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検索結果 450 件

  • [論文] 鎌倉幕府の地頭請所政策と荘園制 (第二部 武家領主の政治的動向)

    清水, 亮 国立歴史民俗博物館研究報告 245 91-113, 2024-02-29

    ...13世紀最末期以降の鎌倉幕府は、関東口入請所以外の地頭請所保護政策を後退させるが、私請所についても無前提に保護政策を後退させたわけではなかった。そして、関東御領においては、民衆救済をともなう地頭請所の設定が継続された。鎌倉幕府は、一貫して荘園制を維持する媒介として地頭請所を位置づけていたのである。...

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  • 明曹昭『格古要論』巻之下 古窯器論 大食窯について

    矢島 律子 鶴見大学紀要. 第4部, 人文・社会・自然科学編 (60) 15-25, 2023-02

    ...一方、関連して記述される「拂郎嵌」の「拂郎」は中東イスラム教徒のヨーロッパ人に対する呼称「フランク」の転音語であり、「拂郎嵌」は「フランクの七宝」すなわちビザンティン七宝から波及して発展し、13世紀頃にはリモージュなどで隆盛したヨーロッパ産の七宝を指すと考えられる。...

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  • 新潟・長野県境の関田峠における山体重力変形の形成・発達史

    渡辺 樹, 石村 大輔 日本地理学会発表要旨集 2023s (0), 140-, 2023

    ...</b><b>茶屋池湿原の模式層序</b></p><p>CYI-P1コアでは,泥炭中に新潟焼山高谷池cテフラ(Yk-KGc, 12-13世紀),妙高赤倉テフラ(My-A, 5.7-5.9 ka),十和田中掫テフラ(To-Cu, 5.9 ka),BW338hテフラ(6 ka頃)が認められている.浅間草津テフラ(As-K, 16 ka)が泥炭層の基底にあり,As-Kより下位は白色~淡褐色のシルト層となる...

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  • インドネシアにおける般若波羅蜜多菩薩坐像について

    伊藤 奈保子 印度學佛教學研究 70 (3), 1207-1214, 2022-03-25

    ...</p><p> 鋳造像は20㎝以下であり,中部ジャワ地域と東部ジャワ地域で出土し,時代は8-11世紀に亘る.石造像は約1mを基準に巨大で東部ジャワ地域・スマトラの11-13世紀に確認できる.いずれも数は少ない.特徴としては,材質に関わらず女尊で,一面二臂の坐像であり,高髻を結って宝冠(髪髻冠)を戴き,三面頭飾をつけ垂髪を垂らしている.耳飾・胸飾・臂釧・腕釧・足釧など 華美な装飾品で身を飾り,聖紐を左肩...

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  • インドネシアにおける出土銭の調査(2011~2013年)

    三宅, 俊彦, Miyake, Toshihiko 淑徳大学人文学部研究論集 7 123-153, 2022-03-15

    ...特に13世紀と15世紀に埋められたと考えられる、東部ジャワで発見された一括出土銭は、中国・北宋銭の一文銭を主体としていることが明らかとなり、当該地域の銭貨流通を解明する上で重要な成果を上げた。 またバリ島の寺院発見の賽銭では、中国・清銭を主体としながらもベトナムの私鋳銭や日本の寛永通寳・長崎貿易銭などが発見された。...

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  • ルーシの石貨(紡輪)について

    安木 新一郎 函館大学論究 53 (2), 59-66, 2022-03

    ...13 世紀後半になると石貨はなくなった。モンゴル支配下のルーシでは銀と貝貨が使用されており、貝貨が安定的に供給されるようになり、石貨は流通しなくなったと考えられる。良貨である貝貨が悪貨である石貨を駆逐したという、グレシャムの法則の逆の現象が起きたのであろう。...

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  • 紙が演出した文明史上の交代劇

    飯田 清昭 紙パ技協誌 76 (3), 248-256, 2022

    ...</p><p>イスラムの製紙技術はヨーロッパに伝わり,13世紀にイタリアで製紙工場が生まれる。時期を合わせて,ヨーロッパがダイナミックに動き出す。ルネッサンスで膨大な文献が翻訳,研究される。15世紀には金属活字印刷を開発,新しい次元に入った。宗教改革(1517年)が始まり,大量の印刷物が発行され,a media revolutionと呼ばれた。...

