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  • 破風のない摂丹型民家について

    山﨑 敏昭 日本建築学会計画系論文集 86 (784), 1715-1725, 2021-06-30

    <p>This study examined social status as expressed in the Settan-type farmhouses, specifically in relation to cases in which the bargeboards (hafu) were not equipped. </p><p>The Settan-type farmhouse …

    DOI Web Site 参考文献2件

  • 近世京都における新地開発の展開に関する研究

    日向 進, 矢ヶ崎 善太郎, 小出 祐子 住宅総合研究財団研究年報 28 (0), 59-70, 2002

    ...建仁寺が境内全域を18世紀初頭よりわずか半世紀の間に新地として開発するに至った背景には,このように逼塞した寺内の財政状況と,新地開発行為の生み出す利潤に対する認識のあったことが確認できた。...

    DOI 被引用文献1件

  • 『静思集』について

    要木 純一 島大言語文化 : 島根大学法文学部紀要. 言語文化学科編 10 1-20, 2000-12-25

    ...元末の小詩人の作品を読むことが、単に文学史の空白を埋め、元末の時代精神をくまなく知る効用があるというだけでなく、時代を越えた、文学という営み自体の面白さを知る効用があるであろうことを、元朝全土からみれば片田舎である江西行省(その主要な部分は現江西省である)南部に逼塞した小詩人郭�の別集『静思集』を素材にして、強調したいというのが、本稿の意図するところである。...

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  • 豊臣七将の石田三成襲撃事件 : 歴史認識生成のメカニズムとその陥穽

    笠谷 和比古 日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 22 35-47, 2000-10-31

    ...関ヶ原合戦の端緒をなすこの著名な事件の経緯をめぐっては、豊臣武将たちの襲撃計画を事前に察知した石田三成は大阪から伏見に逃れ、そして伏見にある徳川家康の屋敷に入ってその保護を求め、家康もまたこれを受け入れて豊臣武将たちによる三成の身柄引き渡し要求を拒絶し、三成を近江佐和山の領址に逼塞させることで問題を解決に導いたという認識が示されてきた。...

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