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検索結果 112 件

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  • A Jester and His Kings : Nakai Hiromu and the Meiji Elite

    山口, エレノア 京都府立大学学術報告. 人文 (74) 1-30, 2022-12-25

    ...中井は長州藩士の伊藤博文と井上馨と深い関係があった。更に土佐藩士の後藤象二郎と坂本龍馬とも知り合い、1866 年にこの二人の勧めと支援で中井は始めて英国に旅した。その他に明治時代に生きた有名な人物で中井の友人だったのは、大久保利通、木戸孝允、大山巌、大隈重信などが例に挙げられる。大物歴史人物への影響はかなり大きいことから、中井弘自身は現在知られていなくても彼の影響は日本史に残ることが明らかになる。...

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  • CAPSマーカーを用いた山口県の幻のミカン クネンボ(九年母)の探索

    柴田, 勝, 樋口, 尚樹, 元水, 在斗, 岡崎, 芳夫, 西岡, 真理, 五島, 淑子 山口大学山口学研究センター紀要「山口学研究」 2 1-9, 2022-03-01

    ...特に萩地域では、品種不明のカンキツの多くが小型のナツダイダイであり、長州藩家臣の屋敷跡地や植栽図で200 年以内に確実にクネンボが植えられていた園庭であっても、クネンボを見出すことはできなかった。一方、宗像大社の祭事で用いられてきたクネンボは、農研機構と同じ遺伝子型を示した。...

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  • 長州戦争と譜代延岡藩 -「御用部屋日記」から-

    大賀, 郁夫 宮崎公立大学人文学部紀要 27 (1), 1-34, 2020-03-06

    ...長州戦争とは、元治元年から慶応二年まで、幕府が二次にわたって「朝敵」となった長州藩の征討を試み、幕府軍の敗北に終わった内戦である。日向延岡藩は譜代藩としてこの長州戦争に二度とも出陣しており、藩政および藩財政に与えた影響は極めて大きいものがある。  本稿では藩主内藤政挙が出陣した第二次征長をとりあげ、旗本後備の拝命から大坂出陣・滞坂、広島出陣について「御用部屋日記」から検討を加えた。...

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  • 王政復古前後の政局と公議 : 新発田藩を事例に

    青山, 忠正 歴史学部論集 10 43-56, 2020-03-01

    ...この政変については、薩摩藩及び長州藩の主導によるとの印象が、一般的には強いようだが、現実の政局運営においては、必ずしも有力とはいえないような諸藩の勢力が、多数意見を形成し、政局の動向を根底の部分で規定していた。本稿では、このような諸藩の見解を公議ととらえ、新発田藩を事例として、政局との関わりを明らかにする。...

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  • 禁門の変と畿内諸藩の軍役 : 淀藩・膳所藩・西大路藩を素材に

    笹部, 昌利 京都産業大学日本文化研究所紀要 24 1-40, 2019-03-25

    ...元治元年(一八六四)六月以降、京の南方に長州藩毛利勢が屯集するにともない、淀藩は「火之番御用」を旨とする幕末の軍役を遂行してきたのである。さらに、近江国に拠点を有し、禁門の変に際して軍役対応が求められた西大路藩市橋家および膳所藩本多家の事例を紹介し、畿内諸藩が担う軍役との関係性について補完的に考察しえた。...

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  • 明治維新「神子禁止令」の思想背景と社会的意味 : 「淫祀論争」と大阪の動向から

    堀岡, 喜美子 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 46 73-90, 2018-03-01

    ...本論は思想背景として、明治維新の宗教政策を主導した、津和野藩と長州藩間で起きた「淫祀論争」から、平田派国学者による「淫祀観」の影響が大きいことを明らかにした。また、社会的意味には、「神子禁止令」を政府に先駆けて発布した大阪府の社会動向から、呪術信仰の影響を受けやすい民衆騒動対応を一つの目的とする国民教化政策の一環であることを検証した。...

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  • 食料供給から見た離島の持続可能性

    荒木 一視 日本地理学会発表要旨集 2015s (0), 100002-, 2015

    ...長州藩他地域と比較しても,米の生産量が少ないながらも人口の多いことが顕著で,生産量の多さが人口を支えたという枠組みでは把握しきれない側面がある。こうした人口を支えたのが,海運業などによる現金収入ではなかったかと考えられている。いわば当時の周防大島は食料供給を外部に依存するという都市的な性格を有していたとみることもできる。  ...

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  • 『防長風土注進案』記載の魚類と村落:系統樹による村落の階層化と特徴的魚類の検出

    松森, 智彦, 中村, 大, 五島, 淑子 じんもんこん2014論文集 2014 (3), 169-176, 2014-12-06

    ...『防長風土注進案』とは,江戸時代後期に編纂が行われた長州藩の地誌である.筆者らはこの資料をもとに,食品,商品作物,手工業製品などを含む産物データベースを構築した.併せて農作物,採集品,魚介類,海藻類を含む食品目録の作成を進めている.本稿ではこの目録に含まれる条鰭綱・軟骨魚綱の魚類を対象に,村落と魚類の関係について分析を行う.魚類の記載をもとにJaccard 距離を用いて,村落間の類似度を計測し系統樹...