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  • 香蘇散伝説を探る

    安井 廣迪 日本東洋医学雑誌 73 (1), 35-46, 2022

    ...COVID-19の漢方的病態は11~13世紀の疫病とよく似た特徴を持っていると考えられ,香蘇散などの『和剤局方』傷寒門の処方群はCOVID-19に対して有効である可能性が推察された。これは,科学的に検証する価値があると考えられる。</p>...

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  • 兵庫県六甲山地南東麓、住吉-御影地域と芦屋-西宮地域の花崗岩とその利用

    先山 徹 日本地質学会学術大会講演要旨 2022 (0), 134-, 2022

    ...<p><b>はじめに</b></p><p> 六甲山地の花崗岩は古くから石材として利用されてきた.特に現在の神戸市御影の浜から各地に多くの石材が搬出されたため「御影石」と呼ばれるようになった.その始まりは中世(13世紀)のころからと考えられ,その石造物は各地に残されている.ここでの採石の様子は江戸時代の名所図会などにも残され,近代まで活発に続けられていた.その主体は現在の神戸市東灘区に位置する住吉川および...

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  • 人倫の理と会計学

    渡邉 泉 会計史学会年報 2022 (40), 1-15, 2022

    ...会計学の損益計算構造を支える複式簿記は,13世紀初頭のイタリアで,公正証書に代わり 取引記録の信頼性を確保するための文書証拠として誕生する。14世紀半ばには,損益計算機 能を完成させ,世界の覇権の推移に伴い,フランドル,オランダを経て19 世紀初めのイギリスで会計学へと進化する。その過程で,自らの第1義的機能を記録・計算から情報提供へと変容させる。...

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  • [論文] 喜界島・奄美大島から薩摩・大隅地方の中世遺跡の様相

    岩元, 康成 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 226 171-195, 2021-03-31

    ...13世紀以降15世紀にかけて両地域間では,遺構・遺物の差異が目立つ状況にある。奄美大島の赤木名城は九州戦国期の山城と類似が指摘されているが,15世紀に九州の築城技術が伝えられたとは考えにくく,近世に整備された可能性がある。15世紀に喜界島・奄美大島は琉球と対立し敗れている。喜界島と奄美大島笠利地区の15世紀の遺跡が存続せず,16世紀の遺物がほとんど出土していない。...

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  • [論文] 先島の集落遺跡からみた琉球の帝国的様相

    村木, 二郎 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 226 113-142, 2021-03-31

    ...発掘調査によってそこから出土する中国産陶磁器は膨大で,それらの遺跡は13世紀後半から14世紀前半に出現し,15世紀代を最盛期とする。しかし16世紀代の遺物は激減し,この時期に集落が廃絶したことがわかる。竹富島の花城村跡遺跡に代表される細胞状集落遺跡は,不整形な石囲いが数十区画にわたって連結したもので,その外郭線は崖際にさらに石を積み上げた防御性をもったものである。...

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  • [論文] 先島諸島における貿易陶磁の動態とムラの成立に関する課題

    池谷, 初恵 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 226 143-169, 2021-03-31

    ...1:貿易陶磁の出土量が増加する13世紀後半,2:貿易陶磁の出土量がさらに増加し,主体が白磁から青磁に変換する14世紀後半,3:遺跡により出土量の増減に特徴がみられる15世紀後半,4:一部の遺跡を除き多くの遺跡において出土量が激減する16世紀初頭~前半である。...

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  • 刃物産地の生き残り戦略 : イギリス・シェフィールドとドイツ・ゾーリンゲンの事例

    上野 恭裕, 曽根 秀一 関西大学社会学部紀要 52 (2), 93-114, 2021-03-31

    ...例えばゾーリンゲンは13世紀にはすでに刃物の産地となっている。ゾーリンゲンが刃物産地となった大きな理由の一つがライン川の存在である。ライン川を通じて、貿易都市ケルンに繋がり、多くの製品が世界各国に輸出された。また、支流も含めて水力を利用することができ、そこに鍛冶屋や研磨工などの職人が集まった。シェフィールドもドン川の水力を利用して刃物の産地となっている。...

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  • 紙が演出した文明史上の交代劇

    飯田 清昭 紙パ技協誌 75 (8), 743-746, 2021

    ...しかし,13世紀頃よりベトナム語を漢字に基づいて変換記録する書式を併用しだす。言語の統一は1945年の革命後である。伝統的な紙の製法は日本と類似する。原料は,自生する靭皮植物のdó treeの内皮である</p><p>日本に渡った製紙技術は和紙として完成し,それに記載された日本文化は紙の新たな可能性をしめしたとして評価されている。</p>...

