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検索結果 243 件

  • [論文] 備後「草津」と御家人長井氏 : 領主拠点としての港湾集落 (第四部 遺構とモノからみる武家領主)

    鈴木, 康之 国立歴史民俗博物館研究報告 245 237-255, 2024-02-29

    ...遺跡は,文字資料では明らかにしがたかった中世における民衆生活の実態を明らかにしたことが評価され,集落の住人は文字資料に記されることのない庶民が主体であったと考える傾向が強かった。しかし,発掘調査の成果にもとづき,集落の変遷過程を地域社会の動向のなかに位置づけていくと,集落の成立・停滞・再開発・終焉といった画期に,武家領主の動向が大きく影響をおよぼしていたことが考えられるようになった。...

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  • 中国共産党とポーランド・ハンガリー事件(1956年)の教訓

    齊藤, 哲郎 大東法学 32 (2), 1-16, 2023-03-31

    ...それは、重工業優先政策の行き過ぎを改め、軽工業や農業など民衆生活に直結する部門を重視するよう政策転換したり、百花斉放・百家争鳴運動の実行など政治的自由化を進める一方で、反右派闘争など不満をもつ民衆の抗議行動を「反革命」とみなす両極端の傾向も発生した。その背景には、八全大会における毛沢東と他の指導者の意識の差異のほかに、国内で発生した暴動がハンガリー事件と同種のものとして警戒されたことがあった。...

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  • 法華験記における神仏習合

    辻本 臣哉 印度學佛教學研究 71 (3), 1140-1144, 2023-03-25

    ...,本地である仏・菩薩が衆生を救済するために神として現れるとする,本地垂迹説が登場し,徐々に神仏習合理論の主役となる....

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  • 初期仏教における善巧方便の研究

    Le Huu Phuoc 印度學佛教學研究 71 (3), 988-991, 2023-03-25

    ...用語は明確ではなく,また後世のマハーヤーナ(<i>Mahāyāna</i>)諸経典ほど言及されているわけでもない.しかし,善巧方便と研究することは,初期仏教における説法の形能を明らかにすることにつながる.研究対象は主に,初期仏教における善巧方便について書かれた『ニカーヤ』(<i>Nikāya</i>)と研究書である.調査の結果,筆者は善巧方便という概念が,梵天(<i>Brahmā</i>)が釈尊に衆生...

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  • 『今昔物語集』天竺部における釈迦仏入滅の理解

    柏木, 寧子 山口大学哲学研究 30 17-46, 2023-03-23

    ...何らかの方途を通じて釈迦仏を供養し、一つのささやかな善をなした衆生は、無数の後生の間、絶えず釈迦仏の加護を受け続け、ついに究極的安楽に到達しうる。この世界内の衆生には釈迦仏滅後もその慈悲が及び続けているのであり、末法の世、本朝に生まれた人々も例外でないことを『今昔物語集』天竺部は示唆していると考えられる。...

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  • 国鉄の中長距離輸送特化に関する日韓比較研究

    柴田 卓巳 日本地理学会発表要旨集 2023s (0), 310-, 2023

    ...『植民地鉄道と民衆生活 朝鮮・台湾・中国東北』法政大学出版局.</p><p>高 成鳳 2006.『植民地の鉄道』日本経済評論社.</p><p>柴田卓巳 2022a.短距離交通体系の日韓比較に関する予備的報告,2022年度日本地理学会春季学術大会.</p><p>柴田卓巳 2022b.戦後における鉄道政策の日韓比較―中長距離輸送への特化を巡って―,鉄道史学会2022年度第40回大会....

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  • インド仏教における「衆生世間の歴史」構築

    岡野, 潔 日本佛教学会年報 86 106-128, 2022-08-31

    ...あらゆる生き物、衆生(サットヴァ)は、歴史という大きな縁起の流れの中に生きている。地上の劫初の衆生の歴史を説いた経典として、インド仏教の初期聖典『アッガンニャ経』がある。 その経では、衆生たち(人類)が地上世界の始まりの時期に経験した、神話的な性格が強い歴史的出来事の物語が説き示される。...

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  • <i>Pramānasamuccaya</i>冒頭帰敬偈とカマラシーラの菩提心

    佐藤 智岳 印度學佛教學研究 70 (3), 1145-1150, 2022-03-25

    ...</p><p> そして,衆生利益のために,つまりブッダとなって教示するために,菩薩が“śāstṛ”として修習に発動開始する際の心(あるいは,“jagaddhitaiṣin”としての最後の心)を発趣心(prasthānacitta)として言い表すことはできると考える....

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  • 『摩訶止観』と精神分析

    三輪 是法 印度學佛教學研究 70 (3), 1244-1250, 2022-03-25

    ...<p> 天台大師智顗(538-597)が『摩訶止観』で説く「一念三千」は,不可思議なる対象として人間の心を表した言葉で,三千という数字は法華経の十如是と地獄界から仏界までの十界,そして五蘊世間・衆生世間・国土世間の三種世間の乗数によって導かれている....

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  • 義寂と勝莊の『梵網経』註釈の比較

    法長 (李忠煥) 印度學佛教學研究 70 (2), 878-871, 2022-03-23

    ...If one holds the five gotra theory, there is a difference in the interpretation of the precepts that are aimed at the improvement of other beings 摂衆生戒....

