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検索結果 900 件

  • [論文] 越後国奥山荘の基礎的研究 (第四部 遺構とモノからみる武家領主)

    水澤, 幸一 国立歴史民俗博物館研究報告 245 257-295, 2024-02-29

    本論文では,越後国奥山荘研究の全体を俯瞰する試みを提示した。 まず,中世における奥山荘の立地を当時の地理的状況を整理して提示し,奥山荘がおかれていた新潟平野の状況を明らかにした。その結果,阿賀北地域で最も重要だったのは,阿賀野川の水運であり,湿地帯を縦横にめぐる水路網が荘園の存立基盤であったことがわかった。 …

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  • [論文] 肥前千葉氏の本拠形成と領主支配 (第三部 西遷武家領主論)

    田中, 大喜 国立歴史民俗博物館研究報告 245 181-202, 2024-02-29

    本稿は、肥前千葉氏を事例に、西遷・北遷東国武士が在来勢力との連携・競合のもと、いかにして領主支配を展開させたのかという問題について、現地調査を駆使しつつ追究した。 まず第一章では、小城郡における鎌倉期千葉氏の本拠について、明治期地籍図・中世史料・立地環境・聞き取り調査にもとづいて考察した。その結果、それは円通寺一帯に比定され、その空間構成を復元した。 …

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  • [論文] 石見国長野荘をめぐる諸領主の動向 (第二部 武家領主の政治的動向)

    中司, 健一 国立歴史民俗博物館研究報告 245 129-143, 2024-02-29

    本稿では、石見国長野荘をめぐる諸領主の動向を分析する。 中世の島根県益田市域には、益田荘と長野荘という二つの大きな荘園があり、従来は益田荘とその領主益田氏の研究が大きく進んでいた。しかし、近年、長野荘についての研究が大きく進展した。まず、石見国長野荘についての研究史を振り返る。 筆者は以前、長野荘について、南北朝時代の領主の割拠状況と、室町時代における益田氏の長野荘進出の過程を考察した。 …

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  • [論文] 備後「草津」と御家人長井氏 : 領主拠点としての港湾集落 (第四部 遺構とモノからみる武家領主)

    鈴木, 康之 国立歴史民俗博物館研究報告 245 237-255, 2024-02-29

    草戸千軒町遺跡は,広島県福山市に所在する13世紀中頃から16世紀初頭にかけて存続した集落の遺跡である。この集落は福山湾岸に位置する港湾集落で,鎌倉時代には「草津」,室町時代には「草土」などと呼ばれていたと考えられる。遺跡は,文字資料では明らかにしがたかった中世における民衆生活の実態を明らかにしたことが評価され,集落の住人は文字資料に記されることのない庶民が主体であったと考える傾向が強かった。しか…

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  • [論文] 鎌倉幕府の地頭請所政策と荘園制 (第二部 武家領主の政治的動向)

    清水, 亮 国立歴史民俗博物館研究報告 245 91-113, 2024-02-29

    本稿では、鎌倉幕府の地頭請所政策の展開を荘園制と関連づけて通時的に検討する。地頭請所とは、鎌倉幕府に補任された地頭が一定額の年貢上納を請け負い、上級領主から現地支配の委任を受ける所領支配・年貢上納の形態である。 鎌倉初期における幕府の地頭請所政策は、治承・寿永内乱(および鎌倉初期の政争)からの地域復興と荘園制の再建事業の一環として展開した。すなわち鎌倉幕府が特殊な支配権を得た東日本において、地頭…

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  • [論文] 西遷武士小早川氏と楽音寺 (第三部 西遷武家領主論)

    高橋, 典幸 国立歴史民俗博物館研究報告 245 163-179, 2024-02-29

    近年の日本中世史研究では武士の移動に注目が集まっている。西遷や北遷といった御家人の移動は鎌倉時代に特徴的な武士の移動といえよう。西遷や北遷に際して、御家人たちは移動先でどのような環境を利用したか、またどのような環境を構築していったかの考察が必要である。そこで本論文では、安芸国沼田荘に西遷した相模武士小早川氏と沼田荘内の楽音寺に即して、この問題の検討を試みた。 …

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  • [論文] 奥羽から見た越後応永の乱 : 伊達氏の侵入とその背景 (第二部 武家領主の政治的動向)