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  • 紙が演出した文明史上の交代劇

    飯田 清昭 紙パ技協誌 75 (10), 935-941, 2021

    ...</p><p>朝鮮では,10〜13世紀に木版印刷による経典の印刷が盛んに行われた。さらに,14世紀には金属活字による経典の印刷も行われた。15世紀には,活字印刷に適するハングルが開発された。しかし,ハングルの使用禁止策等により,金属活字印刷は,一部の特権階級に限られ,普及しなかった。</p><p>中国では,7世紀頃から木版印刷が普及し,13世紀にはその黄金期を迎えた。...

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  • 太田川下流平野における人為的影響の検討

    松本 誠子, 久保 純子, 貞方 昇 日本地理学会発表要旨集 2021s (0), 128-, 2021

    ...現段階の採取試料で見る限り、「最上部陸成層」中の炭化物の年代は13世紀から18世紀という極めて新しい年代値(中世から近世)を示した。また、「下流平野」に属する安佐南区緑井の自然堤防状微高地からは、砂鉄製錬滓由来の鉄滓粒が見出され、「デルタ」の各試料からは鉄錆片(鍛造鉄器片)を含む幾つかの鍛冶関連物質粒が認められた。...

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  • 紙が演出した文明史上の交代劇

    飯田 清昭 紙パ技協誌 75 (9), 840-848, 2021

    ...13世紀頃より,製紙技術を手にしたイタリヤがイスラム市場へ紙を輸出出だした。イスラムの製紙技術とbook marketはイランを中心に14世紀に最盛期を迎えた。</p><p>イスラムの紙は,亜麻から得られるリネンのぼろを,水車を動力として叩解,手漉き,風乾した後,小麦でんぷん主体の塗工剤を塗り重ね,風乾後磨き上げる。これにより,ペン書きに耐える紙となる。...

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  • 紙が演出した文明史上の交代劇

    飯田 清昭 紙パ技協誌 75 (11), 1010-1016, 2021

    ...13世紀にイタリアで製紙工場が生まれる。その技術がアルプスを越えたドイツで広がり,さらに英国まで渡る。</p><p>この時代,ヨーロパは,イスラムに対して鉱山開発と金属加工に優れていた。その技術による金網を張った手漉きモルド,金属カバーのstamperを開発,さらに,ゼラチン含浸を含め,製造コストを削減したイタリアが,香料や絹との交換貿易の商品としてアラブへ売り込んだ。...

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  • Śobhākaramitraによるhetuとanumānaにおける詩的美感

    趙 世弘 印度學佛教學研究 68 (3), 1151-1154, 2020-03-25

    ...<p>12世紀後半から13世紀前半までカシミール地方で活躍したサンスクリット語修辞学者ショーバーカーレシュヴァラミトラ(ショーバーカミトラともいう)は,自身の著作である『アランカーラ・ラトナーカラ』において,修辞手法としての推理(anumāna)と証因(hetu)について論じた.マンマタ(ca. 1050–1100)やルッヤカ(ca. 1125–1175)といった彼以前の修辞学者の理論と比べると,この...

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  • 中近世ヴェネツィアにおける宗教兄弟会のアーカイブズ管理

    高見 純 国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇 = The Bulletin of The National Institure of Japanese Literature, Archival Studies 51 (16), 17-37, 2020-03-16

    ...13世紀以来、イタリア北中部では都市政府による記録文書の保存と管理が本格的に開始された。干潟の大商業都市ヴェネツィアも例外ではなく、15世紀以降に書記局を中心に過去の記録を整理し、文書形成と管理を拡大的に整備・進展させ、現在でも、ヨーロッパで有数の量の記録文書を伝え際だった存在感を示す。 ...

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  • 中世房総における陶磁器の物流

    鶴岡, 晃典, Tsuruoka, Akinori 淑徳大学人文学部研究論集 5 41-54, 2020-03-15

    ...12世紀には東海産の製品が搬入されはじめ、また13世紀後葉から14世紀には北関東で在地の貯蔵具や調理具が生産されるが、南関東では生産されない(浅野・服部1995)。しかし、15世紀から「常陸と上総」などで在地の土器が出現する(浅野・服部1995)。このことから、東国でも北関東と南関東(特に東京湾)ではルートの違いから陶磁器、土器の様相が変わることが判明した。...