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  • 天台智顗における理と事の構造

    木村 周誠 印度學佛教學研究 70 (1), 20-27, 2021-12-20

    ...<p>In the Tiantai teachings such as <i>yinian sanqian</i> 一念三千 and <i>shijie huju</i> 十界互具, the true reality of “human beings” 衆生法 is often thought to be attained by contemplation of the mind....

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  • 『逆修説法』における法然の阿弥陀仏観

    一ノ瀬, 和夫 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 49 1-14, 2021-03-31

    ...その上で、この三身一体論は、叡山を中心とする浄土教の基盤にある仏性認識に懐疑的であった法然が、その立場を推し進めつつ、なおかつ全ての衆生の救済を可能とするための教理構築を支えるものであった可能性を提示する。...

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  • インド密教における末世観と成就

    藤井 明 印度學佛教學研究 69 (3), 1118-1123, 2021-03-25

    ...<p>密教経軌中には,末世の行者,衆生を形容する種々の記述が認められる.しかしながら,これまでの密教研究においては,密教経軌中の末世観について扱っているものは少なく,各密教経軌中における末世に対する密教行者の思想と,末世への対応がいかになされてきたかを知ることが出来ない.本論文では,<i>Mañjuśriyamūlakalpa </i>(MMK)や<i>Amoghapāśakalparāja </i...

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  • ヒンドゥー教の無縁供養

    虫賀 幹華 宗教研究 95 (1), 49-73, 2021

    ...異常死者や転生先で苦しむ死者と祭主との関係性の不問、輪廻思想による時空を超える対象の広がり、言葉を尽くした祭主との関係性の描写といった、このマントラなりの「一切衆生への平等な(無遮)」供養のあり方にも注目する。</p>...

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  • 『釈摩訶衍論』所説の因縁分の特徴について

    中村 本然 智山学報 70 (0), 33-58, 2021

    ...</p><p> 因縁分解釈において『釈論』は、不定聚の衆生はいうまでもなく、正定聚や邪定聚の衆生も視野に入れた釈明を行う。とりわけ声聞・縁覚の二乗に配慮する姿勢がみられことが指摘される。二乗を所化の対象とする理解は慧遠の『大乗起信論義疏』に窺える特徴と考えられよう。</p>...

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  • 金子大栄における「心仏及衆生」三無差別説

    伊藤 真 印度學佛教學研究 69 (1), 186-191, 2020-12-25

    ...Huayan Sūtra</i>, this paper examines how Kaneko criticized as removed from reality the traditional interpretation of the doctrine known as ‘non-difference of the mind, Buddha, and sentient beings’ (心仏及衆生三無差別説...

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  • 法然浄土思想における仏性の位相

    一ノ瀬, 和夫 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 48 1-16, 2020-03-01

    ...その上で、「仏性」を断念した法然の浄土思想が、二元論的世界観を前提とするものになることを示し、その条件のなかで必要となる、「仏性」に代わって衆生と阿弥陀仏とを繋ぐ回路を保証するものとして、善導が提起した三縁、特に親縁に法然が注目した可能性を提示する。...

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  • 加强与完善农村土地流转的措施探讨

    国英 李 现代经济管理 1 (1), 18-, 2020-01-31

    ...在新的社会形势下,就现如今我国农村土地流转的实际情况来说,各项工作的整体水平并没有达到完善的状态,还是存在诸多的问题需要进一步的加以解决的,所以需要我们充分的联系实际情况,加大力度针对农村土地流传各项工作进行优化创新,为农村地区经济以及民众生活质量的良好发展创造良好的基础。</jats:p>...

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  • 『即身成仏義』「六大」説成立の根拠

    苫米地 誠一 智山学報 69 (0), 51-68, 2020

    ...『大日経』『大日経疏』における大日如来の法界建立は、衆生済度のための六道随類の身(化身)を出現させるものであるが、空海はそれを世界そのものの建立に読み替えることで、世界の能生・法界体性へ転化させた。</p>...

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  • 基于实例的建筑消防给排水施工设计研究

    园 王 建筑技术研究 2 (12), 2019-12-24

    ...高层建筑消防给排水设计是保障高层建筑质量安全,维护公众生命财产安全的重要手段。为此,本文结合高层建筑实例,介绍了消防给排水工程设计与施工的重点内容与注意事项,以供参考。</jats:p>...

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  • チベットの宗教文化にみる命 : 宗教文化とホリスティックケア

    中島, 小乃美 佛教大学宗教文化ミュージアム研究紀要 15 47-64, 2019-03-30

    ...『大日経』では、悟りに至りその業寿を滅したあとも再び生を与えて衆生済度に赴くことを説いている。そしてA字(阿字)という種字を観想し、身体に布置することで命をもつ我が身を空じ、仏となると捉えることから、仏教における命とは仏果を得て、衆生済度に向かうその連続性としての命であり、仏の寿命である。...

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  • 竺法護訳『正法華經』「藥王如來品」後分における新造語の研究

    Bai Jinghao 比較論理学研究 16 123-133, 2019-03-25

    ...竺法護訳『正法華經』「藥王如來品」後分はサンスクリット本『法華経』「法師品」(Dharmabhāṇakaparivarta)に相当し、『法華経』の一乗思想の聴聞・受持・書写・説示・尊崇により、衆生達は速やかに成仏し得るという趣旨を記述するものである。「藥王如來品」後分に相当する漢訳及び品名を年代順に挙げれば以下の通りである。...

