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検索結果 2,452 件

  • 日本統治時代台湾教育史の基本史料と台湾における近年の研究概況について

    許 佩賢 世界の日本研究 2023 22-31, 2024-03-25

    本論では、日本統治時代台湾教育史研究に関する基本史料と研究動向を概説することで研究の手引きとしたい。全体を4節に分け、前半2節では、当時刊行された史料と各行政機関の文書を紹介する。第3節では近年刊行された台湾教育史に関する大部な史料集成を取り上げ、最後の第4節では最近の研究状況について触れる。本論を通して、台湾における台湾教育史の基本的な知識を提供するものである。

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  • 歴史的文書データセットの文字矩形情報を用いた行単位画像からの文字列予測と文字セグメンテーション

    山田 雅之, 目加田 慶人, 長谷川 純一 情報処理学会論文誌 65 (3), 754-766, 2024-03-15

    ...明治から戦前期までの日本の公文書は古語的表現や旧漢字が多用された手書き文書であり,近代古文書の知識がなければ解読は容易でない.我々は近代公文書の自動解読システムの構築をめざし,データセット開発と文書認識手法の検討を行っている.本論文ではこれまでに開発した近代公文書データセットと行画像認識手法について述べる.データセットは台湾総督府文書を題材とし,約4,500の文書画像の114万文字分の字種ラベルと文字矩形...

    DOI 情報処理学会

  • 日本統治時代台湾における建物疎開の過程

    高田 勇気 日本地理学会発表要旨集 2024s (0), 44-, 2024

    ...</p><p>台湾総督府内では,1944年前半には建物疎開に対しては消極的であり,1944年4月に黒澤平八郎(台湾総督府防空課長)が台湾で人員疎開を行う方針を表明した際,「内地とは大分事情を異にしてゐる本島では,現在内地で相当思ひきつて行はれてゐる生産疎開,防火都市構成のための建物の疎開は原則として行はない。」と述べている。...

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  • 《論文》佐野友三郎:台湾総督府時代を中心に

    小黒 浩司 図書館界 75 (4), 220-240, 2023-11-01

    ...<p> 県立秋田図書館や県立山口図書館の館長として,日本の近代公共図書館発展の礎を築いた佐野友三郎は,図書館界に身を投じる前の1895年から1899年までの約5年間,草創期の台湾総督府に勤務していた。本稿では佐野が総督府の開設要員として台湾に渡り,幹部官僚として初期総督府行政を担っていたことを台湾総督府文書などからたどる。...

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  • 台北市区改築(明治45年)に関する研究

    五島 寧 都市計画論文集 58 (3), 992-999, 2023-10-25

    ...制度面での台北市区改築は,台湾総督府・台湾銀行・台湾土地建物株式会社・沿道権利者の民事契約であった。植民地黎明期の環境が,各利害関係者の経済的なリスクの少ない資金スキームをもたらした。</p>...

    DOI Web Site 参考文献1件

  • <論説>第二辰丸事件と仲裁裁判

    箱田 恵子 史林 106 (5), 571-610, 2023-09-30

    一九〇八年二月マカオ沖で清朝が日本船籍の第二辰丸を武器密輸容疑で拿捕した事件は、日本との外交問題に発展した。この第二辰丸事件に関する研究は、交渉妥結後の反日ボイコットに集中してきた。だが、清朝外務部が英国海軍提督の仲裁裁判(公団)による解決を提案したことは、内外の新聞報道を通じて予想外の影響を引き起こしており、この件は日清と仲裁裁判をめぐる議論に新たな視点を与えてくれる。まず、当時の日本は仲裁裁…

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  • 台湾総督府公文書「紅頭嶼流行病調査復命書」

    足立, 崇, ADACHI, Takashi 大阪産業大学論集 人文・社会科学編 48 111-120, 2023-07-28

    台湾本島の南端から東へ74kmのところに蘭嶼という火山島がある。ここには台湾原住民族のヤミと呼ばれる人々が暮らしている。日本統治時代,蘭嶼は紅頭嶼と呼ばれ,ヤミの人々は傾斜地に半地下の独自の家屋に建て,自給自足の生活を行っていた。この紅頭嶼で1916年に流行病が発生し,多くのヤミの人々が亡くなった。本稿は,このとき行われた流行病調査の報告書類を一部翻刻するものである。

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  • 後藤新平と拓殖大学 ―後藤新平文書から判明した台湾協会時代からの絆

    伏見, 岳人, Fushimi, Taketo 拓殖大学国際日本文化研究 6 105-140, 2023-03-25

    ...草創期の台湾協会学校に対する台湾総督府の補助金交付や、日露戦後の東洋協会への組織改編過程、桂没後の小松原会長時代の拓殖館設立構想などに関する後藤の関与の実態を明らかにした上で、大正八(一九一九)年に小松原の後を継いで東洋協会会長と拓殖大学学長に就任する過程を、当時の資料からあらためて再現し、植民地経営に尽力する人材育成に後藤が強い関心を抱いていた様相を歴史資料から考察する。...

