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検索結果 64 件

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  • おりかぶと:

    工藤 芳彰, 阿久根 皐月 デザイン学研究作品集 27 (1), 1_90-1_93, 2022-03-31

    ...『おりかぶと』は、折ると兜になる800mm角の合成紙製の折り紙で、高い防水性および耐久性と、両面印刷を活かしたモードチェンジ(足軽モード・大将モード)を特徴とする。折ると裏面になる部分には、折り方が表示されている。同城跡でのガイドツアーやイベント時に参加者自らが折って身に付けることにより、その経験価値を高めることができる。...

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  • 戦国時代の忍びの実像

    平山 優 忍者研究 2020 (3), 1-, 2020

    ...これらの記述を、戦国期の史料より検討してみると、これらの認識はほぼ正しく、忍びは、戦国大名の軍隊では「足軽」に編成され、おもに夜間の戦闘(夜討、潜入)や敵の城砦、陣所への潜入、放火、最前線での伏兵や略奪などをになっていたことを明らかにした。そして、戦国大名が彼らを登用した背景には、軍事的要請のほかに、領国内の治安維持を担わせるという意味があったことも指摘した。...

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  • 伊賀者・甲賀者考

    藤田 達生 忍者研究 2018 (1), 16-27, 2018

    ...彼らの実態は足軽クラスの下級武士を束ねた諜報集団であって、それが忍者組織として認知されてゆくことになるのである。...

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  • 近世期宮崎郡における取り立てと「身上り」

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 24 (1), 1-26, 2017-03-10

    ...延岡藩では有馬氏時代に宮崎郡に小侍・足軽が置かれていたことが確認でき、内藤氏の入封以降、宮崎郡では治安の悪化を理由に漸次郷士・郷足軽が取立てられた。化政期以降は藩財政の窮乏にともない、献納銀上納による「身上り」が広汎にみられるようになる。安政改革で宮崎郡に賦課された改革備金は七三〇〇両であり、献納した三五〇余人には銀額に応じて身分・格、下賜物が給された。...

    機関リポジトリ

  • 越後国新発田城下町絵図の幾何補正と歴史GIS

    堀 健彦, 小田 匡保, 渡部 浩二 日本地理学会発表要旨集 2016a (0), 100154-, 2016

    ...また,城下を取り囲むように加治川が流れ,川沿いの小湊村の「船入」が足軽町に続いている様子など,城下と河川舟運のつながりなどがわかる。城下は№4~7とほぼ同様に描かれ,屋敷割や家臣名の記載もあるが,屋敷の間数などの記載はなく,足軽名の記載などもない。<br> №9・№10は,絵図中の文字記載から1840年(天保11)8月以降の制作と判断される。...

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  • 歩行神経筋電気刺激装置ウォークエイド®を用いた介入により即時的な歩行能力改善を認めた一症例

    堀 恵輔, 飯尾 晋太郎, 辻 昌伸, 鵜野 令子, 花井 聡, 佐野 知康, 三城 美孔, 疋田 勇樹, 森下 一幸 理学療法学Supplement 2013 (0), 1550-, 2014

    ...これは,腓骨神経を電気刺激し前脛骨筋や長・短腓骨筋を収縮させた事で,拮抗筋の下腿三頭筋・後脛骨筋の相反抑制効果が得られ,右遊脚期足関節内反尖足軽減から右立脚期小趾側優位な接地改善に繋がった事によるものと考えられた。翌日介入前の各10m裸足歩行も初回介入前より時間短縮を認め,carry overと右遊脚期の効率的な姿勢戦略学習に繋がる可能性も示唆された。...

    DOI 医中誌

  • 越前大野城下における土地管理と景観 : 「渡り地浮地絵図」の考察から

    渡邊, 秀一 歴史学部論集 2 65-85, 2012-03-01

    ...武家屋敷地の二種の記号は、一つは侍屋敷地を示し、他方は下級藩士および足軽・中間の屋敷地を示すものであった。一方、地方役人は、浮地・渡り地の測量や分割等の作業を行っているが、その活動の範囲は郭外だけでなく、郭内の一角にも及んでいる。そして、それは二種の記号が使われた武家屋敷地をも含み、当該絵図が記載する範囲と一致している。...