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  • 日隆の真如論について

    米澤 立晋 印度學佛教學研究 67 (1), 159-164, 2018-12-20

    ...This is because Nichiryū became aware of the capacity of beings known as ‘<i>mappō-no-shujō</i>’ (末法の衆生) by following the writings of Nichiren as a basis, and because he placed the attainment of Buddhahood...

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  • 孤山智円の三法各具三千説について

    弓場 苗生子 印度學佛教學研究 67 (1), 217-221, 2018-12-20

    ...In his works, he often emphasized that each of the Three Dharmas 三法—namely, mind 心/Buddha 仏/Beings 衆生—, include Three Thousand aspects 三千差別法, and the idea of the Perfect Three Dharmas 円融三法 is based on...

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  • 神祇講式「神冥」考

    星 優也 日本文学 67 (6), 1-12, 2018-06-10

    ...「神冥」は用例こそ鎌倉期に確認できるが、「神祇」と「神冥」の関係を考察することから、『神祇講式』では死者を含む、衆生を救済する「神冥」が創られたことを明らかにした。</p>...

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  • 『法華経』における〈テーゼ〉と〈アンチテーゼ〉

    鈴木 隆泰 印度學佛教學研究 66 (3), 1071-1078, 2018-03-25

    ...『法華経』の制作者たちは,釈尊入滅後の〈成仏の授記を与えてくれる如来がいない時代〉という強い意識のもと,釈尊の意義を,“説法によって現在化され衆生に授記を与えて利益する〈現実のハタラキ〉”と捉えた.そして,このことを自覚し釈尊の〈ハタラキ〉を代行する法師(地涌の菩薩)が存在し,仏語にして釈尊そのものである『法華経』を説示して衆生に授記を与え続ける限り,釈尊も永遠にこの世に存在し続けることになる....

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  • 十地経にみる菩薩の変容過程-十地経序品の深層心理学的考察-

    三輪, 幸二朗 京都大学大学院教育学研究科紀要 63 145-157, 2017-03-30

    ...金剛蔵菩薩は十地を誤解する衆生がいるといい詳細を語らず沈黙する。解脱月菩薩らは金剛蔵菩薩を説得するが事態は変わらない。そのとき如来の光が照らし出され,それを機に金剛蔵菩薩は十地を語り始める。深層心理学からみると,沈黙という事態が生じたのは菩薩らの転移が影響していると考えられる。...

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  • 初期唯識文献における他者の分別

    高橋 晃一 印度學佛教學研究 65 (3), 1236-1242, 2017

    ...<p>瑜伽行派は唯識思想を主張し,外界の認識対象の実在性を否定したことはよく知られている.当然のことながら,その外界の中には他の衆生の存在も含まれる.しかし,大乗仏教は衆生救済を標榜しているので,唯識という立場に立ち,他者の存在を自己の認識の所産と見なすことは,大乗の基本的な理念と抵触するように思われる....

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  • 社会福祉と共生 : 仏教における共生の視点から考える社会福祉の可能性

    柏女, 霊峰, Kashiwame, Reiho 淑徳大学大学院総合福祉研究科研究紀要 23 1-21, 2016-09-15

    ...仏教における共生は,同時代の人々が共に生きるという視点を超え,一切衆生,すなわち生きとし生けるものとの共生が概念として含まれ,かつ,過去から未来へと続くいのちの共生が含まれていることも大きな特徴とされた。これらを踏まえたうえで,仏教から社会福祉の理念や援助観について照射した。...

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  • 『血盆経』受容の思想的背景をめぐって

    川内, 教彰 仏教学部論集 100 15-36, 2016-03-01

    ...鎌倉時代、一切衆生を「罪悪生死の凡夫」と捉える法然教学が発展していくなかで、「五障」「三従」や「女人禁制」が、「女性劣機観」に組み込まれ、とくに「五障」「三従」は来世での堕獄につながる罪業(「順次生受業」)であるという「女性罪業観」へと変容していったことにより、室町時代には五障・三従を女性固有の罪業とする観念が広がりをみせ、社会通念となっていったといえよう。...

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  • 「三縁」の成立について

    曽和, 義宏 仏教学部論集 100 37-50, 2016-03-01

    ...善導は、阿弥陀仏と念仏衆生の間には「三縁」という、宗教的な相互関係が成立すると説く。従来、「三縁」という仏と衆生の関係性は、善導の独自性といった観点からしか論じられていなかった。しかし中国仏教においては、感応思想として仏と衆生の関係性が論じられている。...

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  • 『占察経』における地蔵菩薩の役割

    伊藤 真 印度學佛教學研究 64 (3), 1296-1302, 2016

    ...されてきた.しかし近年のいくつかの先行研究ではこの経典の構造や意図を見直す動きが見られ,本論考ではこの経典における地蔵菩薩の役割を改めて検討し,この経典全体のねらいを再考した.本経の上巻が説く木輪相による占いと懺悔の方法は,下巻が説く瞑想を行うための前提となっており,無相智を得て,一実境界に依止した堅固なる信解を確立するのが,五濁悪世において大乗を志向する者の目的とされている.末法の世の善根微少なる衆生...