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  • 日本周辺の歴史時代の気候変動とその影響

    田上 善夫 日本地理学会発表要旨集 2020a (0), 167-, 2020

    ...とくに13世紀頃の中世温暖期から小氷期への移行期、19世紀頃の小氷期以降の温暖化期には太平洋高気圧の盛衰など循環系との関係がみられる。欧米に大きく影響する北大西洋周辺の気候変化と、日本での北太平洋周辺の気候変化は、寒暖などに注目する場合には相異するところがあるが、循環系の変化を介するなら地球規模での変化として理解が進むこととなる。...

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  • 12-13世紀におけるポンティウ伯の上級裁判権

    大浜 聖香子 史淵 156 25-47, 2019-03-12

    ...はじめに / 第1章: 12ー13世紀初期におけるポンティウ伯の上級裁判権の始まりとその早熟性 / 第2章:13世紀ポンティウ伯による上級裁判権の掌握と統治活動への活用 / 第3章:ポンティウ伯領における上級裁判権の対象犯罪 / おわりに...

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  • 浜松市伊場遺跡群における環境変遷と伊場大溝遺構の起源

    佐藤 善輝, 小野 映介 日本地理学会発表要旨集 2019a (0), 38-, 2019

    ...</p><p> これまでの発掘調査から,伊場大溝の形成時期は遅くとも5世紀後葉までさかのぼり,その後若干の流路移動を伴いながら13世紀頃にかけて埋積されたと推定されている.ただし,大溝の形成や埋積の要因については不明な点も多い....

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  • 第25回 甚風呂(戎湯)

    池田 幸弘 ファルマシア 55 (3), 246-247, 2019

    ...湯浅は醤油の町である.今では,関東なら銚子や野田,関西では龍野や小豆島が代表的な産地であるが,ここ湯浅が発祥の地と伝承されている.小さな漁港の漁師町で,さほど農作物も栽培されていないと思われる湯浅がどうして醤油の源の地となったのか興味深いが,どうやら13世紀の中頃,南宋から帰国した僧侶が金山寺からこの地に持ち帰った金山寺味噌(経山寺味噌)が由来のようである....

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  • 女性を作善にいざなう絵巻

    成原 有貴 ジェンダー史学 14 (0), 39-55, 2018-10-20

    ...<p>「当麻曼荼羅縁起絵巻」(光明寺蔵、二巻、13 世紀)は、貴族女性が蓮糸で浄土曼荼羅を作り往生するという、当麻寺本尊の曼荼羅の縁起を描く。制作意図は未解明である。</p><p>2014 年の拙稿(『美術史』176)では、女性が当麻寺に奉納するため制作させたとの先学の説に対し、曼荼羅が懸かる下巻の建物が当麻寺ではなく貴族邸宅内の信仰空間であることを論証し、異論を呈した。...

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  • ファフルッディーン・ラーズィーと哲学としてのオカルト諸学

    大渕 久志 日本中東学会年報 34 (1), 1-33, 2018-07-15

    ...本論文は13世紀初頭における哲学的神学の実態を明らかにする研究の一部として、オカルト諸学を含む哲学がラーズィーの神学へどのように摂取されているかを考察する。第Ⅰ節の序論に続き、第Ⅱ節において彼の神学著作を時系列に沿って精査し、彼自身がどのような思想体系を哲学と認め、実際に受容したのかを検討する。...

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  • 神を語ることについて : アッタール『神の書』における佳人を用いた表現方法

    石川 喜堂 一神教世界 9 57-77, 2018-03-31

    ...本稿では、12世紀から13世紀に活躍したペルシア神秘主義詩人アッタールの韻文作品の一つである『神の書』に登場する佳人をめぐる寓話に着目することによって、その神秘主義思想がどのように表現されているかを分析する。アッタールはその韻文作品では多くの寓話を用いて、その思想や教えを伝えようとしている。ペルシア神秘主義の伝統では、佳人は神の象徴であり、詩の主要テーマは「神への愛」である。...

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  • 中世初頭の東国の京都系かわらけにみる技術の導入と変容

    池谷, 初恵 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 210 9-27, 2018-03-30

    ...本稿では,12~13世紀に京都の影響を受けて地方で作られた,いわゆる京都系かわらけについて,成・整形技法の視点から分析を行い,京都系かわらけの東国への導入と変容について検討する。分析にあたっては,平泉・鎌倉・韮山の4遺跡,7基の井戸および井戸状遺構に廃棄された京都系かわらけを含む一括資料を対象とした。...

