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  • 淸末民初における江蘇省の認捐制度

    金子 肇 東洋史研究 59 (2), 296-325, 2000-09-30

    ...The aim of this paper is to analyze the details of the li jin 釐金 tax farming system and its relations with the provincial government and trade associations in Jiangsu 江蘇 province in the late-Qing and the...

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  • <論説>津浦鉄道釐金局の廃止と復活 : 袁世凱政権の経済政策の性格

    林原 文子 史林 78 (2), 288-318, 1995-03-01

    ...光緒二八(一九〇二) 年、湖広総督張之洞らは地方財源として盧漢鉄道(京漢鉄道) 通過の貨物に、従価二・五%の貨捐(釐金) を賦課した。以後「京漢成例」が幹線鉄道に適用され、輸送コストの増加と検査による遅延が近代的交通手段の致命傷となる。一九一二年末、江蘇都督が津浦鉄道への釐金賦課を中央に申請すると、交通部は「寓徴於運」(釐局を廃止し路局が運賃項目で釐金分を代理微収する) 方式を提議した。...

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  • <論説>清代後期湖広における財政改革

    山本 進 史林 77 (5), 737-764, 1994-09-01

    ...一九世紀以降、正項銭糧の減少と地方的徴収の肥大により国家財政が逼迫すると、各省督撫は、釐金や捐輸などの商業課税を正規財政に組み込むとともに、胥吏衙役の陋規需索・上級衙門への規礼饋送体系を解体するという財政改革を断行した。湖北・湖南を例に財政改革の成果を検証すると、湖北では、咸豊期に、釐金・牙帖捐の導入により国家財政を再建させるとともに、漕糧の定額銭納化により地方的微収を大幅に整理した。...

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  • <論説>清代後期四川における地方財政の形成 : 会館と釐金

    山本 進 史林 75 (6), 799-828, 1992-11-01

    ...威豊以降、差務は釐金の付加税部分に収斂され、従来公的には殆ど認められていなかった地方財政を不完全ながら制度化させた。 差務負担の公平化と忌避の防止を図るため、商人は同業者間の結束を強化した。その役割を担ったのが幇である。幇は会館の下部団体で同業組合中心に組織され、各牙行を介して差務そして釐金の徴収を請け負い、清末以降商会を形成した。...

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