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  • 一切皆成の授記『法華経』

    鈴木 隆泰 印度學佛教學研究 64 (3), 1155-1163, 2016

    ...される限り,釈尊は永遠にこの世に現存し,衆生利益の<ハタラキ>をなし続けると説かれる.その後,第16章から第18章「法師功徳品」では,『法華経』受持の様々な功徳を説くことで,『法華経』が受持され説示されることを勧め,如来の滅後に衆生を利益する釈尊の<ハタラキ>が実現しやすくなるよう配慮している.そして第19章「常不軽菩薩品」では,『法華経』受持で六根清浄が得られることを再説示しつつ,如来の滅後には,...

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  • 臨済義玄と星雲の時代の禅仏教

    釋 覺瑋 印度學佛教學研究 64 (3), 1303-1309, 2016

    ...創造的に適用した.それは,人々が自らの人間性を発見し,現状を超越することへの一助とするためである.この二人の禅師は,様々な迫害を乗り越えただけでなく,先達の教えを作り変えることによって,その時代の社会・政治的な環境に新たな価値を付与し,当時用いられていた一般的な言葉を創造的に使い,彼等の信仰をさらなる高みへと引き上げた.中国禅の流派を形成した菩提達磨(5-6世紀頃)は『二入四行論』の中で,すべての衆生...

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  • 長野県の郷土料理における地域的特性の比較

    春日 千鶴葉, 柏木 良明 日本地理学会発表要旨集 2016a (0), 100058-, 2016

    ...<br>(2) 現在は比較的広範囲の各地の人々に食されているが、江戸時代までは限られた範囲の地域の民衆生活のみ定着していた食形態であるものである。<br> また、郷土料理は地方の特産品をその地方に適した方法で調理したものである(岡本,1987)。その中で、食の暮らしの知恵が育まれ、おいしく健康に良い食べ方などが工夫されている(成瀬,2009)。...

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  • 胎蔵法における転法論の位置づけ

    布施 浄明 智山学報 65 (0), 337-358, 2016

    ...仏の説法により衆生の煩悩を払拭する為にこの印言を結誦する。胎蔵法では、釈尊の八相成道にそって展開されるが、その目標は釈尊の説法を聞いて修行し、釈尊と同じ状態(悟り)になることである。...

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  • 釈摩訶衍論における三大の意味するもの

    本多 隆仁 智山学報 65 (0), 127-140, 2016

    ...特には起信論の衆生心、心真如、心生滅、三大の関連を検討し、釈論の三大を起信論の体系に戻し解釈して、釈論の三大の意味を探ることにする。釈論は起信論の体系に不満をもち、釈論の思想の一端を特徴に表現していると考えるからである。...

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  • 真宗教義の仏性義論

    藤原 ワンドラ 睦 印度學佛教學研究 63 (3), 1106-1110, 2015

    ...一般理解となっているが,古来,江戸宗学派の間では衆生の仏種を肯定する本有仏性説と否定する本有否定説の二説がある.また,それら二説から派生した肯定折衷説である無自性仏性説,否定折衷説の遍満仏性説があり,信心仏性説は否定折衷説に入る.仏性肯定・否定の両思想は,究極的には一切衆生が如来の願力によって救済されることに疑問はないが,この肯・否の論点は衆生が如来廻向の名号を領受する可能性を肯定するか,あるいはその...

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  • 日蓮聖人の『法華経』観の特色

    渡邊 寶陽 印度學佛教學研究 63 (3), 1111-1117, 2015

    ...822)の『法華経』崇敬を継承し,釈尊→天台→伝教の系譜を三国三師としたが,さらに日蓮がその系譜を継承するという自負と自覚に達して,三国四師を唱えた.反面,『守護国家論』などでは,『往生要集』で著名な慧心源信(942〜1017)が,実はその後,『一乗要決』を著したことを重視し,「受け難き人身」(『昭和定本日蓮聖人遺文』89頁)などの仏教理解を継承していると見られる.もとより,日蓮が『法華経』を末法の衆生...

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  • 二つの長者窮子喩

    鈴木 隆泰 印度學佛教學研究 63 (3), 1263-1270, 2015

    ...『法華経』は,一乗・一切皆成の根拠を衆生の外側(諸仏の誓願)に見出している.そのため衆生は,一切皆成であると「諸仏に教えてもらわなければならない」.これが,貧者が長者から教えられて,自分が息子・財産の継承者であったことがはじめて分かるという構図に連なっている.なお,一乗を主張するためには,すでに解脱を得ている阿羅漢の成仏も保証しなければならない.そのため『法華経』は,"解脱した者はもう二度と解脱できない...

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  • 『開目抄』にみる日蓮の法華経観

    関戸 堯海 印度學佛教學研究 62 (3), 1300-1307, 2014

    ...「日蓮のかたみ」として門下に法門を伝えるための論述である.日蓮は『開目抄』において,諸経にすぐれる『法華経』が末法の衆生を救う教えであることを力説する.まず,あらゆる精神文化と仏教を比較して,その頂点に『法華経』があることを論述する.一切衆生が尊敬すべきは主徳・師徳・親徳であり,学ぶべき精神文化は儒教・仏教以外の宗教思想・仏教であるとして,それぞれの思想的特徴を精査して,仏教が最もすぐれるとし,なかでも...

