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  • 深沢七郎と「政治」

    相馬 庸郎 日本文学 43 (9), 45-54, 1994

    「楢山節考」にはじまり、戦後文学の近代主義的性格の虚を衝く作品を発表しつづけて、特異な位相を持つ深沢七郎の現実の政治的姿勢を検証してみた。彼は共産党→全学連→赤軍派→連合赤軍→日本赤軍と支持をつづけたが、それは理論的にも党派的にも矛盾する心情的なラディカリズムで、結局彼の求めたのは、彼の深部にある一種の「千年王国」とでも言うべきものであった。そこに深沢的反逆の特質があった、と私は考える。

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  • 「かさぶた式部考」論 : 秋元松代ノート

    相馬 庸郎 日本文学 42 (4), 54-62, 1993

    「常陸坊海尊」と並ぶ秋元松代の代表的作品「かさぶた式部考」は、「かさ病み式部」という民間伝承と炭鉱爆発事故によるC・O中毒患者一家の悲劇とを融合させ、独自の演劇空間を作りあげたものである。患者の母伊佐が、現代という時代の患部=「かさ」をリアルに見据え、それを孤独に背負う覚悟をきめるまでの過程を、ドラマとして構成することにより、秋元は、病める現代を演劇的=文学的に激しく告発することに成功した。

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  • 「常陸坊海尊」論 : 秋元松代論ノート

    相馬 庸郎 日本文学 41 (1), 46-55, 1992

    戦後日本の演劇史上に独自の位置を占める秋元松代の戯曲「常陸坊海尊」は、秋元が柳田国男の民俗学とめぐりあうことによって、その創作が可能になったものである。秋元は、柳田によって知らされた海尊伝説という民間伝承の持つ意味と、戦中戦後の学童疎開や人間における「性」の呪縛という現代的な問題とを縦横にからませ、独自で深い演劇空間を作りあげた。それは、当時の秋元のとらえられていた深い苦悩にカタルシスをもたらす…

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  • 柳田国男の昔話研究 : その文学性について

    相馬 庸郎 日本文学 40 (4), 32-41, 1991

    柳田国男の昔話研究は固有信仰解明を最終目標としている。昔話の文学性追求の面が手薄であったことは、よく指摘されるが、かれの仕事を仔細にわたって見てゆくと、再考されてしかるべき点もいくつか出てくる。本論では、柳田の昔話研究が問題にした昔話における理念的なるものの伝承性、イメージや感情の伝承性などと文学との関係構造につき、考えてみたい。

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  • 柳田国男の二十歳代 : 民俗学への出発を遠望しつつ

    相馬 庸郎 日本文学 39 (2), 23-35, 1990

    柳田国男の二十歳代は、「存在」の不安ともいうべきものに揺さぶられていた時代であった。そこからの脱出のためキリスト教や禅宗への接近を試みたりしたが、三十歳代から始まる民俗学的探求によって、己がアイデンティティを確立するまで、その不安は続いた。その間に示された精神世界の様相を具体的にたどってゆくと、野における者や無名の者へのシンパシー、ツルゲーネフや鏡花作品の読み方に見られる他界への深い関心、『流刑…

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  • 柳田国男初期の詩的感性 : 新体詩と詩的散文

    相馬 庸郎 日本文学 38 (12), 13-23, 1989

    柳田国男の新体詩や初期の詩的散文につき、後年の民俗学の達成点から逆照射して評価しようとする傾向が最近みられるが、それは避けられなければならない。それに対してわたしは、新しい時代における「夕暮情緒」を歌った詩、「清き君」という語に象徴される独自な恋愛詩、近代日本人の持つ故郷意識を歌った詩、近代詩史上「抒情小曲」と言われるものの先蹤になっている小詩などに、初期の柳田が持っていた詩的感性の特徴を見てゆ…

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