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  • 旧外地関係資料の保存と継承 ―拓殖大学所蔵旧外地関係資料を例として

    長谷部, 茂 拓殖大学国際日本文化研究 6 1-36, 2023-03-25

    現在「旧外地」と称される、戦前日本の植民地等海外における支配地域であった台湾、朝鮮、満洲(中国東北部)、南洋等は、これらの地域で働く日本人青年を育成するために創設された拓殖大学(創設当時は台湾協会学校)にとって、格別な地域であった。学生は入学する時点で、卒業後は外地で働くことを誓約し、実際、卒業生の六割以上、数千人が海外に赴任し、現地で公私の事業に従事した。「旧外地」は、卒業生にとっては生活の基…

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  • フランス知識人が見た日本の大陸・植民地政策(六) ―ヴィシー政権の政治家と仏印進駐―

    モロジャコフ, ワシ―リー 拓殖大学国際日本文化研究 6 37-59, 2023-03-25

    ...一八九四~一九六四年)、植民地大臣であったアルベール・リヴィエール(Albert Rivière; 一八九一~一九五三年)、アンリ・レムリ(Henry Lémery; 一八七四~一九七二年)とシャルル・プラトン海軍小将(Charles Platon;一八八六~一九四四年)の三人、国防大臣マキシム・ウェイガン陸軍上級大将(Maxime Weygand; 一八六七~一九六五年)、極東艦隊指揮官のちインドシナ総督...

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  • 青少年期の福島安正と情報活動の起源

    澤田, 次郎, Sawada, Jiro 拓殖大学論集. 人文・自然・人間科学研究 48 1-27, 2022-10-31

    ...第四に、陸軍文官時代、フィラデルフィア万博に派遣され、さらに西南戦争に征討総督本営付の書記として参加した福島は、戦場から送られる情報を取り扱う任務につき、これが彼の軍事情報活動の出発点となった。 第五に、以上の過程で福島の中で形成された根本的な価値観は、刻苦勉励して身を立て、家名を揚げ、さらに「皇威ヲ海外萬国ニ輝カサン」というものであった。...

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  • [論文] 乾隆帝の勅諭と第2次澳門占領事件

    村尾, 進 国立歴史民俗博物館研究報告 239 39-74, 2022-09-30

    ...1793年のマカートニー使節団に続く,イギリスによる1808年の第2次澳門占領事件(長崎におけるフェートン号事件をその一環としていた)は,中国沿海地方の天津・寧波・舟山と接続する澳門の占領を企て,さらに澳門と省城の間の境界を越えて,深く東アジア海域内に入り込み長崎に到ったという点において「広東体制」の領域の外部に逸脱し,同時に軍隊を率いた海軍少将ドルリーが澳門から省城広州に進入し総督との会見を要求したという...

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  • 田代安定の台東調査と『台東殖民地予察報文』

    やまだ, あつし 人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures 38 149-166, 2022-07-31

    ...『台東殖民地予察報文』で述べられた構想に限らず、田代の構想が当時の台湾総督府首脳部に取り上げられることは少なかった。『北海道殖民地撰定報文』など同種目的の報告書と『台東殖民地予察報文』の細部とを読み比べると、田代の計画の細部は、現実の殖民地開拓では成功し得ない構想が多い。それが恐らくは田代の構想が首脳部に取り上げられなかった理由であろう。...

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  • フランス陸軍将校が見た台湾近代史の転換期,1896年秋

    モロジャコフ, ワシ―リー 拓殖大学台湾研究 6 55-66, 2022-03-25

    ...台湾の日本統治時代初期は,下関講和条約(1895年4月17日)と日本軍の最初の台湾出兵(1895年5月29日,基隆)から児玉源太郎陸軍中将の台湾総督任命(1898年2月26 日)に至る時期で,台湾近代史の転換期であった。その時期に台湾を訪問した欧米人は少数で,彼らの残した記録には史料的価値がある。...

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  • 押川則吉と台湾総督府殖産部(1895~1897)

    やまだ, あつし 人間文化研究 = Studies in Humanities and Cultures 37 119-130, 2022-01-31

    ...押川が総督府を辞した後、乃木希典総督時代半ばの1897 年10 月、台湾総督府は組織改革を断行した。部は廃止されて部内の4 課はそのまま4 掛となり、殖産部は殖産課へと縮小された形へとなった。そして、児玉源太郎と後藤新平の時代になると、今度は1898 年7 月に4掛から2 掛(農商・拓殖)に縮小された。...

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  • ジャスチンと八田與一

    武長 玄次郎, 上村 繁樹 土木学会論文集D2(土木史) 78 (1), 22-29, 2022

    ...<p> アメリカの土木技術者ジャスチンは,1920年代に半年ほど嘉南大圳事業の中心施設である烏山頭ダムの調査を行った,彼は事業関係者から「斯界の権威」とされており,これまで彼に言及した文献でもそのように言われてきた.実際には訪台期には権威とまでは言えなかったが,烏山頭ダムについては鋭い意見を述べている.ジャスチンとの関わりは,八田與一とその周辺に大きな印象を残した.台湾総督府側は招聘の際に十分な準備...

    DOI Web Site 参考文献6件

  • インドシナにおける科学の始動

    鈴木 伸二 史学雑誌 131 (4), 27-50, 2022

    ...キャピュは一八九七年にインドシナ総督のポール・ドゥメールから招聘され、インドシナで農商務局を設立した。同局は農業部、地質部、気象観測所、森林部、獣疫医務部といった部署や、商業部門、出版室、博物館、植物園、農業試験場、農学校、研究所を有する多様な組織だった。キャピュは研究の成果、とりわけ作物の順化に関する研究成果を植民地行政に組み込み、植民者や現地人に還元しようとした。...

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  • 実世界と結びついた算数・数学教材の展望―国定算数教科書『カズノホン』を中心に―

    瀬沼, 花子 玉川大学教師教育リサーチセンター年報 (11) 33-46, 2021-12-15

    ...(1)実世界と結びついた算数・数学、(2)『カズノホン』の位置づけ、(3)『カズノホン』教材の『児童用』『教師用』(以上、文部省)、『カズノホン取扱上の注意』(台湾総督府)の実世界の観点からの考察。  (1)はなぜ実世界に着目するのかを筆者の研究や経験をもとに(2)(3)に連なる問題意識を述べたものである。(2)と(3)は今回新たに分析を行ったもので、主な知見は次の通りである。...