    黒嶋, 敏 国立歴史民俗博物館研究報告 245 115-128, 2024-02-29

    本稿は、越後応永の乱(一四二〇年代に越後で守護上杉氏と守護代長尾氏とが衝突した内紛)に、隣国から軍事的に介入してきた陸奥伊達氏の動向を辿るとともに、そこから浮かび上がる、同時期における越後と奥羽(陸奥・出羽両国)の南部との間で展開された人的・物的交流の様相を検証したものである。 まず第一章で、乱の過程と、室町幕府・鎌倉府からの関与を確認した。幕府・鎌倉府間の対立から、守護上杉氏は幕府方に、守護代…

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  • <研究論文>渡辺幽香《幼児図》にみる太閤記物の画題流布と展開

    伊藤 美幸 日本研究 67 109-125, 2023-09-29

    渡辺幽香《幼児図》は明治26年(1893)に世界コロンブス博覧会の婦人館で展示された油彩画である。太閤記物に登場する猛将福島正則の幼時の逸話に基づき、石臼を引きずる幼児の姿が描かれている。また、幼児が素手で捕まえる蜻蛉は中国を暗示する龍と結びつけることで、日清戦争前年の時局を想起させるものとなっている。先行研究において本作は日本近代洋画の流れのなかで捉えられてきた。また、本作が近世の太閤記物から…

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  • 「口に出せない」敵:

    王 立瑩 比較文学 65 (0), 224-206, 2023-03-31

    <p> マキシーン・ホン・キングストンは、『女武者』(1976)において、ムーランを女性の復讐者として新たに想像することを通して、チャイナタウンの中国系アメリカ人の女性であることの意味について書いている。先行研究は『女武者』のジャンル、中国系アメリカ人のアイデンティティ、そして女性の主体性を考察したとはいえ、この回想録の翻訳はまだ研究されていない。『女勇士』(1998)という中国大陸最初の著作権…

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  • <論説>饗宴の食事と食器 --一五・一六世紀の事例から-- (特集 : 食)

    中井 淳史 史林 106 (1), 73-106, 2023-01-31

    古代・中世の土器・陶磁器研究で提唱された三つの土器様式は、これまで律令体制の成立や展開、弛緩といった国家的・政治的な文脈と関連づけて意義が論じられてきた。本稿は古代的な土器様式の弛緩や解体とされた中世について、食文化の観点から再評価を試みた。一五・一六世紀の饗宴に関する史料を検討した結果、儀礼的な食事の場における食器は大量の土師器皿と木具であったこと、武家の饗宴では土師器皿が多用されたのに対し、…

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  • マオリのハカ

    土井 冬樹 ニュージーランド研究 29 (0), 7-22, 2023

    ...During World Wars I and II, the haka performance was designed to convey the message that “Māori is the warrior” to encourage Māori to serve as soldiers, so they could gain equal rights as mainstream New...

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  • <論説>武家諸法度と諸士法度 --末期養子の禁緩和の再検討を手がかりに--

    三宅 正浩 史林 105 (2), 259-293, 2022-03-31

    大名を対象とした武家諸法度と同様の発布方法により、三代将軍徳川家光・四代将軍徳川家綱は、旗本対象の諸士法度を発布した。これまで大名対象の政策として理解されてきた末期養子の禁は、諸士法度にのみ規定され、慶安四年(一六五一)の緩和は、諸士法度の改訂というのが実態であったので、緩和に慶安事件の影響をみる通説は成り立たない。ただし、武家諸法度と諸士法度は、法制上の対象範囲をこえて、当時の武家社会に広く影…

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  • 収蔵品紹介

    水野 通雄 アジア民族造形学会誌 18 (01), 64-65, 2022

    <研究ノート> 一見して、インカ・アステカの戦士のように見えるこの人物像は調べていくと、なんと東洋の遺物であり、お隣の朝鮮半島の出土物であることを知らされた。朝鮮の三国時代5世紀にさかのぼり、同様の遺物が半島東部の新羅の古墳から多く出土されている。668年、大国であった高句麗は唐と新羅の連合軍によって滅亡し、新羅が半島を統一した。 …

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  • 傷痍軍人のスポーツ大会とスポーツ活動の意義

    小倉 和夫 日本財団パラリンピックサポートセンターパラリンピック研究会紀要 18 (0), 155-176, 2022

    ...A typical example is the Invictus Games begun by Prince Harry of the British Royal Family, and the Warrior Games in the US, which inspired the Invictus Games....