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  • 『菩薩地』における菩薩による衆生の教化

    岡田 英作 印度學佛教學研究 62 (3), 1243-1247, 2014

    ...の教化という点に焦点をあて,第2章「発心品」所説の菩薩の発願からagotrasthaの救済可能性を提示し,次に第18章「菩薩功徳品」の教説から,菩薩が教化対象を判別する基準を見出すことで,agotrasthaの救いに関して考察する.まず「発心品」所説の菩薩の発願において,菩薩は衆生利益として一切衆生を涅槃へ到達させるか如来の智を獲得させようとすることに依拠して,菩薩がagotrasthaを救い得ることを...

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  • 『菩薩地』におけるagotrasthaについて

    岡田 英作 印度學佛教學研究 61 (3), 1204-1208, 2013

    ...「菩薩功徳品」の教説は,衆生の要素と教化されるべき者の要素との差異について説き,教化されるべき者が一切衆生と言いながらも,菩薩は教化対象としてagotrasthaを除外する.従って,この2つの菩薩の態度から,菩薩はagotrasthaを蔑ろにしないが,菩薩による成熟と教化との間には対象となる衆生に差異があると言える....

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  • 仰ぎ見る仏陀と内在する仏陀

    渡邊 寶陽 印度學佛教學研究 61 (3), 1261-1269, 2013

    ...総合的な見解に基づき,日蓮は,釈尊→天台大師→伝教大師という系譜において『法華経』を基幹とする仏教の展開がみられるとする.具体的には中国の天台大師撰述の『法華玄義』『法華文句』『摩詞止観』の三大部を尊重する.したがって,自己に仏界の内在を確信する依拠は『摩詞止観』に求められる.天台大師智〓は『摩詞止観』を厳しい行法として究める摩詞止観の行法を完成させたが,日蓮はその第五巻に説かれる一念三千の理論を末法衆生...

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  • 金容暉「東学・天道教の霊性と生命平和思想」

    邊 英浩 都留文科大学研究紀要 (76) 87-96, 2012-10-20

    ...崔済愚は朝鮮王朝により1864年に処刑されたが、東学は第2 代教祖の海月・崔時亨(1827~1898年海月は号)に伝授され、経典と教団の整備に尽力し、東学は一層民衆生活の中に浸透し大勢力に成長していった。そのため東学は中下層の農民層を中心とした信徒を獲得すると共に、朝鮮王朝や当時の支配層である士族(両班)からの弾圧を受け始めた。その弾圧に反発したのが1894年に勃発した東学農民戦争である。...

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  • 『今昔物語集』天竺部における釈迦仏ならびに衆生の理解 (4)

    柏木, 寧子 山口大学哲学研究 19 105-128, 2012-03-23

    ...菩薩は個々の衆生と出合って身施を行じ、現に衆生が身に受ける苦を抜くことにより、仏となった未来に改めてその衆生と出合うべき因縁を作る。同時に、身と身の接触・通交を機に衆生の存在そのものへと親近し、その様相を如実に観る知を獲得する。仏のもつ知の特異な質が、全面的にとは言わないまでも、少なくともある程度は、身施という行の形態から理解されることになる。...

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  • 「烏の北斗七星」論

    高橋, 直美 ライフデザイン学研究 = Journal of Human Life Design 8 177-195, 2012

    ...しかし、一切衆生悉皆成仏を考えると、敵も味方も自利利他の区別もなく、そこにはただ仏法の法則、すなわち〈妙法蓮華経〉が存在するのみとなる。ゆえに、殺生という悪業を犯さなければ生きていけない烏は、転重軽受の功徳を受けるために日蓮の法華経(北辰)を信仰する(妙見信仰)。...

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  • 輪廻転生と殺生―ブータンと日本の場合

    湯本 貴和 ヒマラヤ学誌 12 158-162, 2011-05-01

    ...しかし, 中世日本では畜生道に落ちている衆生を殺生することによって, 畜生という境遇から救済するという考え方があった. この正反対の態度ではあるが, ブータンと中世日本に共通するのは, 輪廻転生に対する厳然たる「因果対応性」であり, 人がこの世で善悪の行為を行うと, それに対する過福の報いを必ず受けるという原理である....

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  • 梶原性全の偉業 : 「頓医抄」と「万安方」に於ける口腔疾患について(その2)

    "戸出,一郎, 三浦,一恵, 深山,治久" 日本歯科医史学会会誌 28 (3), 189-194, 2010-04-01

    ...「頓医抄」は正安四年(1302年)から嘉元二年(1304年)に書かれた.中国の先進医術を日本の大衆に広め衆生救済が編纂目的であり,全体をわかりやすい和文て書かれている.参考文献としては,「諸病源候論」「太平聖恵方」をはじめ,中国古医書からとられている.基本的医学観は経絡を軸とし陰陽五行説を背景とした内経医学であり,仏教的慈悲の心も随所に認められる....

    NDLデジタルコレクション 医中誌 参考文献3件

  • 中世における触穢と精進法をめぐる天皇と民衆知(第3部 民衆知とその到達点)

    井原 今朝男 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 157 213-247, 2010-03-15

    ...本稿は、前近代の触穢と精進法のあり方を通じて、前近代の呪術・信仰が生業・技術や権力の動き・さらには民衆生活をどのように規制していたのかについて検討し、これまでの通説であるケガレ観念の国家的管理論や、天皇・禁裏や伊勢神宮は神聖な空間が維持され、穢多・清目・河原者には「服忌によっても禊祓によっても払拭できない穢」が集中したとする見解を実証面から批判したものである。...