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  • 韓国・朝鮮民俗学者宋錫夏における郷土芸術(民俗芸能)の展開

    金 廣植 人文學報 118 39-59, 2021-11-30

    ...とくに,郷土芸術・娯楽を捉えるためには,民俗学者だけではなく,総督府,地域社会,芸能者,マスジャーナリズムのそれぞれの動向を踏まえた関係性の把握が重要になる。本稿では,この時期の郷土芸術・娯楽に大きく関与した宋錫夏を中心に考察する。宗は,日本の「郷土舞踊と民謡の会」を参考に「朝鮮郷土舞踊民謡大会」などの運営に携わる。...

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  • 台湾におけるミンゾク学の萌芽と日本民俗学 --研究者の動向と物質文化研究に着目して--

    角南 聡一郎 人文學報 118 83-96, 2021-11-30

    ...柳田は台湾総督府による台湾原住民調査の成果を参照しながら,山人論を構想したことは注目される。日本国内での台湾への注目は,当時の民俗学関係雑誌に掲載された論文からも明らかである。台湾でも『南方民俗』,『民俗台湾』といったミンゾク学関連の学術雑誌が刊行された。台湾では研究者の人数も限られていたため,多分野の研究者との関係は密接であった。...

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  • ある在朝日本人詩人の流浪 : 朝鮮総督府鉄道局職員・山部珉太郎

    森田 智惠 社会科学 51 (1), 33-66, 2021-05-31

    ...本稿でとりあげる山部珉太郎は、朝鮮総督府鉄道局の職員として官側で働きながらも同僚らとプロレタリア文藝誌を発行し、それが官憲側から発売禁止の処分を受ける。以降もなお山部は社会運動への関心を抱きながらも戦時期になると植民地支配政策を推進する目的で総督府鉄道局から刊行された雑誌の編集長となる。...

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  • 寺内正毅をめぐるイメ―ジの拡散過程 : 寺内文庫の収蔵品に関する問題を素材として

    渡辺, 滋 山口県立大学学術情報 14 21-39, 2021-03-31

    ...陸軍大臣・朝鮮総督・首相などを歴任した寺内正毅は、「寺内文庫」と呼ばれる蔵書コレクションを残している。後世、このコレクションをめぐって、不正に入手された財宝や美術品が大量に含まれているというデマが広まり、最終的には国家間の交渉や学術書における関連叙述にまで大きな影響を及ぼす事態となった。本稿では、こうしたデマの拡大過程を具体的に検討したうえで、その発生経緯や背景を解明していく。...

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  • 台湾台北市旧大正町にみる日本の夜の街の言語景観

    熊谷 美咲, 山下 書子, 姚 矞馨, 池田 真利子 日本地理学会発表要旨集 2021a (0), 76-, 2021

    ...日本語話者向け言語表記に関しては,韓国の日本人居住区での言語景観の特性を明らかにした磯野(2012)や海外観光地における多言語表記の中の日本語を扱った高ほか(2015)が挙げられる.しかし,既往研究では,夜の街において日本人を対象とした言語景観は注目されてこなかった.本研究は,台湾台北市旧大正町(現,台北市中山区)を対象に,夜の街における言語景観の特徴を明らかにすることを目的とする.日本統治時代,台湾総督府...

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  • 昭和戦前期における帝国内政治

    村瀬 啓 史学雑誌 130 (1), 39-65, 2021

    ...しかし結果的には、農林省の試みは朝鮮総督府の強い反対と拒否権の前に挫折することになる。農林省にとって、総督府との二者間交渉によって自らの主張を通すことは困難だったのである。<br>   他方で農林省は、満洲国に対しては自らの利害を主張することができた。まず農林省は、日満産業統制委員会における満洲開発政策の形成に参画した。...

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  • 日本帝国における森林の開発と保全

    中島 弘二 林業経済研究 67 (1), 3-15, 2021

    ...日本統治下の台湾について,日本帝国の「南進」における台湾の位置付けという観点から,台湾林政の推移を検討するとともに,台湾総督府の林業試験研究機関における試験研究の検討を通じて,帝国林業における森林管理の一端を明らかにした。...

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  • 第二次アヘン戦争と清朝の情報伝達

    殷 晴 史学雑誌 130 (10), 59-83, 2021

    本稿では第二次アヘン戦争において、清朝政府がどのように相手国の情報を収集し、どのように軍事行動と対外交渉に関する情報を官僚そして一般民衆に知らせたのかを考察した。清朝政府の第二次アヘン戦争における情報伝達は、1840年代以来の対外情報の収集・共有・公表のあり方を継承したものであり、従来の仕組みの問題点を露呈させることにもなった。<br> …

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  • 京都舎密局の写真事業 --公文書と写真資料から--

    大塚 活美 人文學報 115 131-155, 2020-06-30

    ...それをまとめると, 京都舎密局の写真事業の特徴として, (1)府が新設した役所・学校等の公共施設, 新たに整備された道路・橋梁などを優先的に撮影したこと, (2)後醍醐天皇所縁の史跡である笠置など, 皇室に所縁の場所を撮影したこと, (3)写真を京都博覧会, 内国勧業博覧会, 万国博覧会など, 国内外の博覧会に出品したこと, (4)そこでの写真販売, (5)皇室, 香港総督, 英国王子など, 京都府...

