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劉, 琳琳 非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (22) 95-110, 2021-03-20
...一条兼冬の『世諺問答』の記述の分析を通して、火焼の源流は宮中の鎮魂祭御神楽およびその一環としての「庭燎」に遡ることが明らかである。鎮魂祭の深層にはもともと天岩戸神話があり、鎮魂祭は冬至に際して太陽のよみがえりを祈るという意識が含まれることになる。火焼・鞴祭りの成立に伴って、そうした意識もこの二つの行事に流れ込んだと考えられよう。...
機関リポジトリ HANDLE Web Site
Kobayashi Norihiko, 小林 宣彦 國學院雑誌 121 (11), 43-65, 2020-11
Journal Article
DOI 機関リポジトリ
塩川 哲朗 國學院大學研究開発推進機構紀要 12 29-64, 2020-03
Departmental Bulletin Paper
DOI 機関リポジトリ Web Site
塩川 哲朗 國學院大學神道研究集録 32 79-104, 2018-03
栄原 永遠男 大阪歴史博物館研究紀要 13 (0), 1-9, 2015
...聖武天皇は、この両方を知っていたはずであるが、そのうち印南野に行幸したのは、その地が、節日や鎮魂祭・大嘗祭などに供される柏の採取地であったからである。印南野の柏がこれらの王権にかかわる祭祀に使用されるのは、かつてこの地の豪族と天皇家との間に婚姻関係があり、贄が貢納されていた伝統による。...
DOI
山口 剛史 宗教研究 87 (Suppl), 74-75, 2014
山口 剛史 宗教研究 86 (4), 797-798, 2013
田村, 明子 常民文化 (34) 150-127, 2011-03
P(論文)
機関リポジトリ
山口 剛史 宗教研究 84 (4), 1185-1186, 2011
山口 剛史 宗教研究 83 (4), 1546-1547, 2010
森 正人 日本地理学会発表要旨集 2009s (0), 254-254, 2009
...各地で執り行われた鎮魂祭は招魂社の設立運動にいたり、後に靖国神社と名を変える招魂社にまつられる英霊から区別された楠木正成はただ一人、湊川神社に祀られることになった。 国家を代表する偉人としてがぜん注目されるようになった楠木正成は、宮城前への銅像設置や、南北朝のどちらが正統であるかをめぐってなされた南北朝正閏論争をとおして完全なるナショナル・ヒーローの座へ登りつめていった(森2007)。...
山口 剛史 宗教研究 82 (4), 1253-1255, 2009
DOI Web Site
工藤, 浩 国文学研究 128 33-44, 1999-06-15
資料形態 : テキストデータ プレーンテキスト
工藤 浩 国文学研究 (128) 33-44, 1999-06-15
金子, 裕之, かねこ, ひろゆき, Kaneko, Hiroyuki, 肥塚, 隆保, こえづか, たかやす, Koezuka, Takayasu 奈良文化財研究所年報 1995 15-15, 1996-03-15
type:Article
木部 英弘 日本歌謡研究 35 (0), 28-34, 1995-12-30
福田 晃 日本文学 39 (6), 54-64, 1990
...したがって、それは平家の「悪」を強調して、鎮魂祭祀の意義を主張するものであった。やがて、その鎮魂が風化するに及ぶと、作文の要求にとどまり、語りも固定して琵琶法師の語り本は成立した。そして、それは、平家亡びの哀れさを強調して、作品の上で鎮魂を果すという文芸の道を進んだ。が、信仰に応ずる芸能として、それは退嬰の道であった。...