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  • 中世漆器の技術転換と社会の動向

    四柳, 嘉章 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 210 29-47, 2018-03-30

    ...新潟県寺前遺跡(12世紀後半~13世紀)のように,製鉄溶解炉壁や食漆器の荒型,製品,漆刷毛,漆パレットなどが出土し,荘官級在地有力者の屋敷内における,鋳物師と木地・塗師の存在が裏付けられる遺跡もある。いっぽう次第に塗師や木地師などによる分業的生産に転換していく。そうしたなかで11~12世紀にかけて材料や工程を大幅に省略し,下地に柿渋と炭粉を混ぜ,漆塗りも1層程度の簡素な「渋下地漆器」が出現する。...

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  • 史料からみた2016年熊本地震「液状化の帯」における土地の履歴

    青山 雅史 日本地理学会発表要旨集 2018s (0), 000212-, 2018

    ...<br><br>この「液状化の帯」の南端付近に位置する大慈寺に残された文書(大慈寺文書)には,川尻付近において白川と緑川が合流していたとする1276(建治2)年の記述や,大慈寺の東側は白川に,南側は緑川に隣接していたとする1282(弘安5)年の記述がある.これらの記述から,13世紀後半には白川が「液状化の帯」に該当する領域を流下していたことが示唆される....

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  • チベット文献において言及される世親の『法華論』

    望月 海慧 印度學佛教學研究 65 (3), 1263-1270, 2017

    ...世紀中頃には失われていたことを示している.また,中国でまとめられた『至元録』には,二つの漢訳とともにチベット語訳が存在したことを示している.これらの根拠は単一の情報に由来するものであろうが,『法華論』のチベット語訳がかつて存在したことを示している.ただし,それは必ずしもインドで書かれた原典の存在までを示唆するものではないが,チベット人は世親の『法華論』の存在を認識していたことは明らかである....

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  • 茨城県常総市石下周辺における鬼怒川のクレバススプレー堆積物

    佐藤 善輝 日本地理学会発表要旨集 2017a (0), 100078-, 2017

    ...世紀前後の200~300年間に集中的に堆積した可能性を指摘した.しかしながら,クレバススプレー堆積物の詳しい粒度変化や年代資料は得られていない.こうした問題点を踏まえ,常総市石下地区周辺に発達するクレバススプレー上において,泥質堆積物まで達するボーリングコアを掘削し,コア解析を実施した....

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  • 13世紀の板蟇股に見る力学的合理性を持った装飾

    奥村 恵美佳, 久保 光徳, 田内 隆利, 山中 敏正 デザイン学研究 63 (5), 5_7-5_14, 2017

    ...そこで本研究では,中世初期に当たる13世紀の板蟇股に掘りこまれた眼玉と呼ばれる二つの小さな凹みの意匠に着目した。13世紀に制作された板蟇股の3Dモデルを用いて木材の材料特性である直交異方性を考慮した非線形構造解析を行った。...

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  • 金容煥「共福享有の媒介方案」

    邊 英浩, 柳生 真, 金 容煥 都留文科大学研究紀要 (84) 171-184, 2016-10-20

    ...韓国において固有信 イルヨン 仰、開国始祖と考えられているのは、『三国遺事』(13世紀末僧侶の一然編纂)などに記 タングンファンインファンウン 録が伝えられる古朝鮮の檀君神話である。それによれば桓因の庶子、桓雄が天から人間 タングン・ワンゴム 世界に降りてきて、熊と婚姻関係を結び檀君王倹を生んだが、檀君は中国の伝説的聖人の ぎょう 堯が即位して50年後に、平壌城に都を開き朝鮮と号したとされている。...

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  • モンゴルの公的年金制度の将来財政収支の推計と改善に向けた対応

    ボロル ソフタ バトボルド 保険学雑誌 2016 (632), 632_169-632_184, 2016

    ...モンゴル国(以下,モンゴルと略す)の公的年金制度は,13世紀の大モンゴル帝国時代の高齢者助け合い制度を原点に,王政,社会主義政権,民主主義政権と移行が進む中でも制度変更がなされ,1999年に概念的確定拠出年金を軸とした公的年金制度が誕生するなど興味深い。ただ,日本以上に長い歴史を有する年金制度ではあるものの,今後急速に進む高齢化への対応遅れや人口の3割を占める遊牧民の無年金など課題も多い。...