    DOI HANDLE Web Site 参考文献52件

  • 未完の台湾 ; 黒谷了太郞が描いた夢と現実

    河原林 直人 経済学雑誌 120 (2), 79-93, 2020-06

    ...これらの研究と先行諸研究との最大の違いは,実際の「工業化」の様態を分析対象とするのみならず,台湾總督府(以下,総督府と略す)が抱いた「構想」を俎上に載せて,通説的に理解されてきた当時の台湾「工業化」について,異なる理解を導き出し得る可能性を見出したことにある。……...

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  • 台湾原住民族の森林利用- 「山田焼墾」の再発見

    小池 浩一郎 日本森林学会大会発表データベース 131 (0), 14-, 2020-05-25

    ...日本の台湾総督府は全島を統治する必要から「旧慣」を幅広く調査することとした。ここで官僚や大学構成員でない「冒険科学者」と呼ばれる一群が出現した。森丑之助や鹿野忠雄などの存在である。かれらは総督府の嘱託などとして原住民の居住する深山に長期踏査をおこなった。...

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  • 19世紀初頭のインド派遣書記教育

    倉橋 愛 南アジア研究 2018 (30), 36-52, 2020-03-31

    ...<p>インドで統治業務に就く文官の質を高めるべく、1800年にウェルズリー総督(Richard Colley Wellesley, 1760-1842)によって、カルカッタ(現コルカタ)にフォート・ウイリアム・カレッジが設立された。本稿においては、同カレッジにおいて実施された試験と、ディベート大会である公開討論会について取り上げている。...

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  • 葉石濤作品のなかの「日本」 ─「獄中記」を中心に─

    迫田 博子, SAKOTA Hiroko 人間文化創成科学論叢 22 77-84, 2020-03-31

    ...1895年台灣割讓給日本之後,台灣總督府的治台政策中,包括了以日本古典和歌(短歌)來推進皇民化教育培養日本精神。男主角聽到了一首和歌後深受感動;顯而易見他對日本古典文學擁有強烈的情感認知。台灣從五十年代開始瀰漫白色恐怖,六十年代亦是風聲鶴唳的時代。然而在政治時局的壓抑下,葉石濤為何卻在作品中闡述日本意像?背後是否有刻意隱喩的意旨或深層意涵呢?這是本文往後試圖欲進一歩探討的重點。...

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  • 『京城日報』に見るソプラノ歌手 永井郁子(1893〜1983)の朝鮮楽旅

    津上 智実, Motomi TSUGAMI 女性学評論 = Women's Studies Forum 34 43-62, 2020-03-20

    ...本稿は、朝鮮総督府の機関紙『京城日報』の調査によって、永井郁子(1893〜1983)の6度に及ぶ朝鮮楽旅の全体像を明らかにすることを目的とする。調査の結果、41点の記事(1928〜1932)が見出され、永井の朝鮮楽旅は『京城日報』 によって口火が切られ、その後、民間新聞の『釜山日報』や『朝鮮新聞』に引き継がれていったことが判明した。...

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  • 植民地統治前半期台湾における法院通訳の使用言語 : 北京官話への依存から脱却へ

    岡本 真希子 社会科学 49 (4), 225-254, 2020-02-28

    本稿は,日本の植民地統治下台湾における法院通訳の使用言語について,統治前半期(1898~1918年)に焦点をあてて検討し,北京官話への依存と脱却の過程を明かにする。第2章では台湾社会における言語使用状況を,1905年の臨時台湾戸口調査を用いて確認する。第3章では法院通訳の使用言語(官話/「土語」)に関する論争を,通訳制度(複通訳制度/単通訳制度)のあり方とともに検討する。第4章では,高等官法院通…

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  • 朝鮮総督府鉄道局による複斜材型トラス橋梁の開発と耐弾性能

    高橋 良和, 小嶋 進太郎, Mya San WAI 土木学会論文集D2(土木史) 76 (1), 16-31, 2020

    ...<p> 本研究では,第二次世界大戦末期に朝鮮半島で建設された複斜材型トラス橋梁について,朝鮮総督府鉄道局の小田彌之亮技師による回顧や当時の雑誌等の記述を組み合わせることにより,その開発の経緯を整理した.戦争時に爆撃の対象となる重要構造物である橋梁について,昭和10年代に行われた耐弾性能を高めるための技術的検討を整理し,内的・外的不静定,吊構造などの異なる技術の組み合わせ(多様性)を推奨していたこと,...

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  • 台湾総督府林業試験所と帝国林業

    中島 弘二 日本地理学会発表要旨集 2020a (0), 156-, 2020

    ...<p>本発表では日本統治下の台湾総督府林業試験所における林学研究の展開過程に焦点を当てることで、帝国の自然をめぐる科学的知識の生産と実践の諸相を明らかにすることを目的とする。...

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  • 「ユニークベニュー」としての文化財活用の現状とその課題

    于 濰赫, 池田 真利子 日本地理学会発表要旨集 2020a (0), 146-, 2020

    ...日本統治時代,台湾総督府は庁舎や住宅,工場等の近代的建設を行った。戦後,台湾政府は実用主義的に,工場などの建造物の使用を続けた(Zang 2019)。その後,都市域の拡大と郊外化により,工場は郊外移転を進め,都心に残された工場や社宅跡地は利用がされなくなった(李2013)。その後,1980年代から1990年代にかけて,台湾の若者が文化的中心として使用を開始した。...