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  • 室町幕府山城国支配の展開と山城守護

    松井 直人 史学雑誌 131 (4), 1-26, 2022

    室町幕府にとって、都市京都、及び京都を包含する山城一国の支配を実現することは、政権の存立基盤を維持してゆくうえで重要な意味を持った。そのため、当該地域の支配の様相を探ることは室町幕府論に不可欠な課題といえる。しかし、京都支配に比して山城国支配に関する研究は停滞著しく、基礎的な点を含め、改めて総合的な検討を行う必要がある。そこで本稿では、領域支配の担い手であった山城守護を通じた幕府の山城国支配の展…

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  • 浅井忠《武士山狩図》(京都工芸繊維大学美術工芸資料館所蔵)について

    石崎, 佳菜子 大手前大学論集 20 15-35, 2021-03-31

    浅井忠(一八五六-一九〇七)が、川島甚兵衞から東宮御所壁飾綴織のための下絵製作を、「武士の山狩」という画題でその概略案を求められたのは、明治三八年の三月頃であった。浅井は最終的に縦九尺(約二七〇センチ)、横一丈三尺(約三九〇センチ)という大作を、一年かけて完成させた。その作品は、暫くの間御所の壁絵として張り付けられ、その後綴織にされた。 …

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  • [論文] 中世武家の置文と譲状

    田中, 大喜 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 224 53-73, 2021-03-24

    本稿は、中世の武家が作成した置文は譲状と密接な関係を持ちながらも、それとは初発的に属性・機能を異にする別個の文書として成立したという理解を前提に、鎌倉期の事例を網羅的に収集してその属性・機能・法的性格を考察し、武家置文の本質を追究したものである。また、南北朝期以降の武家置文の特色についても考察し、その変容の実態を追究した。中世の武家置文の属性は、所領譲与に際し、本来制定者=譲与者の口頭によって伝…

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  • ムソビシの時代:1821年−1842年のシャムによるクダー占領期(part.2)

    黒田, 景子 鹿児島大学総合教育機構紀要 4 27-46, 2021-03

    本稿は第2号掲載論文の後半である。 19世紀初頭のマレー半島中部において、英国東インド会社(EIC)の拠点ペナンは有力な交易中心としてアヘン貿易を含み周囲の港市を引きつけた。シャム南部の有力港市ナコンシータマラートは政治力ある領主ノーイが華人系領主を持つソンクラーと対向して半島西側への勢力拡大をもくろんだ。 …

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  • Shadowing Shakespeare

    Alex Watson Critical Survey 33 (1), 72-84, 2021-03-01

    ...<jats:p>In his 1980 film <jats:italic>Kagemusha</jats:italic> or <jats:italic>Shadow Warrior</jats:italic>, Akira Kurosawa presents the sixteenth-century Takeda clan engaging a lower-class thief to impersonate...

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  • Use of Physiological Data From a Wearable Device to Identify SARS-CoV-2 Infection and Symptoms and Predict COVID-19 Diagnosis: Observational Study

    Robert P Hirten, Matteo Danieletto, Lewis Tomalin, Katie Hyewon Choi, Micol Zweig, Eddye Golden, Sparshdeep Kaur, Drew Helmus, Anthony Biello, Renata Pyzik, Alexander Charney, Riccardo Miotto, Benjamin S Glicksberg, Matthew Levin, Ismail Nabeel, Judith Aberg, David Reich, Dennis Charney, Erwin P Bottinger, Laurie Keefer, Mayte Suarez-Farinas, Girish N Nadkarni, Zahi A Fayad Journal of Medical Internet Research 23 (2), e26107-, 2021-02-22

    ...sec> <jats:title>Methods</jats:title> <jats:p>Health care workers in the Mount Sinai Health System were prospectively followed in an ongoing observational study using the custom Warrior...

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  • 卵のかなしみ

    杉村 篤志 山梨英和大学紀要 19 (0), 1-12, 2021

    ...Walter Sayer sings “the river song of the young black warriors,” an old African song which “slavery had softened and colored with sadness.”...