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  • 浄影寺慧遠『観無量寿経義疏』「第九仏身観」における「光明摂取文」釈の特殊性

    伊藤, 瑛梨 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 38 1-12, 2010-03-01

    ...「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」されると説いた。しかし最古の「観経」釈といわれる浄影寺慧遠撰『観経義疏』は、この文を「一一光明.照十方世界」と「念佛衆生攝取不捨」とに切り離して解釈する。...

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  • 浄影寺慧遠『観無量寿経義疏』「第九仏身観」における「光明摂取文」釈の特殊性

    伊藤 瑛梨 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (38) 1-12, 2010-03-01

    ...「光明摂取文」と称される「一一光明徧照十方世界念佛衆生攝取不捨」は、『観経』第九観に説示される一文である。善導は『観経疏』において、この文を殊に重視し、念仏の衆生は阿弥陀仏の「光明」によって「摂取」されると説いた。しかし最古の「観経」釈といわれる浄影寺慧遠撰『観経義疏』は、この文を「一一光明.照十方世界」と「念佛衆生攝取不捨」とに切り離して解釈する。...

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  • 韓国における比丘尼の社会参与 : 社会福祉活動による「下化衆生」の実践

    全 惠松 宗教と社会 16 (0), 33-63, 2010

    2006年の仏教社会福祉便覧によると、韓国における仏教社会福祉施設の数は1995年には95箇所あったのに対し、2006年には477箇所と急激に増加している。477箇所のうち、比丘と比丘尼が施設長になっている施設は144箇所、とりわけ比丘尼が施設長になっている施設は91箇所存在する。このように、近年、韓国では比丘尼による社会福祉活動への参与が顕著であるが、その現象は、いつ頃から、どのような要因・背…

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  • 『金光明経』に説かれる釈尊の法身獲得と衆生利益の接続

    鈴木 隆泰 印度學佛教學研究 58 (3), 1178-1186, 2010

    ...」(Yaksasraya-parivarta)に焦点を当て,引き続き<仮説>の検証を行った.その結果,「仏教の存続に危機意識を抱いた『金光明経』の制作者たちは,王族を民衆ともども仏教に誘引し,彼らから経済的支援を得てインド宗教界に踏みとどまるため,世間的利益の獲得を主題とする<五品>等を編纂していった.その際には従来の仏教では一般的ではなかった諸要素を次々と取り入れていったが,『金光明経』における衆生利益...

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  • 梶原性全の偉業「頓医抄」と「万安方」に於ける口腔疾患について(その1)

    "戸出,一郎, 三浦,一恵, 深山,治久" 日本歯科医史学会会誌 28 (2), 153-166, 2009-09-15

    ...「頓医抄」は正安四年(1302年)から嘉元二年(1304年)に書かれた.中国の先進医術を日本の大衆に広め衆生救済が編纂目的であり,全体をわかりやすい和文で書かれている.参考文献としては,「諸病源候論」「太平聖惠方」をはじめ,中国古医書からとられている.基本的医学観は経絡を軸とし陰陽五行説を背景とした内経医学であり,仏教的慈悲の心も随所に認められる....

    NDLデジタルコレクション 医中誌 参考文献24件

  • 『今昔物語集』天竺部における釈迦仏ならびに衆生の理解 (2)

    柏木, 寧子 山口大学哲学研究 16 1-19, 2009-03-24

    ...収載諸説話は釈迦仏とその周辺の衆生との交渉を具体的に叙述しつつ、仏とは何か、衆生のありのままとはいかなるものか、仏および衆生の存在をめぐる編纂者の理解を表現する。衆生の存在真相は、仏がその知の眼差を以て衆生を見、各々に固有の因縁の物語を語るとき、初めて明らかになる。(以下、略)...

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  • 道綽浄土教の本質 : 悉有仏性思想と輪廻無窮観

    佐藤, 健 文学部論集 93 51-62, 2009-03-01

    ...現在の衆生は無始以来、果てしなく生死流転をかさね、その間に受けた苦悩は筆舌に尽くしがたい。その末代の衆生を哀れみ、大聖が大慈をもって勧められたのが浄土往生の法門であるとする。仏性を持ちながら、しかも多仏に値遇するという条件に満たされながら、輪廻の枠組みから離脱することができない現実の衆生に道綽は眼を注ぐのである。...

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  • 平安期における大明神号の成立とその意義

    中村, 一晴 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 37 73-89, 2009-03-01

    ...第二章では、『御堂関白記』の中で他の神とは違う地位を与えられていた大明神とはいかなる神であったのかという点について考察し、十一世紀の神にはすでに仏菩薩の化身とする信仰が存在していたが、仏菩薩のように直接衆生を救済するのではなく、護法の役割が期待されていたことを明らかにする。...