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  • 植民地台湾における草創期の林学と田代安定

    米家 泰作 日本地理学会発表要旨集 2020a (0), 99-, 2020

    ...また,研究者としての側面と,台湾総督府の植民地統治を支えた技官としての側面があり,その多面的な人物像の検討が進んでいる(呉2008,中生2011)。</p><p></p><p>田代と台湾の関わりは,日清戦争時の澎湖諸島占領に随行し(1895年),自生植物の目録と「植樹意見」を作成したことに始まる。田代は創設された台湾総督府に勤め,主として林政と先住民統治に関わった。...

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  • 台湾総督府中学校における手工教育(その2)

    鷲山 靖 美術教育学研究 52 (1), 385-392, 2020

    ...<p>本論は,台湾総督府中学校における手工教育の研究にあたり,明治及び大正期の台湾総督府中学校第一部における手工教育の実際を考察するものである。関係文献を調査した結果,台湾総督府中学校は,実科(手工)の担当教員を一名雇用し,手工教室を建築し,身体の訓練や手指の練習を主とする科目として午後の教育課程に実科(手工)を位置付けた。実科(手工)は,明治44年より第一学年から第六学年までの必須科目となった。...

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  • 植民地台湾における手押台車軌道の発展過程と地域社会において果たした役割に関する検討

    廣野 聡子 日本地理学会発表要旨集 2020s (0), 266-, 2020

    ...特に、台北で総督府鉄道と同様の規格(軌間1067mm)で敷設された台北鉄道は炭鉱開発と台北の市街地拡大を背景に、総督府の全面的な支援のもと資本金100万円で設立され1921年に開業したが、建設・開業が第1次大戦から戦後不況に跨ったため、建設費が高騰した一方、開業後の利益が予期したものとならず、経営状況は極めて不良であった。...

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  • 台湾における武徳殿の成立と波及

    西川 博美, 中川 理 日本建築学会計画系論文集 85 (767), 171-181, 2020

    <p> This paper discusses the historical perspectives and social significance of the Butokuden martial arts halls that were built and managed by the official branches of the Dai Nippon Butoku Kai …

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  • カナダ,沿海諸州におけるフランス系住民アカディアンの記憶と継承

    大石 太郎 日本地理学会発表要旨集 2020s (0), 146-, 2020

    ...<p>Ⅰ はじめに</p><p></p><p> 国家やエスニック集団の記憶は,そのアイデンティティ形成に重要な役割を果たしており,それらは博物館やイヴェントを通じて強化され,継承される.たとえばカナダでは,実質的な建国記念日であるカナダ・デーを祝うイヴェントが首都オタワの連邦議会議事堂前広場において総督や首相が出席する国家行事として開催され,二言語主義や多文化主義といったカナダの国是に沿った演出がなされてきた...

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  • 1600〜1910年の朝鮮半島における風水害記録の残存状況およびその分析

    小林 雄河 日本地理学会発表要旨集 2020s (0), 308-, 2020

    ...</p><p></p><p>文 献</p><p>和田雄治 1917.朝鮮古代観測記録調査報告.朝鮮総督府観測所『朝鮮古代観測記録調査報告』30-78.朝鮮総督府.</p><p>朝鮮総督府 1928.『朝鮮の災害』朝鮮総督府.</p><p>小林雄河 2016.17世紀以来の日本における台風活動の復元.陝西師範大学修士学位論文(中国語)....

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  • 金平亮三と西欧科学者

    三島 美佐子 日本地理学会発表要旨集 2020a (0), 187-, 2020

    ...一方、南洋の植物については、台湾総督府着任後まもなく東南アジア〜ミクロネシアの有用植物調査に派遣されたことが、後の九大時代におけるニューギニア〜ミクロネシアにおける植物誌研究の素地となっている。200種を超える新種記載を含め、10万点近いさく葉・果実・材鑑のコレクションは世界的に知られており、台湾・九大時代の知見を総括した植物誌は現在も評価が高い(金平1933)。...

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  • 『台湾日日新報』に見るソプラノ歌手永井郁子(1893~1983)の台湾楽旅

    津上 智実, Motomi TSUGAMI 神戸女学院大学論集 = KOBE COLLEGE STUDIES 66 (2), 95-111, 2019-12-20

    ...に永井が行なった演奏会のせいぜい半数程度しか報道していないこと、内6つの演奏会については演奏曲目の詳細が明らかになり、他の3つについてはプログラム構成の大枠が知られること、第三回については当時の拓務相永井柳太郎の勧めで渡台し、多数の小学校・公学校・高等女学校・師範学校で独唱会を行なって、永井柳太郎作詞、宮良長包作曲の〈新日本建設の歌〉を歌い、かつ児童生徒に歌わせたこと、永井の渡台を組織したのは台湾総督府...

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  • 「南進基地台湾」構想の変遷と井出季和太の業績

    長谷部, 茂 拓殖大学国際日本文化研究 2 1-31, 2019-03-29

    ...本稿は、二〇一八年三月『国際日本文化研究』創刊号に発表した研究ノート「井出季和太の南洋・華僑調査―南進基地台湾のインテリジェンス」を踏まえ、日本の領有以来、台湾を「南進基地」とする構想が、どのような方針のもとで実施され、またそれが、日本の南進政策の中でどのように変化していったのかを、日本の南洋調査研究の先駆であった台湾総督府官房調査課で長年、調査研究に携わった井出季和太の視点から解明し、併せて井出が...

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  • 記紀による「一国一神話化」と檀君神話

    北山, 祥子 北方人文研究 12 69-87, 2019-03-25

    ...本稿は、建国神話が国民形成と国家推進にもたらす影響力に注目し、朝鮮総督府統治下における朝鮮と日本の建国神話の位相について考察する。植民地朝鮮で起きた「檀君論争」では、日本人研究者による圧倒的な檀君否定が支配的であり、その根底には、多様な神話群を認めない記紀の排他的な「一国一神話化」の論理があった。...