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  • 吉田松陰の経世論

    武石, 智典 研究論集 13 359-384, 2013-12-20

    ...吉田松陰(1930~1959)は,江戸末期の長州藩士であり,思想家,教育者 として知られている。吉田松陰は明治から現代に至るまで人気が高く評価の 高低は別として,注目されてきた人物である。松陰に関する先行研究は,様々 な時代ごとの背景や世論に左右されてきた。松陰に対する評価は,昭和二十 年の八月十五日の敗戦以前と以後で大きく分けることができる。...

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  • <論説>幕末期長州藩における民衆動員と真宗

    上野 大輔 史林 93 (3), 390-417, 2010-05-31

    ...本稿の課題は、幕末期長州藩における民衆動員と真宗との関係について究明することである。まず、欧米勢力の来航に対する海防に当たり、人々を国家に服従させ、進んで死に赴かせることを重視した村田清風は、そのために真宗を利用することも試みた。一方、月性『仏法護国論』は、蓮如教学の有効性を重視しつつ、国家への服従としての海防に向け門徒を扇動した。...

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  • 下関市における江戸時代の朝鮮通信使饗応料理の再現

    神田, 知子, 高正, 晴子 山口県立大学学術情報 1 50-55, 2008-03

    ...,「長門下之関御馳走一番(長州藩の御馳走が一番)」と評された時の饗応料理の中で,三使(正使,副使,従事官)に提供された五五三膳と引替三汁十五菜の一部である.再現料理に要した食材料の種類から,動物性たんぱく質源である魚介類が多いことがわかった.また,保存効果や抗菌効果をもつ山椒やからし,わさびなどの香辛料が多用されていることがわかった。...

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  • 徳川日本の所得分布―1840年代の長州経済―

    斎藤 修, 西川 俊作 経済研究 58 (4), 289-301, 2007-10-25

    ...近世イングランドや低地諸邦における経済成長は所得不平等の拡大を伴っていたが,徳川後期の日本では格差の拡大はみられなかったといわれている.本稿は,1840年代に長州藩が行った村別調査報告集である『防長風土注進案』にもとづき,身分階層間格差は実際に小さかったことを示す.武士の一人当り所得は農家の一人当り可処分所得の1.8倍,工商世帯は1.6倍にすぎなかったのである.この背景には,可処分所得の42%を非農生産活動...

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  • 長州藩における牛痘種痘法の導入と普及(第二部 蘭学の地域的展開と交流)

    小川 亜弥子 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 116 155-177, 2004-02-27

    ...明治維新史研究の中で、長州藩は、常に分析の対象とされてきた。このため、長州藩の幕末・維新期の研究は、必然的に、政治史・経済史的側面からの研究を中心としており、現在、膨大な蓄積量となっている。こうした中で、筆者は、当該期の長州藩を、洋学史的側面から焦点化する有効性を主張してきた。周知のように、幕末期洋学史研究においては、当該期の洋学の性格規定をめぐって、現在二つの見解がある。...

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  • 萩藩 (長州藩) の英学

    寺田 芳徳 英学史研究 1997 (29), 61-79, 1996

    The author held some practical inquiries into Western studies carried out in Hagi (Choshu) clan in the revolutionary age of Meiji Restoration.. The, outlines of its growth of English studies have …

    DOI Web Site Web Site 参考文献1件

  • 江戸水道の基礎的研究その2

    神吉 和夫 日本土木史研究発表会論文集 9 (0), 147-153, 1989

    ...長州藩上屋敷では上水導水以前は掘井戸が使用されていた。また、水道と屋敷内の掘抜井戸を水源とする呼井戸給水系が併設されていた時期があった。...

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  • 長州萩における英学文献資料の研究

    寺田 芳徳 英学史研究 1990 (22), 147-167, 1989

    ...The feudal clan Hagi-han or Choshu-han (正式名称萩藩, 俗称長州藩), Yamaguchi prefecture at present, which commanded the western entrances to the Inland Sea, played the greatest role in the Meiji Restoration....

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  • 長州藩における俵物生産と流通

    小川 国治 人文地理 19 (6), 608-633, 1967

    <i>Hyomotsu</i> products were a very important export of the Nagasaki Trade to the Modern age Ch'ing dynasty (China). In China the demand for them was very great because they were first-class food …

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  • <論説>長州藩における慶応軍政改革

    田中 彰 史林 42 (1), 104-124, 1959-01-01

    ...かかる意味で、討幕派の主要な一翼たる長州藩の慶応期の分析は当然果さねばならぬ課題であろう。しかし、ここでは視点を慶応元~二年 (一八六五~六) の軍政改革において追及した。それは変革期においては、とくに軍事力に端的に指導・同盟関係が示され、改革派同盟と対比してその差を明確になしうると思つたからである。この慶応軍政改革による討幕派「軍事官僚」の指導権の確立-それが本稿の課題であり、結論でもある。...

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  • <論説>土佐藩における討幕運動の展開

    池田 敬正 史林 40 (5), 353-378, 1957-09-01

    従来の討幕派についての見解は、いわゆる長州藩『正義派』についての奈良本辰也氏の規定である郷士=中農層論を中心に論議が進められている。この奈良本理論には多くの批判がよせられているが、その基本点は必ずしも否定されていないと考えられる。それは開明的下士層と『豪家の農商』といわれる層との何らかの形での連繋に討幕派の成立をみるという形で諸氏の意見に再生されているからである。しかしこれでは、特権的大政商と結…

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