落を集団結節点とした平等的な部族社会が形成されていた。これに対し,弥生時代中期には丘陵上に一斉に進出した集落同士が前期的な集団関係をベースとして新たな集団関係を構築し,区画墓・大型列状墓・大型建物などの場において行う祖先祭祀をその強化手段として新たに導入した。...

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  • 伊勢湾周辺地域における弥生大規模集落と地域社会(論考編2 各地の弥生集落)

    石黒 立人 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 149 335-348, 2009-03-31

    ...分散複合型は,典型的には環濠集落群として,あるいは環濠集落と非環濠集落からなる1km圏程度のまとまりとして構成される自立的な集落の結合体であり,単体としての大規模集落ではない。中期Ⅳ以降の集団再編成の中で,集落間分業の進展と集団間の序列化の中核になった。以上の経緯をたどって推移する大規模集落とは,離合集散を続ける集団のその時々の固有の条件に対応した現れであった。...

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  • 弥生集落の祭祀機能と景観形成(論考編1 弥生時代の集落論)

    小林 青樹 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 149 91-112, 2009-03-31

    ...平野部の環濠集落のなかには,環濠が河川と接続するものがあり,水をたたえた環濠はむしろ河川を象徴化したものであると考えた。環濠は,境界・結界を現す区別化の象徴である。このあり方と連動して,絵画の中には,それぞれの空間における儀式・儀礼に,景観形成で確認した「辟邪」を意図した図像や身体技法をも表現している。...

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  • 都市近郊の旧村住宅地域における伝統的コミュニティについて

    久保 妙子 一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 56 (0), 219-219, 2004

    ...結果:対象地域は京都府南山城にみられる環濠集落のひとつで、近世には「町」と「組」による自治がおこなわれ、江戸後期には現在の自治会の基になる7つの町が形成された。各町には「堂」という会所があり、町運営とともに信仰上のお堂としての機能も有していた。...

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  • 日本列島古代の城郭と都市

    阿部 義平 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 108 147-163, 2003-10-31

    ...弥生時代の環濠集落を嚆矢(こうし)として,各時代に各々特色ある防禦施設あるいは軍事施設の様相が展開したことが知られてきた。中世や近世の城郭がその代表例であるが,各時代を通じた施設の実態や変遷,多様性などはまだ十分に把握されておらず,解明を要する。西暦7~9世紀頃の古代国家の時代には,西日本に山城,列島中央部に都城や関,東日本に城柵の造営があり,それらと関わる歴史の展開が知られている。...

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  • 尾張低地部における小規模古墳の様相

    宮腰,健司 研究紀要 3 57-68, 2002-03

    ...朝日遺跡は弥生時代の環濠集落として著名であるが、その後の古墳時代中期~後期にも墳墓が存在する。本文では、この朝日遺跡の古墳と須恵器・土師器の分布を検討し、遺構が検出された中央部以外にも西部に古墳が存在する可能性があること、またそれらの造営に際しては、前時代の埋没しきらない方形周溝墓群の痕跡を意識して造られていること、数基単位で構成され群集しないことを指摘した。...

    DOI Web Site 全国遺跡報告総覧

  • 弥生の石棒

    秋山 浩三 日本考古学 9 (14), 127-136, 2002

    Magical or ritual objects which had a long history of intimate connections with the spiritual life of the Jomon period have traditionally been studied as so-called 'secondary tools' within Jomon …

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  • 集落における歴史的水環境に関する研究

    金田 直子, 明智 圭子, 増井 正哉 都市計画論文集 37 (0), 1009-1014, 2002

    This study reveals the changes in the historic water utilization environment focusing on ditch and irrigation pond, using 32 ditch-encircled settlements in Yamatokoriyama City as the subject, and …

    DOI Web Site Web Site 被引用文献4件 参考文献9件

  • 唐古・鍵遺跡第74次調査

    豆谷 和之 日本考古学 7 (10), 107-116, 2000

    The Karako-Kagi site is a representative Yayoi period moated circular settlement, located close to the center of the Nara basin in Tawaramoto Town, Shiki County, Nara Prefecture. The multiple …

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  • 弥生後期集落の成立と展開

    無記名 熊本県文化財調査報告 : 二子塚 117 421-429, 1992-03-31

    二子塚遺跡は、弥生時代の集落全体を調査した例として大津町西弥護免遺跡に次いで、 2 例目の調査である。集落の南側には迫地形とその崖面が控え、東西は迫地形から伸びる支谷で画されている。これら南側は集落の背面、東西は側面であり、集落の正面は熊本平野を望む北側である。 二子塚集落は、I段階には環壕がないものの、集落への入り口は前代の墓葬との関係で意識されていた可能性がある。II段階には環濠が巡り集落の…

    DOI 全国遺跡報告総覧

  • 豪族屋敷と環濠集落の地域差

    池田 雅美 地理学評論 50 (3), 144-150, 1977

    This paper is devoted to give examples of the “Gozoku” settlements and moated settlements iii several districts of Japan, and to descrike the regional differences in scale, structure, physiognomy, …

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