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  • 明治期における廃寺復興 : 相模大山寺

    飯田, 隆夫 佛教大学総合研究所紀要 26 1-18, 2019-03-25

    ...実乗は、相模大山寺別当に一八六八年三月着任直後、総督府より大山寺の立退きの宣告を受け、直後立退と本尊の山外移転を決めた。大山麓民は即時にこのことに反対し、本尊を山内に留めた。一八七六(明治九)年、俄かに本尊を納める不動堂再建の動きが起こり、麓村民・明王寺他子院・大工棟梁景元の三者で再建協議を開始した。...

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  • 米軍政期韓国におけるプロテスタントと国家権力

    白, 恩正, BAEK, Eunjeong SOCIOLOGICA 43 (1・2), 75-98, 2019-03-20

    ...米軍政期の各界の韓国人リーダーは、戦前は朝鮮総督府の下位パートナー、戦後は米軍政の下位パートナーとなり、やがて戦後韓国の新しい政治権力へと成長した。この背景として米軍政が人材を登用する際、英語能力、親米派、反共産主義者である点は重視しながらも、戦前の親日経歴は問題視しなかった点を挙げられる。これは民族主義者、反米者、左派、中道派が排除されたことを意味する。...

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  • 台湾人の東南アジア進出の歴史的展開 ―1930~40年代のタイを中心に―

    玉置, 充子, Tamaki, Mitsuko 拓殖大学台湾研究 3 27-53, 2019-03-08

    ...タイの籍民は,台湾総督府の後押しで1930 年代末から急増した。彼らは日本商社と関係が強く,進出が遅かったゆえに組織化され,在留邦人社会に組み込まれて日本のタイにおける経済活動を支えた。戦後は多くの籍民がタイに残留し,「台湾系華僑」としてタイの華僑社会の一員となった。元籍民は高い日本語能力と戦前の日本商社とのつながりを武器に,1950 年代の日本のタイ再進出を助けると同時に,自らの事業を拡げた。...

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  • 植民地統治初期台湾における法院通訳の人事 : 制度設計・任用状況・流動性

    岡本 真希子 社会科学 48 (4), 79-106, 2019-02-28

    本稿は,日本の植民地統治下にあった台湾において,法院に任用された通訳について,統治初期(1896~1910年)に焦点をあてて検討するものである。第2章では法院通訳をめぐる制度設計について,その待遇と定員数から検討する。第3章では,在任者の状況を3つの時点を定点観測的に検討し,副通訳の存在や台湾人通訳の存在にも留意しながら考察する。第4章では,法院在任者の実数の変遷を民族別の数値も視野に入れながら…

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  • 日清・日露戦争期の日本の気象観測網の拡大と電信線

    小林 茂 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 209-, 2019

    ...他方、中国沿岸気象ネットワークの一環であった台湾の海関の観測データは、日本の領有後も香港や徐家匯との交換が継続されたが、短期間におわり、以後は台湾総督府の観測所との交換に切り替えられた。また台湾とマニラとのデータ交換も開始された。...

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  • 旧フランス領インドシナにおける気象観測史

    遠藤 伸彦, 松本 淳 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 65-, 2019

    ...日本・ベトナム・フランス・米国水文気象当局の図書室ならびにフランス国立図書館に所蔵されている旧フランス領インドシナ(以下,旧仏印)の気象に関連する出版物に基づき,植民地時代の旧仏印の気象観測の歴史をとりまとめた.旧仏印気象局が設立される以前はフランス海軍の軍医が気象観測を行っていた.旧仏印気象局が設立された後は,気象観測網が年々拡充されたが,その業務は旧仏印総督府の政策によって強く規制されていた.収集...

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  • 帝国日本における気象観測ネットワークの構築

    山本 晴彦 日本地理学会発表要旨集 2019s (0), 160-, 2019

    ...<br><br>3.朝鮮総督府観測所の創設<br><br>2年後の1910年8月には韓国併合に関する条約(日韓併合条約)により韓国が日本に併合される。9月には勅令第三百六十号『朝鮮総督府通信官署官制』が発布され、観測所は通信局所管となり、再び中央気象台の気象観測ネットワークに組み込まれ、外地(台湾・朝鮮・満洲・関東州・樺太)での気象業務が展開していくこととなる。...

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  • 日本統治期の台湾における渡航制度の形成 --1897年5月8目前後をめぐって--

    巫, 靚 人間・環境学 27 169-181, 2018-12-20

    ...その期限が近づくと, 台湾総督府は, 周辺在外公館や外務省本庁と協議のうえで渡航政策を含めた新たな制度の制定に迫られた. 本稿は1897年前後という台湾住民の国籍選択期に焦点をしぼって, 台湾総督府が定めた日本内地人, 台湾住民, 清国人に対する各渡航政策の成立過程を分析し, 初期の渡航政策がいかに決定され, また互いに影響しあったのかを明らかにする....

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  • 台湾総督府文書目録の計量分析に向けて

    村井 源, 川嶋 稔夫 情報知識学会誌 28 (2), 79-84, 2018-05-26

    ...<p> 台湾総督府文書は戦前の台湾統治における日本政府の公式行政文書集であり、保存状態が良好で研究に利用可能な形で一般公開されている.そのため,当時の日本政府の資料が未だに全面公開されていない状況において非常に希少性の高い歴史的資料となっている.文書本体は現在中京大学においてデジタル化が試みられてきている.その中ですでにデジタル化の終了した明治期の目録部分を対象に計量的な手法を用いて,当時の行政文書...