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  • 『菩薩地』に引用されるManusyakasutra

    高橋 晃一 印度學佛教學研究 57 (3), 1229-1235, 2009

    ...」にも見られ,『菩薩地』の注釈者サーガラメーガはその記述がManusyakasutraに基づくものであることを指摘している.さらに「摂事分」にこの経典への言及が見られるほか,『声聞地』にもこの経典の一節と一致する表現が見られる.こうしたことから,『瑜伽論』の古層において,アビダルマと重要な伝承を共有していたことが分かる.これは単に両者が共通の典籍を保持していたことを示すだけではない.この経典は,「衆生...

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  • 山岳信仰に見る修験道の特色

    新保, 哲 文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究 16 13-28, 2008-01-31

    ...山伏修験者においては神仏を実際に体験することに出発点があり,その功徳力を下化衆生救済によって民衆の諸病をいやし,健康幸福を導く具体的即効的な宗教,それが山伏修験の呼称に他ならない。そうした民衆と密着した「実修実験」(実修実証)の意義や価値観をも併せて,修験道の特色を考察する。...

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  • 中論三諦偈と十界互具

    木村 周誠 印度學佛教學研究 56 (1), 184-190, 2007

    ...だが、「一切諸法、心性に非ざるなし」とする湛然の「色心不二門」(『玄義釈籖』、大正三三・九一八b)の記述が示すように、円融三諦において存するとされる「諸法」が、色心の二法に摂される一切諸法、すなわち凡夫衆生の認識や感受の対象となる「あらゆる存在」を指示することは自明のこととして理解されているようである。...

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  • 『菩薩処胎経』の著者に利用された『維摩経』-甘露の分与の記述をめぐって-

    レジッティモ エルサ 印度學佛教學研究 55 (3), 1079-1084, 2007

    ...そして, 釈迦牟尼のみが甘露によって五道の衆生に満足と幸福を与える役割を担っている.<br>如来による甘露の分与は,『胎経』の中心課題を明示している様々な例の一っである. その中心課題とは, 釈迦牟尼への信仰の強調である. つまり,『胎経』の著者は, 釈迦牟尼の権威を回復するために, 釈迦牟尼中心の世界観に適合しない経の物語とテーマを意図的に利用し, これを変容しようと試みている....

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  • 元曉の三昧と懺悔観

    金, 貞男 佛教大學大學院紀要 34 291-300, 2006-03-01

    ...ところで、『大乗六情懺悔』に関する既存の研究をみると、その視点が罪業を持つ存在としての衆生の立場から仏という対象を捉えていく論証が多い。本稿は『大乗六情懺悔』が元曉の著述の中で、特に『金剛三昧経論』との関連性に注目した。本稿の範囲は元曉の三昧と懺悔であり、『大乗六情懺悔』と『金剛三昧経論』の三昧と懺悔観を比較した。このような考察は元曉の実践の特徴の一面を明らかにすることにその意義がある。...

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  • 善光寺開帳と浄瑠璃 : 元禄七年開帳時の反映

    林 久美子 文学史研究 46 1-14, 2006-03

    ...一 : 三国伝来仏の阿弥陀如来が古くから貴賤男女の信仰を集めてきた善光寺では、中世以来出開帳を行って衆生に礼拝結縁の機会を与え、浄財を集めたことが知られているが、近世になると伽藍再建や修理に必要な奉加を募るため、三都開帳と大規模な回国開帳が行われた。……...

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  • 天台大師における「衆生」について

    木村 周誠 印度學佛教學研究 54 (2), 682-686,1305, 2006

    The ‘Middle Way’ in Tiantai teachings has been generally interpreted as the simultaneous, balanced, and complete realization of both ‘Emptiness’ and ‘Conventionality’. However, Zhiyi's explanation …

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  • 柿渋塗布紙の立体活用への探求と制作

    正来 亮介, 樋口 孝之, 植田 憲, 宮崎 清 日本デザイン学会研究発表大会概要集 53 (0), 189-189, 2006

    ...本研究は、長らく日本の民衆生活を支えてきた生活用具である「紙」と天然塗料・接着剤として活用されてきた「柿渋」の特性を再認識し、柿渋塗布紙の立体利用の方策を探究することを目的とする。なかでも、OA 機器の普及に伴って大量に排出されるシュレッダーごみに着目し、その有効活用を目指し、生活のなかで利用可能な立体物の制作を行った。 ...

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  • 宮澤賢治「二十六夜」論 : <穂吉の昇天><音の問題>について

    小埜, 裕二, Yuji, Ono 上越教育大学研究紀要 24 (2), 856-866, 2005-03

    ...本論文では、「二十六夜」の浄土教的色彩の是非を検討し、むしろ<法華文学>として読みうる可能性があることを指摘したうえで、日蓮宗と浄土宗が同じ仏教として重なりをもつ部分、すなわち業感をふまえ衆生に救いをもたらそうとする部分において共通する要素を賢治は作品化しようとしたと述べた。「二十六夜」に示されるのは、題目と念仏がともに祈念する救いの世界へ目をそそぐ、慈悲のまなざしのありようである。...

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  • 道元の菩薩道と福祉の精神

    新保, 哲 文化女子大学紀要. 人文・社会科学研究 13 55-69, 2005-01-31

    ...それは,(一)布施,(二)愛語,(三)利行,(四)同事の四つの衆生の把握法を指す。そこには菩薩の行ずべき実践徳目の中で,対社会的徳目が説かれている点に関し,特に福祉思想に関連して考察する場合,看過できない諸点が認められる。道元は本巻で「この四摂,おのおの四摂を具足せるがゆゑに,十六摂なるべし」と記している。...