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  • チベットにおける仏教と詩

    根本 裕史 印度學佛教學研究 64 (3), 1283-1290, 2016

    ...13世紀以降にサンスクリット詩論書『詩鏡』がチベットに伝わると,チベットの仏教僧達は詩論を熱心に学び,修辞技法を凝らした詩を作るようになった.本稿はツォンカパ(1357-1419)以後のチベットにおける仏教と詩の関わりを考察するものである.ツォンカパは思想的円熟を迎えた41歳の頃,縁起を説いた仏陀を称賛する詩『縁起讃』を著し,教主を讃えながら,同時に彼によって説かれた縁起の思想を解き明かすという表現様式...

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  • ネパール現存の梵語・ネワール語混成写本について

    シャキャ スダン 印度學佛教學研究 64 (3), 1275-1282, 2016

    ...ネパール仏教の最大の特徴は,インドから伝播した経典,陀羅尼等の写本を梵文原典から現地語のネワール語,ネパール語等に翻訳することなく,原典のまま使用していることである.それはババーやバヒーと呼ばれるカトマンズ盆地の仏教寺院に今日までも継承されており,13世紀初頭にインドで途絶えてしまったサンスクリット語を中心とするインド仏教の思想・儀礼・図像などが維持・保存されている.一方,14世紀に入る頃ネパールの...

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  • 13世紀における板蟇股に見る力学的合理性

    奥村 恵美佳, 久保 光徳, 田内 隆利, 山中 敏正 日本デザイン学会研究発表大会概要集 63 (0), 185-, 2016

    ...さらに,優れた工匠集団と高く評価される13世紀における作り手の優れた力学的感性を構造解析によって論理的に裏付けることができた。...

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  • 平成28年熊本地震による液状化発生地点の分布と土地条件

    青山 雅史, 宇根 寛 日本地理学会発表要旨集 2016a (0), 100120-, 2016

    ...その一方、13世紀後半に川尻地区(元三町付近)で白川と緑川が合流していたことを記述した文書(大慈寺文書)が存在する。それらのことから、白川が川尻方面に南流していたのは江戸期初期以前までであった可能性がある。今後、この地区の液状化発生要因に関して、白川の河道変遷とそれに伴う地形発達、液状化層の土質や土木史(河川改修の歴史や河川・水路埋め立ての有無)などの検討が必要である。...

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  • 詠歌における心 ―「有心躰」によせて―

    黒田 智子, Tomoko KURODA 生活環境学研究 3 22-27, 2015-10-01

    ...小倉百人一首 (13世紀前半)の撰者で知られる藤原定家 (1162-1241)は,歌聖といわれ,詠歌についての言説が,後世において度々引用された。また,歌だけでなく,中世以降の連歌,能楽,茶道,書道など日本の伝統文化に大きな影響を与えた。特に,『毎月抄1)』(1219)は,歌を成立させる必須の条件を詠み手の心の在り方に求めた,日本文学史上初めての歌論である2)。...

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  • 15世紀東インドにおける仏教存続の証跡

    堀 伸一郎 印度學佛教學研究 63 (3), 1322-1328, 2015

    ...世紀初頭までにテュルク系ムスリム軍の軍事攻撃で破壊された後,仏教が滅亡したというのが従来の通説であった.しかし本稿で扱う写本識語は,15世紀中葉の東インド村落地域にサンスクリット仏教文献を伝承する仏教徒が存在したことを明確に示しており,通説に再考を促すものとなろう....

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  • 日本海北部域の離島で見出された津波堆積物の対比 : 奥尻島・飛島・佐渡島

    川上, 源太郎, 卜部, 厚志, 平川, 一臣, 仁科, 健二, 髙清水, 康博 新潟大学災害・復興科学研究所年報 3 149-152, 2014-12

    ...世紀頃,山形県飛島で9世紀のイベンおよび10世紀以降~13世紀頃までに2つのイベントが,新潟県佐渡島では9世紀および10~12世紀の2つのイベントが推定される.今回,青森県深浦,秋田県男鹿で9世紀頃のイベント堆積物を確認したことから,9世紀および10~13世紀に日本海北部で大きな津波イベントが発生している可能性が指摘される....