    DOI Web Site Web Site 被引用文献1件

  • 井出季和太の南洋・華僑調査 ─南進基地台湾のインテリジェンス─

    長谷部, 茂 拓殖大学国際日本文化研究 1 75-95, 2018-03-30

    ...第二代台湾総督桂太郎の「台湾統治に関する意見書」にあるとおり、領有以来、台湾は日本の南進基地としての役割を期待されていた。植民地台湾を拠点として中国沿海及び南洋地域に展開された調査事業は、貿易、資源、風俗習慣から政情、人心の帰趨にまで及んだ。井出季和太は、二十年にわたる総督府官吏としてのキャリアのほとんどをそのような調査事業に費やした。それは退官後も満鉄東亜経済調査局で続けられたのである。...

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  • Fully-CNNを用いた近代公文書画像からの文字検出

    高木, 裕平, 山田, 雅之, 目加田, 慶人, 長谷川, 純一, 中, 貴俊, 宮崎, 慎也 第80回全国大会講演論文集 2018 (1), 631-632, 2018-03-13

    ...本研究では、近代公文書の題材として台湾総督府文書を利用した。抽出済みの字形データから文字の矩形部分を白画素、それ以外を黒画素とした画像を教師データとし、Fully-CNNで学習することで背景除去フィルタを作成した。本研究では、正確に矩形できる数が増加し、検出の精度を高めることができた。...

    情報処理学会

  • 中国の都市観光振興における近代歴史的遺産の意義と活用方策

    張 海燕 観光学評論 6 (2), 141-152, 2018

    ...しかし、青島市の近代歴史的遺産、すなわち旧ドイツ膠澳総督邸、「万国建築博物館」と称される八大関建造物群、青島ビール工場等は、「青い空、透き通った海、赤い屋根」という都市景観のコアとして観光客の誘致に成功し、都市観光を振興させたのである。...

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  • フォート・ウイリアム・カレッジの開講科目

    倉橋 愛 南アジア研究 2017 (29), 124-143, 2017-12-31

    ...フォート・ウイリアム・カレッジ(FWC)は、1800年にインド総督ウェルズリー(Richard Wellesley, 1760-1842)によって、カルカッタ(現コルカタ)に設立された。このカレッジの目的は、インドの政府機関に配属される予定のイギリス東インド会社若手官吏に、インド統治業務に必要な教育を行うことであった。...

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  • 「山上公学校沿革誌」 : 植民地台湾の教育史

    北村 嘉恵 北海道大学大学院教育学研究院紀要 129 240-187, 2017-12-22

    ...これら分校を前身とする、8つの国民小学(うち2校は廃校跡)の調査に基づき、個別の学校史を超えて〈地域〉における公立(総督府認可)初等学校存立の意味を捉え直していくための基礎作業を進めるものである。...

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  • 日本学童使節のイベント化とその政治的利用 : 満州国と少女・少年

    是澤 博昭 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 206 129-162, 2017-03-31

    ...さらに昭和九年初頭、日本学童使節をモデルにした皇太子誕生を祝う二つの学童使節が『大毎』・『東日』と朝鮮総督府の御用新聞『京城日報』の主催で企画実行される。その方法論は、国家への帰属意識を高めるイベントへと応用され、主人公も少女から少年へと交代するのである。...

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  • 日本植民地の産業化と技術者 : 台湾糖業を事例に(1900-1910年代)

    平井 健介, Kensuke HIRAI 甲南経済学論集 = Konan economic papers 57 (3・4), 1-30, 2017-03-30

    ...本稿は, 日本植民地の産業化を支えた技術者がどのように供給されたのかを明らかにするため, 台湾の製糖業を取り上げ, 総督府の研究機関および製糖会社に所属した技術者を考察した。第1 に, 技術者の供給源について, 総督府の研究機関の全技術者, 製糖会社の上層技術者を対象に調査し, 製糖業で必要とされた3 つの技術体系(誘引技術, 蔗作技術, 製糖技術) のうち,蔗作技術者の上層人員は北大によって, 基層人員...

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  • <論説>清末西江の「海賊」 : 「緝捕権」問題と貿易・航運 (特集 : 海)

    村上 衛 史林 100 (1), 106-140, 2017-01-31

    ...一方、両広総督はその両方に反対し、イギリスが西江の軍艦を増強して圧力をかけたのに対し、イギリス側の主権侵害という形で理解した広州の紳商らの反発が強まる中、海関に監督の意思がないこともあり、双方が妥協、西南号事件の賠償金支払いによりイギリス艦隊が撤収して問題は解決した。結果的に広東省当局は外国人や海関の関与を排除することに成功し、西江においては中国人が商業を掌握、イギリス船籍は減少した。...

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  • 近代日本における朝鮮地誌の出版とその系譜

    米家 泰作 日本地理学会発表要旨集 2017s (0), 100035-, 2017

    ...<br> (4)   日韓併合は,行政や拓殖に有益な『朝鮮誌』(1911年)のような詳細な地誌の出版を促したが,『朝鮮史』編纂事業とは対照的に,総督府による公的な地誌編纂の試みはなく,またアカデミックな地理学者による本格的な朝鮮地誌の試みも生まれなかった。...

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  • 台湾・三峽地域「民権老街」における街路空間の文化的特質

    王 淑宜, 植田 憲 デザイン学研究 64 (3), 3_51-3_60, 2017

    ...(1)三峽民権老街は総督府の命によって再建が開始されたが,建物のファサードに付された装飾文様には,中国式,和式,洋式ならびにそれらの融合型がある。なかでも中国式が最も多く,これは,日本統治下でありながらも当該地域の人びとの主体性に基づいて装飾が施されたことを意味している。(2)建物のファサードに付された装飾文様には,当時の人びとの生活に対する願望が反映されている。...