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  • 家譜史料データベースを活用した城下町のGIS分析

    平井 松午 日本地理学会発表要旨集 2010f (0), 155-155, 2010

    ...これに対して,無足や無格(足軽・水主など)の中~下級藩士が集住した外町区では享保期以降に居住が確認されるケースが多く,侍身分によって定着率に差があることが想定される。<BR> ただし,このような城下絵図をベースとした分析では,「時の断面」という制約により不連続な時空間分析を余儀なくされる。...

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  • 近世期日日向延岡藩の飛地支配と地域社会 -宮崎郡村々の組織と支配-

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 16 (1), 1-24, 2009-03-06

    ...役所では在地から採用された手代・郷組・郷足軽などが実務を取り仕切った。手代や郷組については明らかでない部分が多いが、郡内の普請・溝掘り・祭礼時の警護などに出役するなど、治安維持に当たっていたと思われる。村方支配では、藩は宮崎郡村々二一カ村を四組に分け、組には大庄屋、村には庄屋・年寄を置いた。幕領期と異なり、私領では大庄屋は不可欠な存在であった。庄屋は村内において入札が行われて選出された。...

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  • 近世期日日向延岡藩の飛地支配と地域社会 -宮崎郡村々の組織と支配-

    大賀 郁夫, Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities 16 (1), 1-24, 2009-03-06

    ...役所では在地から採用された手代・郷組・郷足軽などが実務を取り仕切った。手代や郷組については明らかでない部分が多いが、郡内の普請・溝掘り・祭礼時の警護などに出役するなど、治安維持に当たっていたと思われる。村方支配では、藩は宮崎郡村々二一カ村を四組に分け、組には大庄屋、村には庄屋・年寄を置いた。幕領期と異なり、私領では大庄屋は不可欠な存在であった。庄屋は村内において入札が行われて選出された。...

    機関リポジトリ

  • 金沢市中心部における歴史的木造家屋ストックの特性に関する研究

    小林 史彦, 川上 光彦, 松谷 圭祐 都市計画論文集 42 (0), 23-23, 2007

    ...間口、細長比、面積は、「平士屋敷等」と「足軽屋敷」、「上屋敷」と「町人地」に類似性があった。前者は間口及び面積が大きく細長比が小さい。後者は間口及び面積が小さく細長比が大きい。「平士屋敷等」と「足軽屋敷」では分割・統合の履歴内容により宅地の形状が多様な展開をみせるのに対し、「町人地」では履歴内容に関わらず間口が狭く、細長比が大きい形状への収束傾向が強い。...

    DOI

  • 側対歩(ナンバ歩き)の運動力学的分析

    仲 貴子, 山田 拓実, 金子 誠喜, 島田 裕之, 鈴木 隆雄 理学療法学Supplement 2006 (0), A0641-A0641, 2007

    ...対象者は裸足軽装にて身体標点36箇所に反射マーカを貼付し、全長7mの屋内歩行路で普通歩行10試行(ベースライン試行;BT)、ナンバ歩き50試行(反復練習試行;RT)を行った。...

    DOI

  • 金沢市中心部における歴史的木造家屋ストックの特性に関する研究

    小林 史彦, 川上 光彦, 松谷 圭祐 都市計画論文集 42.3 (0), 133-138, 2007

    ...間口、細長比、面積は、「平士屋敷等」と「足軽屋敷」、「上屋敷」と「町人地」に類似性があった。前者は間口及び面積が大きく細長比が小さい。後者は間口及び面積が小さく細長比が大きい。「平士屋敷等」と「足軽屋敷」では分割・統合の履歴内容により宅地の形状が多様な展開をみせるのに対し、「町人地」では履歴内容に関わらず間口が狭く、細長比が大きい形状への収束傾向が強い。...