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  • トランプ米大統領とCOVID-19は世界経済をどう変えるか

    平川 均 国際経済 72 (0), 1-33, 2021

    <p>2018年から始まった米中貿易戦争とそれに続くCOVID-19は,トランプ前大統領による「米国第1」の対中政策によって米中間の対立を劇的に先鋭化させた。貿易赤字から始まった対立は,両国の追加関税の掛合いをエスカレートさせただけではなく,対立事項を知的財産権の侵害,不公正な産業政策,技術覇権問題,国家安全保障上のリスク,人権問題,そして国家の制度・イデオロギー問題などにまで広がった。2021…

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  • 室町幕府初期の財政基盤

    山家 浩樹 史学雑誌 130 (6), 1-38, 2021

    室町幕府の経済基盤は、基本的に、鎌倉幕府のそれを継承して、直轄領からの収入と、地頭御家人の経済的奉仕に依拠していた。しかし、両者ともに機能が低下するなか、室町幕府は、建武政権の施策を参考に、新たな賦課を開始した。地頭御家人に恩賞として給与した所領に、低額の年貢を賦課する制度で、「新恩地年貢」と呼ばれた。<br> …

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  • 室町幕府における武家祈禱体制の確立過程

    林 遼 史学雑誌 130 (12), 1-33, 2021

    本稿は、室町幕府における武家祈祷体制の確立過程を考察するものである。その際、京都を活動の拠点とする門跡が武家祈祷に編成された契機と、醍醐寺三宝院の武家祈祷における役割の再検討という二つの視点を軸に議論を進める。<br> 第一章では、南北朝期武家祈祷の人的基盤が変化した契機を検討する。南北朝初期の武家祈祷は、鎌倉期武家祈祷の経験者を中心として行われた。しかし京都争奪戦の中で、幕府は所領・所職の…

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  • Association of the Amount and Pattern of Physical Activity With Arterial Stiffness: The Maastricht Study

    Evelien J. Vandercappellen, Ronald M.A. Henry, Hans H.C.M. Savelberg, Julianne D. van der Berg, Koen D. Reesink, Nicolaas C. Schaper, Simone J.P.M. Eussen, Martien C.J.M. van Dongen, Pieter C. Dagnelie, Miranda T. Schram, Marleen M.J. van Greevenbroek, Anke Wesselius, Carla J.H. van der Kallen, Sebastian Köhler, Coen D.A. Stehouwer, Annemarie Koster Journal of the American Heart Association 9 (20), 2020-10-20

    ...Activity groups were: inactive (<75 min/wk), insufficiently active (75–150 min/wk), weekend warrior (>150 min/wk in ≤2 sessions), and regularly active (>150 min/wk in ≥3 sessions)....

    DOI Web Site 被引用文献1件

  • 道徳判断が迷惑行為へのクレームに及ぼす影響

    黄 景逸, 阿部 恒之 日本心理学会大会発表論文集 84 (0), PE-028-PE-028, 2020-09-08

    ...<p>目的</p><p>SNS上で他者の行為を過剰に非難する,いわゆるネット自警団,Social Justice Warriorが問題になっている。このような他罰的な態度と,Haidt(2012)の道徳基盤理論の関連性を検討した。</p><p>方法</p><p><調査対象・調査手続き>2020年2月インターネット調査を行った。...

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  • Treatment of coronary microvascular dysfunction

    C Noel Bairey Merz, Carl J Pepine, Hiroki Shimokawa, Colin Berry Cardiovascular Research 116 (4), 856-870, 2020-02-22

    ...The WARRIOR trial is testing intense medical therapy of high-intensity statin, maximally tolerated ACE-I plus aspirin on longer-term outcomes to provide evidence for guidelines....

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  • 瀬川采女説話の受容と展開

    岡部 祐佳 近世文藝 112 (0), 1-12, 2020

    ...The episode, which originally appeared in <i>Taikō-ki</i> written by Oze-Hoan in 1625, is about a samurai warrior who was miraculously permitted to return home from Korea on the strength of his wife’s...

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  • 常朝の生きる苦しみ

    上野 太祐 倫理学年報 69 (0), 249-262, 2020

    ...This paper explains how Yamamoto Jōchō interpreted the teaching “I have found the way of the warrior in death” for himself....