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  • 近代日本の気象観測蒙の拡大と中国沿岸気象サービス

    小林 茂 日本地理学会発表要旨集 2017a (0), 100079-, 2017

    ...その中心に指定された仁川の臨時観測所に着任した和田雄治は、のちに朝鮮統監府観測所技師、さらに朝鮮総督府観測所長に就任して活躍した。<br><br> 20世紀初期の日本の気象観測網は、このように西欧側設置の観測施設や電信会社、清国と朝鮮(韓国)の海関との複雑な関係のなかで、戦争を契機に形成されたもので、その観測データのレスキューには、このプロセスへの理解が不可欠である。<br>...

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  • 台湾総督府の台湾人対策

    王 麒銘 法政論叢 53 (1), 63-, 2017

    With the Taiwanese devoting their efforts to a political movement against Japanese rule from the late 1910's to 1930's, the government general of Taiwan (Taiwan Soutokufu) took several measures …

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  • 帝国日本の空間フレームと図書館

    高 榮蘭 日本文学 65 (11), 28-39, 2016-11-10

    ...<p>朝鮮総督府が、朝鮮総督府図書館を開館したのは、一九二五年四月である。朝鮮総督府図書館は、一九三五年一〇月に『文献報告』を創刊するまで、すなわち開館から一〇年間も、館報すら発行していなかった。そのため、一九三五年までの間、植民地権力側・あるいはそれと歩調を合わせる形で運営されていた図書館のあり方が窺えるのは雑誌『朝鮮之図書館』ぐらいである。...

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  • 韓国・近代都市景観の再生手法に関する研究

    鄭 一止 都市計画論文集 51 (3), 1008-1015, 2016-10-25

    ...1997年、ソウルの旧朝鮮総督府が撤去されたことは記憶に新しい。象徴的な植民地遺産を壊すことで「歴史の清算」が試みられた(白、2012)。この事件以来、近代建築に対する保全の声は徐々に大きくなり、ソウル駅の保存・活用や旧大法院のリノベーション・活用など近代建築を積極的に地域空間資源として活用する事例が増えてきた。...

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  • 植民地行政のイスラーム認識とその運用

    中尾 世治 アフリカ研究 2016 (90), 1-13, 2016

    ...事件の捜査の検討からは,連合総督が直接介入するトップダウンの捜査によって,現場の行政官の報告が度外視され,「外部」からの「影響」という想定に固執し,捜査が迷走したことを示した。さらに,対応としては,オート・コートディヴォワール首席行政官の独断による「行政的処罰」を高官たちが追認した結果,大モスクのイマームやハムダライ街区の有力者などが収監された。...

    DOI Web Site 参考文献1件

  • 帝国の植民地・占領地支配と「戦後補償」記録の再認識

    金 慶南 アーカイブズ学研究 23 (0), 114-131, 2015-12-31

    ...その結果、日本帝国政府と朝鮮総督府、GHQと従属的日本政府の上意下達式二重決裁構造によって、植民地支配と戦後処理に関する決裁原本はそれぞれ韓国、日本、アメリカ等に分散保存されることが明らかになった。これによって植民地支配とその処理問題を植民地時期・戦後を連続的に把握し、同時に、日本、朝鮮、米国という空間を総合的に考察することで、帝国と植民地・占領地記録をもっと構造的に再認識することが期待される。...

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  • 近世日本における本草学の自立について

    ミヒェル, ヴォルフガング Proceedings of the 5th International Symposium on the History of Indigenous Knowledge (ISHIK 2015) 93-106, 2015-11-01

    Since the pioneering work by the phytopathologist and natural historian Shirai Mitsutarō (1863–1932), the beginnings of genuine native studies on Japanese herbs have been linked to Kaibara Ekiken’s …

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  • 第二次朝鮮教育令成立過程の再検討

    LEE Sung Yup 人文學報 107 131-157, 2015-09-30

    ...また,朝鮮総督府は朝鮮の「特殊事情」を強調する現実論に立っていたが,「内地延長主義」の原則と帝国法制の一貫性を重視する中央政府側(拓殖局・法制局・枢密院など) はこれを容認せず,両者は頻繁に衝突した。結局,この問題は帝国 支配の首脳部同士の話し合いという政治的妥結により解決され,ようやく第二次朝鮮教育令の成立をみるに至った。...

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  • 1910年代における朝鮮総督府の国境警備政策

    松田 利彦 人文學報 106 53-79, 2015-04-30

    ...総督 府・朝鮮憲兵隊は,豆満江岸(間島)・鴨緑江岸の両地域を一体の国境警備問題として認識して いた。 このような認識のもと,総督府は,1910 年代後半以降,国境警備体制の刷新に着手した。 1916 年秋,寺内正毅総督は,朝鮮軍守備勤務規定の改訂を通じて,対岸への憲兵・守備隊の越 境派遣体制を整備した。...

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  • 朝鮮総督府博物館の設立と運営について(1910 - 1921年を中心に)

    金, 泰蓮 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 43 73-90, 2015-03-01

    ...本論文は、朝鮮総督府によって設立された朝鮮総督府博物館(1915‐1945)の設立背景から設立及び1916年の運営の変化を中心に取り上げて、この時期の総督府博物館の性格を検討する。総督府は、1910年から進めてきた先史時代及び古蹟調査を1916年に総督府博物館に統合し、日本内地の「遺失物法」や帝室博物館と関連する「古蹟及遺物保存規則」を公布した。...

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