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  • 日本の金属業祭祀における神道と中国文化 -鞴祭りを中心に-

    劉, 琳琳 非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (22) 95-110, 2021-03-20

    ...一条兼冬の『世諺問答』の記述の分析を通して、火焼の源流は宮中の鎮魂祭御神楽およびその一環としての「庭燎」に遡ることが明らかである。鎮魂祭の深層にはもともと天岩戸神話があり、鎮魂祭は冬至に際して太陽のよみがえりを祈るという意識が含まれることになる。火焼・鞴祭りの成立に伴って、そうした意識もこの二つの行事に流れ込んだと考えられよう。...

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  • 聖武天皇の印南野行幸と難波宮の造営

    栄原 永遠男 大阪歴史博物館研究紀要 13 (0), 1-9, 2015

    ...聖武天皇は、この両方を知っていたはずであるが、そのうち印南野に行幸したのは、その地が、節日や鎮魂祭・大嘗祭などに供される柏の採取地であったからである。印南野の柏がこれらの王権にかかわる祭祀に使用されるのは、かつてこの地の豪族と天皇家との間に婚姻関係があり、贄が貢納されていた伝統による。...

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  • 国家的なるものと地域的なるもののはざまで

    森 正人 日本地理学会発表要旨集 2009s (0), 254-254, 2009

    ...各地で執り行われた鎮魂祭は招魂社の設立運動にいたり、後に靖国神社と名を変える招魂社にまつられる英霊から区別された楠木正成はただ一人、湊川神社に祀られることになった。  国家を代表する偉人としてがぜん注目されるようになった楠木正成は、宮城前への銅像設置や、南北朝のどちらが正統であるかをめぐってなされた南北朝正閏論争をとおして完全なるナショナル・ヒーローの座へ登りつめていった(森2007)。...

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  • 語り本の成立 : 台本とテキストの間(<特集>『平家物語』、<語り>と<書くこと>)

    福田 晃 日本文学 39 (6), 54-64, 1990

    ...したがって、それは平家の「悪」を強調して、鎮魂祭祀の意義を主張するものであった。やがて、その鎮魂が風化するに及ぶと、作文の要求にとどまり、語りも固定して琵琶法師の語り本は成立した。そして、それは、平家亡びの哀れさを強調して、作品の上で鎮魂を果すという文芸の道を進んだ。が、信仰に応ずる芸能として、それは退嬰の道であった。...

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