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  • 06 インドネシア、バリ社会において中国由来とされるいくつかの文化的事例について

    皆川 厚一, Minagawa Koichi 国際常民文化研究叢書7 -アジア祭祀芸能の比較研究-=International Center for Folk Culture Studies Monographs 7 -Comparative Study of Asian Ritual Performing Arts- 7 115-138, 2014-10-01

    ...インドネシアでは13 世紀以降、東ジャワに興ったマジャパイト朝時代に宋・明との貿易を通じて大量の中国貨幣が流通していった。これらは当初、国際貿易上の通貨として用いられていたわけであるが、バリ島では歴史のある時点からそれが儀礼のアイテムとしてその価値と重要性を増していった。この穴あき中国銭のバリ社会における意味と儀礼的機能を考察する。...

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  • 預言者ムハンマドを「継いだ」学者たち : 10-13世紀のムスリム社会の宗教知識人研究

    森山 央朗 基督教研究 76 (1), 1-32, 2014-06-24

    ...本論文は、10世紀から13世紀の西アジアで活動したウラマー(イスラーム宗教知識人)、中でも、ハディース(預言者ムハンマドの言行に関する伝承)学者に焦点を当て、彼らが西アジアの各地で編纂した人名録形式の地方史(地方史人名録)の構成・形式・内容を分析する。それを通して、地方史人名録の編纂拡散を支えた要素を明らかにし、ウラマーの知的実践を彼らの社会的活動と連関させて考察することの課題と重要性を議論する。...

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  • 愛知県における中世瓦の展開とその特徴

    永井,邦仁 研究紀要 15 63-74, 2014-03

    ...現在の愛知県に相当する尾張・三河国域で出土する中世瓦、特に13 世紀代の展開を概観する。個別資料の編年的位置を確認しながら、神宮寺と天台宗山林寺院を基軸とする分布に着目し、尾張の熱田大宮司家とそれを継承した三河の足利氏による寺院造営活動の一端を示しているものと考えた。...

    DOI Web Site 全国遺跡報告総覧

  • DaudipadaとGuhyavali

    倉西 憲一 印度學佛教學研究 62 (3), 1267-1271, 2014

    ...インド後期密教の文献であるGuhyavaliはわずか25偈からなる小品である.このGuhyavaliおよび著者Daudipadaはこれまで全く研究されてこなかった.Guhyavaliは短いながらも,インド後期密教の重要な教理「自加持」をメインテーマとしている.本稿では,まずGuhyavaliを引用する文献のリストを挙げる.中でも,10世紀頃のAdvayavajraや13世紀のRatnaraksita...

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  • Cypriot Pottery in Shimonoseki City Art Museum

    渡邉, 浩明 下関市立美術館研究紀要 (14) 1-13, 2013-12-16

    ...キプロス島から交易に使われたこの土器の年代は、紀元前15世紀から13世紀頃にあたる。考古学的には後期青銅器時代の第Ⅱ期に位置付けられる。大きさはおよそ6×15センチで、厚さは約5ミリ程度である。黒褐色の格子状あるいは網状の紋様が描かれているのが特徴で、厚手の白い釉薬が塗られている。...

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  • 頭蓋の形態小変異からみたアイヌとその隣人たち

    百々 幸雄, 川久保 善智, 澤田 純明, 石田  肇 Anthropological Science (Japanese Series) 121 (1), 1-17, 2013

    ...これらのことから,北海道からサハリンに渡った終末期の擦文人,あるいは最初期の北海道アイヌが,サハリンに生きながらえていたオホーツク人を同化・吸収し,13世紀にはサハリンアイヌの祖先集団となり,その後,ニブフをはじめ,アムール川下流域集団との混血を繰り返し,近世サハリンアイヌが形成されたと推測した。<br>...

    DOI Web Site Web Site ほか1件 被引用文献1件 参考文献81件

  • 直証は聖伝(agama)に勝るか?

    池端 惟人 印度學佛教學研究 61 (3), 1114-1118, 2013

    ...13世紀のVedanta学匠Madhvaは,Sankaraの説いた不二一元論に異を唱え,主宰神Visnuと世界との絶対的な別がすべての認識根拠(pramana)によって知られると主張した.中でも最も重要な根拠とされたのは,主宰神と自分たちとの違いを目の当たりにする経験(anubhava)である.しかし,この経験と,梵我一如を説くUpanisadの諸聖句とには明らかな矛盾がある.Madhvaはこの問題...