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  • 北斉「恩倖」再考

    田熊 敬之 史学雑誌 129 (7), 1-36, 2020

    「恩倖(おんこう)」は皇帝の寵愛、またはそれを受けた者を意味する。中国の正史に歴代立てられた恩倖伝のなかでも、特に『北斉書(ほくせいしょ)』恩倖伝は、北族武人や西域胡人等を含むという民族的な多様性によって注目されてきた。本稿では、北斉「恩倖」が隋代以後の中央集権に繫がるという問題意識のもと、その代表的な人物である和士開(わしかい)の墓誌、及びその父である和安(わあん)の碑文を用いて、恩倖がどのよ…

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  • <研究ノート>日本の頂点文化 : ミニマリズムの達成

    津城 寛文 国際日本研究 12 91-104, 2020

    どの文化の土台にも、地理的な初期条件と、歴史的なプロセスによって育まれてきた指向性があり、諸条件が整った時、ほかの文化では及び難い、「頂点文化」と呼び得るものに達することがある。日本の伝統的感性の一面として指摘されている「省略」「暗示」「簡素」「凝縮」「集中」等々の特徴は、現代的なキーワードではミニマリズムとも呼ぶことができ、「能」「茶道」「武士道」「神道」「和歌」などの頂点文化では、それらが極…

    DOI 機関リポジトリ HANDLE ほか1件

  • 黄金比とヒトの身体プロポーションの標準化

    藤井 勝紀 生産管理 27 (2), 107-116, 2020

    <p> 現代文明によって築かれた芸術,音楽,スポーツを洗練させるために黄金比が取り入れられ,その結果,レオナルド・ダヴィンチのウィトルウィウス的人体図が描かれた経緯がある.この人体図によってヒトのプロポーションに黄金比が初めて取り入れられ,ヒトの身体プロポーションの基準が示されたのではないだろうか.恐らくレオナルド・ダヴィンチの人体図は,単に美しいだけではなく,ヒトが生きていくために必要な身体プ…

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  • 『会津農書』にみる麦の栽培と民俗 −非文字資料としての農書・風俗帳−

    佐々木, 長生 非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (18) 35-63, 2019-09-30

    農書は、わが国では元禄時代(1688〜1703)を境に上層農民や下級武士等によって著述されてきた農業技術書である。若松城下近くの幕内村(会津若松市)の肝煎佐瀬与次右衛門は、貞享元年(1684)に『会津農書』を著述している。会津地方の自然に即した農法を、著者自らの体験と「郷談」と呼ばれる旧慣習を中心に著述している。わが国の農書の代表とされる宮崎安貞の『農業全書』(元禄10年1697)より13年も早…

    機関リポジトリ HANDLE Web Site

  • ハワイ大学マノア校を事例とした学生支援に対する一考察 : Student Recreation Services の活動に着目して

    灘, 英世 人間健康学研究 : Journal for the study of health and well-being 12 29-44, 2019-03-31

    この研究では、日本の大学が健康教育に焦点をあてた学生サービスシステム (SRS)を導入する可能性について検討する。そのために、ハワイ大学のキャンパスで提供されている様々なプログラム内容の概略を整理し、以下の5つの側面から検討する。すなわち、ウォーリアレクレーションセンターで提供されているフィットネスプログラム、キャンパス内のスポーツ施設で行われている非公式のレクリエーション、学内スポーツ、レクリ…

    機関リポジトリ HANDLE Web Site ほか1件

  • 佐倉藩校における初等教育

    外山 信司, 髙野 良子 植草学園大学研究紀要 11 (0), 65-76, 2019-03-31

    <p>藩校は藩士の子弟のために諸藩が設立した学校で,私塾・寺子屋とともに近世の教育を担った。明治維新後の近代化と教育の発展は近世に培われたが,教育改革が課題となる中,教育の原点とも言うべき近世の教育について明らかにすることは意義があろう。</p><p>下総佐倉藩の藩校は1792(寛政4)年,堀田順によって創設された。さらに堀田正睦は藩政改革の一環 …

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  • Self-reported Functional Status in US Service Members After Combat-Related Amputation

    Susan L. Eskridge, Mary C. Clouser, Cameron T. McCabe, Jessica R. Watrous, Michael R. Galarneau American Journal of Physical Medicine & Rehabilitation 98 (7), 631-635, 2019-01-22

    ...This was a cross-sectional analysis of data from a subsample of the Wounded Warrior Recovery Project, an ongoing, web-based, longitudinal examination of patient-reported outcomes of injured service members...