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  • 《杜若》を読み解く

    天野 文雄 演劇学論集 日本演劇学会紀要 39 (0), 71-85, 2001-10-20

    <p>Noh plays, even popular ones, are rarely read as drama and given correct interpretations. The present writer tries to read a noh play, <i>Kakitsubata</i>, as a drama and determine to whom the “I” …

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  • 動物と人間-文明批評の視点から- : (その二)仏教に見る動物観-阿含経を中心として-

    宮田 敦子 年報人間科学 21 57-75, 2000

    ...旧約聖書に記された「モーゼの十戒」中の「汝殺すなかれ」は専ら人間の殺害を禁ずるものであったが、それに相当する仏教の「不殺生戒」は人間のみならず、一切衆生、人間にとって危険な動物さえその対象とし、仏教ではそれらの生き物に対する慈悲の心も説かれている。菩薩に到っては、最終的には生けるもののために自己を犠牲にすることさえ求められている。...

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  • 釈摩訶衍論における真如門と生滅門

    本多 隆仁 智山学報 48 (0), 47-58, 1999

    ...釈論の真生二門がどのようにして解釈されたのかを、起信論立義分の衆生心に対する釈論の解釈を通じて、検討した。如来蔵思想における法身と衆生との関連で真生二門は成立することを指摘した。そして、釈論は起信論の「自体」の本文から真生二門の基盤となる衆生の解釈に至っていることも指摘した。そこには釈論の思想の一端が見える。...

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  • 唐寫本『普賢菩薩行願王經』解題(沖浦和光教授退任記念号)

    林, 宏作, LIN, Hong-zuo 桃山学院大学人間科学 (12) 398-359, 1997-03-15

    ...これについては、清涼大師澄観が「縁有り故、衆生を使て情一つに帰憑すると欲す故、華蔵を離れず故、本師に即く故」、と釈義している。つまり阿彌陀佛の国は十万億佛土あり、〓廬遮那の世界に包含されるものである。普賢菩薩が偏えに極楽往生を勧奨するとはいうものの、華蔵刹海から離れるものではない。...

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  • <論説>日本統治下の朝鮮における憲兵警察機構 (一九一〇〜一九一九年)

    松田 利彦 史林 78 (6), 866-901, 1995-11-01

    ...高等警察を重視し、教育や宗教などの側面を中心に民衆生活への干渉を行った憲兵警察は、やがて第一次大戦期、ロシア革命や民族自決主義の影響を察知する。にもかかわらず一般民衆の経済的窮境を度外視し機構拡大の必要もさしあたって感じていなかった憲兵警察機構は、かかる認識を三・一運動によって突き崩されていくことになる。...

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  • 興教大師の菩提心について

    渡辺 新治 智山学報 41 (0), 59-72, 1992

    ...この菩提心思想は『真言浄菩提心私記』に浄菩提心として把えられ、自性法身の心地・一切衆生の心地・一体速疾力三昧として述べられる。ここでは自性法身・一切衆生の心地の実際として説かれる一切智智などを中心に、それらの先駆の論書である『大日経疏』そして弘法大師の著作と比較し、興教大師の菩提心思想を考察する。...

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  • 六道の辻

    久野 昭 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 3 105-131, 1990-09-30

    ...或る仏教的発想によれば、一切の衆生はその業のゆえに六道を輪廻する。人は死に臨んで、六道の辻を通らねばならない。この「六道の辻」の名は、今日なお京都旧市街の東南地区に残っている。他方、「六道町」の地名も、未だに京都西北部、愛宕山麓に残っている。...

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  • 『法華経直談鈔』における因縁の位置

    廣田 哲通 文学史研究 30 1-10, 1989-12

    ...一例をあげれば『発心集』序文では「仏は衆生の心のさまざまなるを鑒み給ひて、因縁・譬喩を以てこしらへ教へ給ふ」とある。また、たとえば法華経においても、因縁、譬喩の語例を徴するに、そのいくつかは「諸の仏、世尊が種種の因縁と譬喩と言辞とをもって、方便して法を説きたもうは」(譬喩品)などのように、因縁と譬喩は言辞とともに並列的に把えられている。...

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  • 真言密教における観法について : 特に『大日経疏』を中心として

    小林 靖典 智山学報 38 (0), 79-91, 1989

    ...そしてその論点は、いかに行者が菩提を証したことを自覚し得るかという問題を契機とし、それを、まず、竜樹の『中頌』において眺め、次に、『大日経』の阿字の法門に赴き、そこにおいて、阿字による阿字自身の真であることの証明ということ、つまり、『中頌』における遮情のあいまいさを越えて、真に、如来と衆生とを一致せしめる観法を提示するのである。...

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  • 弘法大師の空思想について

    元山 公寿 智山学報 37 (0), 83-98, 1988

    ...これは、龍樹が衆生の立場で説いているのに対し、弘法大師は如来の立場から説くことで可能とした。そして、この立場から、世間のすべての言葉が諸法実相を表わす真言であり、また、世間のすべてのものは、如来と同じであるとしたのである。しかし、弘法大師は、空の否定面を全く無視したわけではない。すなわち、如来の立場に到るためには必要なものであるとしているのである。...

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