検索結果を絞り込む
多ヶ谷, 有子 関東学院大学人文学会紀要 135 121-149, 2016-12
...その結城家を再興したのは、結城合戦時の当主の結城氏朝の遺児である結城成朝であると最近の歴史概説の諸書は断定する。だが成朝は実は結城重臣の山川の子であるとの根強い説がある。一方成朝を擁立して、再興した鎌倉公方の足利成氏のもとを訪れたのは結城一族の多賀谷氏家であった。ここになぜ氏家が、裏切って上杉についた山川の子を命を懸けて抱いて戦場から脱出し、擁立したのかという謎が生じる。...
機関リポジトリ Web Site