    DOI Web Site 被引用文献3件

  • Artificial chimeric exosomes for anti-phagocytosis and targeted cancer therapy

    Kai-Long Zhang, Ying-Jie Wang, Jin Sun, Jie Zhou, Chao Xing, Guoming Huang, Juan Li, Huanghao Yang Chemical Science 10 (5), 1555-1561, 2019

    ...<p>ACEs were engineered much like “Emperor Qin's Terra-Cotta Warriors”, simultaneously equipped with armor (anti-phagocytosis capability from RBCs) and dagger-axes (homologous targeting ability from cancer...

    DOI Web Site 被引用文献1件

  • 武家への挙状、武家の挙状

    木下 龍馬 史学雑誌 128 (1), 1-35, 2019

    鎌倉幕府裁判研究では、訴状を取り次ぐ挙状と、有利な判決を求める口入はまったく別物として扱われてきた。しかし、近年の院政期裁判研究において、裁判像そのものの見直しが進み、挙状や口入などが同じく働きかけ(権限に基づく命令とは異なる要請)として捉えられるようになった。本稿はこの動向を踏まえ、口入的要素(挙状、口入、申入など)から幕府裁判を再考する。<br> …

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  • 原子爆弾と戦争廃絶・放棄論1945~1946

    山崎 正勝 科学史研究 58 (290), 162-177, 2019

    ...Tanzan Ishibashi, an influential journalist and future Prime Minister in the 1950s, witnessed a drastic change in international relations caused by the atomic bomb, calling for Japan to become a "warrior...

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  • 明治後期中学校における学校紛擾と学校文化の変容

    太田 拓紀 ソシオロジ 63 (2), 43-61, 2018-10-01

    <p>本稿は、近代教育黎明期の負の側面ともいうべき明治後期の学校紛擾が、いかなる社会的背景のもとで生じたのかを、盛岡中学校ストライキ(明治三四年)を事例に、学校文化の変容過程に着目して検証した。 学校の史的経緯を辿ると、明治一三年の創立時から、盛岡中学校は藩校由来の地元士族が教員の中心で、当初は儒教的な教育文化が学校を支配していた。しかし、近代的な学問知、教育資格を基盤に新たな教授法で講ずる教員…

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  • 江戸時代人の第三大臼歯の欠如率

    金澤 英作, 坂上 和弘 Anthropological Science (Japanese Series) 126 (1), 5-13, 2018

    <p>江戸時代の遺跡から発掘された甕棺被葬者(武士階級)と早桶被葬者(庶民階級)の頭蓋196例について第三大臼歯の欠如率を調査した。欠如率は調査歯数に対する欠如歯数の割合として算出し,その結果は,順に早桶男性23.8%,早桶女性26.5%,甕棺男性30.0%,甕棺女性36.0%であった。女性が男性より欠如率の高い傾向にあったが,男女を総合した欠如率は早桶群が24.8%,甕棺群が33.2%であった…

    DOI Web Site Web Site ほか1件 被引用文献1件 参考文献4件

  • 老いの「索漠」考

    久保田, 美法, Kubota, Miho 淑徳大学大学院総合福祉研究科研究紀要 24 43-58, 2017-09-15

    老いの一つの姿に,逆説的ではあるが,「みずみずしさ」というものがある(久保田 2016)。本稿では,不可避でありながらも見過ごされがちな,老いのもう一つの側面である「索漠とした」心象を考察した。 このテーマについて考えるために,本稿では戦争体験の語りに着目した。高齢者の語りを聴いていると,時に「戦争のイメージ」と「老いるという体験」が重なるように思われることがある。老いとは一つの戦争であり,戦争…

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  • 免税者から担税者へ

    岩本 佳子 オリエント 59 (2), 200-211, 2017-03-31

    ...Their members were employed as warriors and cannon carriers, as well as laborers in dockyards, mines and so on....

    DOI Web Site 参考文献2件

  • 平安期の死刑停止について

    梅田 康夫 法制史研究 66 (0), 1-37,en3, 2017-03-30

    <p> 平安期において弘仁年間より保元の乱に至るまで、三百年以上にわたり正式な形で死刑が行なわれなかった。このことは古くから知られ、これまで各種の文献で取り上げられてきた。本稿ではまず前提となる問題として、死刑の廃止ではなく停止であること、そして停止の時期やその実態について確認した上で、そのような現象がもたらされた背景、原因について論じ、死刑停止の歴史的意義を究明せんとした。<br> …

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  • 「武道」の成立過程について

    湯浅 晃 身体運動文化研究 22 (1), 1-11, 2017-03-15

    ...<p>In this study, through the perspective outlined below, I discuss how the number of “martial ways" adherents expanded after the Meiji era, in which the warrior class, the primary supporter of the martial...