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  • 炭素14年代法による茨城県牛久市観音寺の年代

    坂本 稔, 今村 峯雄, 一色 史彦, 若狭 幸, 松崎 浩之 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 176 129-140, 2012-12-20

    ...仁王門の保存修復工事で得られた本堂側廻りの旧柱材(ケヤキ)2本の最外層の年代は炭素14-ウィグルマッチ法(¹⁴C-wiggle-matching)によりいずれも13世紀後半か,14世紀初頭に伐採された材と見られた。建立期の嘉禄2年(1226)より新しいが,再興されたとする大永5年(1525)よりはかなり古い年代となっており,「宋風彫刻」とされる十一面観音の鎌倉後期~室町期の年代と整合している。...

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  • 単式簿記は複式簿記の萌芽なのか―会計の本質との関連において―

    渡邉, 泉 商経学叢 59 (1), 125-139, 2012-07-01

    ...[概要] 複式簿記は, 13世紀初頭のイタリアで発生したが, 簿記の起源は, 複式簿記の起源であって, 単式簿記の起源ではない。では, 単式簿記の起源は, いつになるのであろうか。複式簿記は, 単式簿記から進化したという解釈が一般的のように思われる。もし, 簿記を企業間の商取引を記録し, 利益を計算し, それを報告するプロセスであると規定するなら, 簿記の起源は, 複式簿記以外の何物でもない。...

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  • 古渡路遺跡の中世掘立柱建物について : 架構等の復元とその特徴

    中尾, 七重 文化学園大学紀要. 服装学・造形学研究 43 77-87, 2012-01-31

    ...新潟県村上市の古渡路遺跡は13世紀から15世紀に営まれた集落遺跡で、掘立柱建物が92棟検出された。発掘された掘立柱建物は①梁間一間型②総柱型③複合型④不揃いの側柱型⑤方形建物の5種類に分けられる。梁間一間型は古渡路遺跡で最も多数の建物形式で、規模の大きな主屋建物は下屋を周囲に回す。また馬小屋建物も梁間一間型である。総柱型は梁間一間型よりも上位の住居形式である。...

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  • 「十万頌般若経」(第二部)のラサ写本について

    DENIYAYE Pannaloka 印度學佛教學研究 59 (3), 1164-1168, 2011

    ...「須菩提品」や「天王品」が含むこの巻は玄奘訳般若波羅蜜多経初会の「無所得品」(T5,305b)から「求般若品」(521a)の部分に一致すると見られる.九大写本では貝葉が欠けている部分が多くあり,ラサ写本では葉の順序の間違いが少しある.ラサ写本の文字は紀元11世紀から13世紀頃のProto-Bengali-cum-Proto-Maithili文字に近い.写本冒頭の礼拝文である「namah sri candamaharosanaya...

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  • インド・アッサム州の村落土地利用と耕地所有

    浅田 晴久, デカ ニッタナンダ, バガバティ アバニ クマル 日本地理学会発表要旨集 2011s (0), 62-62, 2011

    ...アホムとは13世紀初めに中国雲南省からブラマプトラ渓谷へ移住してきたタイ系の民族のことで、彼らが州東部に建てたアホム王国は13世紀から19世紀までの約600年間に渡りブラマプトラ渓谷を支配し、今日のアッサム州社会の基礎を築く役割を果たした。アッサムという州名も彼らの名に由来する。...

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  • 日本における遺跡出土カゴ類の基礎的研究

    堀川 久美子 植生史研究 20 (1), 3-26, 2011

    ...また,マダケは13 世紀後半~ 14 世紀にはカゴ類の素材として使用されていたと推測され,モウソウチクはカゴ類の素材として使用された時期を特定することができなかった。...

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  • カンボジア語文報告レジュメ

    アンコール遺跡を科学する (16) 83-87, 2010-11-20

    ...第16回アンコール遺跡国際調査団報告アンコール王朝史の再考: 廃仏発掘と繁栄する13世紀後半のアンコール都城: 2010年再び6体の仏像発見...

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  • 龍安寺方丈庭園の作庭の意図についての考察

    杉尾 伸太郎 日本庭園学会誌 2010 (22), 22_9-22_13, 2010

    ...それらを本歌として作られた13世紀の五台山文殊菩薩騎獅像の中央の岩の姿と「龍安寺方丈庭園」の中央の石組が同様でありモデルになったと思われる。...

    DOI Web Site 被引用文献1件 参考文献14件

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