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  • <研究論文>「平均的な人間」から考える戦時下の文学 : 石毛源『江南戦線』試論

    郭 立欣 日本研究 = NIHON KENKYŪ 65 281-299, 2022-10-31

    ...石毛源『江南戦線』(砂子屋書房、1939年9月)は盧溝橋事件勃発以来最初に出版された一出征軍人の個人歌集である。兵士を描くことを主眼とする戦争文学における書き手の主体性について、戦争の「内」から発する「私」による「兵士の文学」の作者は戦闘の当事者でありつつ文学の書き手でもあるという性質を持つ。こうした専業の作家とは言い難いより一般的な兵士の事例として、本稿は石毛源およびその作品を考察する。 ...

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  • 戦時下における自由学園の教育(2)戦時下「生活即教育」の諸相

    村上 民 生活大学研究 6 (1), 91-117, 2021

    ...1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化していくが、政府は戦争遂行に「挙国一致」してあたるため「国民精神総動員運動」を展開し、学校教育にも積極的な参加をもとめた。こうした戦時下国民生活の「刷新」の動きに対して、自由学園は、1930年代から顕著になっていた「自由学園教育の社会化」の動きとも連続した形で、生活教育、工作教育、農業、音楽、体操、工芸など多方面にわたって取り組んだ。...

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  • 戦時下における自由学園の教育(1)各種学校・自由学園の存続問題を中心に

    村上 民 生活大学研究 6 (1), 76-90, 2021

    ...ここで取り扱う「戦時」とは、1937 年7 月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化していく時期から1945 年8 月15 日の終戦前後までの時期とする。羽仁もと子、吉一夫妻の教育事業は、1921年創立の自由学園(高等女学校相当と高等科)から始 まり、1930年代にかけて、初等教育、男子中等教育へと広がっていた。...

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  • 1930年代後半の中国の食料貿易

    荒木 一視 日本地理学会発表要旨集 2021a (0), 23-, 2021

    ...満洲事変や盧溝橋事件をへて日中戦争へと移行するこの時期の状況を把握することは困難である。そうした中で着目したのが『大東亜共栄圏綜合貿易年表』である。...

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  • 民国期末(1947-1948)の中国の社会学の現状と将来についての社会学者の意見

    星, 明 社会学部論集 67 79-94, 2018-09-01

    ...アヘン戦争に端を発する西洋列強の武力による主権の侵害,太平天国を典型とする異民族の反乱といった内憂外患の歴史的背景のもとで中国は社会学を受容したし,1931 年9 月柳条湖事変の勃発から1945 年8 月までの15 年戦争,とりわけ1937 年7月の盧溝橋事件をきっかけにした日中戦争では大学の社会学部,学会活動,研究活動が大きく破壊されたし,また1946 年から1950 年に至る国共内戦も社会学の教育研究活動...

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  • 第二次大戦下の小売業整備

    石原 武政 経営研究 69 (1), 43-90, 2018-05-31

    ...前年の1936(昭和11)年2月に発生したいわゆる「2.26事件」をきっかけに軍部の発言力が 高まり、対中国全面戦争を見据えた「準戦時体制」は盧溝橋事件によって本格的な「戦時体制」 へと進んでいった。……...

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  • 11教−09−口−50 戦前・戦時下における竹之下休蔵の学校体育論に関する研究

    小松 恒誠, 鈴木 秀人 日本体育学会大会予稿集 68 (0), 270_2-270_2, 2017

    ...考察の結果、竹之下は、大正自由主義教育思想の影響を受けながら生活体育論を展開していたが、1937年の盧溝橋事件以降、日本社会において戦争への気運が高まっていくと、竹之下の学校体育論はその流れに収斂されていったことが明らかになった。</p>...

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  • トラウトマン工作における蔣介石の対日・対ソ戦略

    史学雑誌 126 (10), 63-81, 2017

    ...<br> 盧溝橋事件以後、中ソ間では条約締結が喫緊の課題となったが、ソ連は中国が早期に日本と講和し、共同防共に合意する可能性を予見していた。このため、「中国は共同防共を締結せず」との秘密声明に合意することで、中国はこの可能性を打ち消した。...

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  • 「アジアの子」試論 : 時代に迫られた留学生たち

    林 麗婷 同志社国文学 (79) 80-91, 2013-12-20

    ...「アジアの子」は盧溝橋事件直後、中国知識人郭沫若がひそかに日本を脱出した経緯を描く「シナリオ用小説」である。従来の研究では、佐藤と郁達夫の関係や、佐藤の戦争協力が注目を集めたが、本稿では、郭沫若の脱出に対する日本文壇の反応を確認した上で、盧溝橋事件による中国人留学生の帰国現象に光を当て、佐藤のフィクションの中に隠された意識を明らかにする。...

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  • 關於周作人書贈諸橋轍次博士『錄鄉人孫垓小至日贈人詩』

    李, 冬木, 佐藤, 海山, 吉田, 富夫 文学部論集 97 21-30, 2013-03-01

    本文根據墨蹟實物,對集入『諸橋轍次著作集』第十卷之「止軒詩草」中收錄的周作人贈諸橋轍次博士詩「錄孫垓逢良友詩應諸橋先生雅令」進行了調查和探討,其內容包括該詩內容解讀,關於原作者孫垓的調查及其原詩和小傳的整理、解讀,最後是「關於周作人書贈諸橋轍次博士的時間推定」。文后附來自紹興的資料影印件五枚。

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  • 戦時下のチャペルと西南学院と戦争との関わり

    松見, 俊 西南学院史紀要 4 51-65, 2009-05

    ...さらに、時間的制約と紙幅の制限もあり、一口で「戦争」と言ってもいわゆる「15年戦争」全体にわたって論じることは困難であるので、「満州事変」から、1937(昭和12)年の盧溝橋事件に端を発する「日中戦争」そして1941(昭和16)年12月のシンガポール侵攻、真珠湾攻撃前夜までに限定し、対米戦争の部分は後に譲りたい。...

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  • 満鉄の華北への進出

    斯日古楞 現代社会文化研究 21 351-360, 2001-08

    ...随着1937年“卢沟桥事变”的爆发和华北地区的沦陷,日本对华北的经济统治也提上日程。满铁的经营经验以及此前对华北的经济调查,正好适应了日本政府的需要,因而满铁在日本对华北的经济统治计划的制定与实施中,担任了重要角色。本文试图通过满铁的经济调查活动和其所属兴中公司在华北的产业开发及经营活动,揭示其进入华北的原因、过程、内容,同时阐明其在日本对华北经济计划制定中所起的作用。...

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