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  • 下田歌子の教育の源泉

    久保, 貴子 下田歌子研究所年報 女性と文化 3 101-116, 2017-03-10

    ...It was exceptional that she was allowed to serve without being a daughter of ‘kugyo’ (Court noble), or from a warrior class, particularly that of Satsuma or Choshu that were politically powerful at that...

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  • Energy Consumption and Emissions Modeling of Individual Vehicles

    Randall Guensler, Haobing Liu, Yanzhi (Ann) Xu, Alper Akanser, Daejin Kim, Michael P. Hunter, Michael O. Rodgers Transportation Research Record: Journal of the Transportation Research Board 2627 (1), 93-102, 2017-01

    ...The individual vehicle emissions modeling framework was incorporated into Commute Warrior, a trademarked travel survey application for Android smartphones, to provide real-time fuel consumption and emissions...

    DOI Web Site 被引用文献1件

  • 東寺領山城国上久世荘における年貢収納・算用と「沙汰人」

    史学雑誌 126 (2), 40-63, 2017

    近年の村落論では、中世後期における「村請」の一般的成立という見解に対する見直しが図られており、「地下請(じげうけ)」・「百姓請」などのように明確なかたちでは結実しなかったものも含めた、村共同体の年貢収納・算用への関与の実態把握が求められている。<br>  そこで本稿では、史料に恵まれる東寺領山城国上久世荘を取り上げ、村の指導層たる年寄の年貢収納・算用への関与や、その支配体制上の位置づけについて考…

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  • 攻撃性の男女差の進化的起源

    横田 晋大 心理学評論 60 (1), 15-22, 2017

    <p>In this paper, the evolutionary roots of gender differences in aggressive behavior are presented. Previous studies in the field of social psychology have shown that men are more aggressive than …

    DOI Web Site 医中誌

  • 結城合戦にみる戦国武将多賀谷氏の歴史的文書の読み

    多ヶ谷, 有子 関東学院大学人文学会紀要 135 121-149, 2016-12

    結城合戦で上杉を大将とする足利幕府軍に敗れた結城氏はいったん滅亡する。その結城家を再興したのは、結城合戦時の当主の結城氏朝の遺児である結城成朝であると最近の歴史概説の諸書は断定する。だが成朝は実は結城重臣の山川の子であるとの根強い説がある。一方成朝を擁立して、再興した鎌倉公方の足利成氏のもとを訪れたのは結城一族の多賀谷氏家であった。ここになぜ氏家が、裏切って上杉についた山川の子を命を懸けて抱いて…

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  • 『八犬伝』大団円の謎と論理

    高田 衛 日本文学 65 (10), 42-53, 2016-10-10

    <p>江戸期最大長編の『八犬伝』は、根底には大きな謎を抱えたまま進行し、大きな伝奇的世界を創った小説である。その謎を馬琴なりに解示することで、続編志向を絶ち、大団円というけじめを作った小説であった。その謎ときは、新しい謎かけで終る。謎はどこまでも続くのだが、この大団円は、八犬士が八大童子であっても、もうひとりの童子が存在することを明らかにする、つまり全部で九人の童子によって成り立つ唐獅子騎乗の神…

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  • STSと感情的公共圏としてのSNS

    田中 幹人 科学技術社会論研究 12 (0), 190-200, 2016-05-30

    ...In other words, STS was labeled a “social justice warrior”, deriving harm to society by its excessive demand for political correctness....

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  • The Development of Tea in Japan from Kissa to Chanoyu - The Relationship between the Warrior Class and Tea -

    Yamashita, Noboru 長崎大学言語教育研究センター論集 4 83-103, 2016-03-01

    お茶は、和尚達により中国から日本へ紹介されたことが、一般知識であると考えられる。しかし、お茶の喫茶から、茶の湯への発展に関しての武家社会の関わりは、詳しく知られていない。この論文は、足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉、千利休、そして、利休の後継者である古田織部を紹介し、彼らのお茶の発展への役割に関して論ずる。