    DOI DOI 機関リポジトリ ほか2件 被引用文献3件 参考文献12件

  • 経営戦略の視点から見る中国家電企業海爾

    劉, 婭倩 現代社会文化研究 29 95-112, 2004-03

    ...这些企业不仅仅在中国国内起着举足轻重的作用,在国际上也具有一定影响力。本文从经营战略的角度出发,对中国企业海尔的高速成长进行具体分析。对其从濒临倒闭的小厂到现在的中国首位家电企业,以经营战略的的视点进行探讨,通过其不同阶段的经营战略政策对其发展的重要影响进行分析研究。...

    機関リポジトリ HANDLE

  • 脳卒中片麻痺患者の急性期と慢性期における静止立位時の荷重率の比較

    望月 弘己, 菊永 弘至, 金沢 瑠美, 増田 典子, 冷水 誠, 中原 栄治, 野村 陽子 理学療法学Supplement 2003 (0), B0570-B0570, 2004

    ...裸足軽度開脚にて静止立位をとり、視線は前方注視位をとり、また大転子の高さにあわせた平行棒を健側上肢で腸骨のやや斜め前方のところで持つようにした。健側上肢、患側健側下肢それぞれの平均荷重を合計した平均荷重で除し荷重率%を計算し解析を行った。<BR>【結果】急性期の平均荷重率は、健側上肢1.45±2.11% 健側下肢60.81±7.53% 患側下肢37.74±9.35%であった。...

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  • 島原市の湧水資源における共有のしくみに関する研究

    吉住 優子, 舟橋 國男, 木多 道宏, 李 斌 都市計画論文集 37 (0), 1015-1020, 2002

    ...(2)足軽屋敷は用途の統一によって資源の共有が図られた。(3)上の原地区は町内の住民活動により湧水が維持管理されていた。(4)船津地区はデザインの明確さや用途の掲示等により規則の共有を促していた。_(5)_島原市では雲仙普賢岳噴火災害後、地域団体が湧水をまちの資源として見直し始め、市全体での資源利用の秩序や場所毎の在り方の指向を提示するようになった。...

    DOI Web Site Web Site 被引用文献2件 参考文献9件

  • 島原市の湧水資源における共有のしくみに関する研究

    吉住 優子, 舟橋 國男, 木多 道宏, 李 斌 都市計画論文集 37 (0), 1015-1015, 2002

    ...(2)足軽屋敷は用途の統一によって資源の共有が図られた。(3)上の原地区は町内の住民活動により湧水が維持管理されていた。(4)船津地区はデザインの明確さや用途の掲示等により規則の共有を促していた。_(5)_島原市では雲仙普賢岳噴火災害後、地域団体が湧水をまちの資源として見直し始め、市全体での資源利用の秩序や場所毎の在り方の指向を提示するようになった。...

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  • <フォーラム>日本型組織をめぐる諸問題(その2) : 平山朝治氏の批判に応えて

    笠谷 和比古 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 12 73-88, 1995-06-30

    ...ここでは西山松之助氏のイエモト観が取り上げられ、家元が流派の全体に対して絶大な権威をもって臨むイエモト型組織と、藩主が組織の末端の足軽・小者にいたるまで直接的支配を行う大名家(藩)の組織との、組織原理上の移動をめぐる問題が論じられる。そして付論として、日本の在地領主制と西欧の封建領主制との比較検討、特に日本の家と西欧の「全く家」との異同をめぐるやや専門的な問題を取り上げている。...

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  • 加賀藩割場と足軽・小者

    森下 徹 史学雑誌 99 (3), 345-365,455-45, 1990

    ...This clan had a public office called wariba 割場, which organized a great number of directly supervised servants that consisted of ashigaru 足軽 (upper servants) and komono 小者 (lower servants)....

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  • 寒風山からの湧水を利用した水利開発事業

    堀野 一男 日本土木史研究発表会論文集 8 (0), 160-167, 1988

    ...渡部家は檜山城下 (能代市) 松野組下の足軽であり生活も大変であったと思われるが、一家の財産すべてを傾け、八十余両の開発資金を元手に、延長二里約7.86Kmに及ぶ難工事の末、水路を完成させた。...

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