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  • 今川了俊の探題解任と九州情勢

    堀川 康史 史学雑誌 125 (12), 1-24, 2016

    応永2年(1395)閏7月、九州探題今川了俊は京都に召還され、翌年2月までに解任された。室町幕府の九州政策の大きな転換点となったこの解任劇は、足利義満期の政治史や地域支配を論じるうえで不可欠の事件として知られているが、その政治過程、とりわけ解任に至った理由・経緯については不明な点が少なくない。本稿は、1390年代前半の九州情勢との関わりを重視する立場から、これらの点について検討を加えるものである…

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  • 決断をめぐる物語

    井上 泰至 近世文藝 104 (0), 57-69, 2016

    ...Moreover for further appreciation we need to learn the habitus of the samurai class from such primary sources as <i>Oritaku-shiba-no-ki</i> and other diaries by samurai warriors as well as from historical...

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  • 伊藤博文の両院制構想

    久保田 哲 法政論叢 52 (1), 35-52, 2016

    ...Before his investigation of the constitutions in European countries, Ito thought that it was necessary to take a certain satisfactory measures toward the Lower House as well as the discontent warriors....

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  • 「大坂遷都論」再考

    中村 博司 史学雑誌 125 (11), 40-64, 2016

    本稿は、内田九州男が1988・89年に相次いで発表した、羽柴(豊臣)秀吉による「大坂遷都構想」をめぐる一連の論考を再検討することを通じて、羽柴政権と当該期朝廷との関係性、ひいては秀吉の政権構想を明らかにしようとするものである。 天正11年(1583)4月の賤ヶ岳合戦に勝利して織田信長の後継者たる地位を獲得した秀吉は、間もなく大坂に新たな居城構築を始める(大坂築城工事)が、内田は一連の論文を通じて…

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  • 明和6(1769)年における米沢城下のGIS分析

    渡辺 理絵, 角屋 由美子, 小野寺 淳, 小橋 雄毅 日本地理学会発表要旨集 2016a (0), 100101-, 2016

    本研究は,明和6(1769)年の城下絵図を中心資料とし,GIS分析を通して18世紀後期の米沢の空間構造に関して知見を報告することを目的とする. 江戸時代2度にわたり,米沢の城下町は大幅な拡張をみせた.一度目は,関ヶ原の戦いの後,敗者となった上杉景勝が,米沢30万石に減封に処せられたことによる.この時,景勝は120万石時代の家臣の多くを召し放すことなく米沢に移動させた.その数は5000~6000…

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  • 幼児期における骨密度評価システムの標準化

    可兒 勇樹, 藤井 勝紀, 近藤 高司, 糟谷 浩輔, 田中 望 生産管理 23 (1), 89-94, 2016

    <p>企業にとって生産性を向上させるためには,従業員が健康に働くことが不可欠である.しかしながら,中高年期に骨密度が低下することで,骨折者数が増加すると言われ,骨折することで入院,通院,リハビリ等が強いられる.このことは生産性の低下に直結すると考えられる.そこで,骨折のリスクを最低限に抑えるには,幼少期から骨密度をより高く獲得するための取り組みが重要である.そのためには,日本人小児の身体組成や骨…

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  • 臼杵藩勤番武士の江戸における行動

    岩淵 令治 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History 199 261-299, 2015-12-25

    巨大都市江戸において、諸国から定期的に移動してくる各藩の勤番武士は重要な存在である。従来の研究では、勤番武士の行動は、外出、とくに遠出のみが注目され、「江戸ッ子」が創り出した田舎者イメージ「浅黄裏」、および江戸各所の名所をめぐる行動文化の担い手としての自由なイメージで語られてきた。こうした従来の検討に対して、筆者は勤番武士の日記や生活マニュアルについて、①江戸定住者によって作り出された田舎者のイ…

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  • 佐賀市の実相院本堂について <原著論文>

    曽我 俊裕, 佐藤 大規 広島大学総合博物館研究報告 7 27-40, 2015-12-25

    筆者らは,佐賀市大和町に所在する実相院の建物について調査を行う機会を得た。本堂,庫裏,勅使門の平面図を作成し,さらに建築年代や構造形式,改造痕跡などについて調査を行った。その結果,現在の本堂は19世紀中期の建立で,痕跡より,内陣部分が大規模に改造されていること,長押に打ち直し痕があることなどが判明した。さらに,痕跡より復元される実相院本堂の前身建物は,細部意匠に花杏葉紋が付される点,ほぼ同時期に…

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