日本における戦中および戦後初期のオペラント実験装置――スキナー箱システムの受容と普及――

書誌事項

タイトル別名
  • Acceptance and Diffusion of Skinner Boxes in Japan During WWII and in the Early Postwar Years
  • ニホン ニ オケル セン チュウ オヨビ センゴ ショキ ノ オペラント ジッケン ソウチ : スキナーハコ システム ノ ジュヨウ ト フキュウ

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抄録

<p>第二次大戦後の1951年頃、ハーバード大学のスキナー研究室からラット用とハト用のスキナー箱2組が、日本の東京大学(ラット用)と慶應義塾大学(ハト用)に発送された。本論文は、これらのHarvard製スキナー箱が日本に発送された経緯と、到着後のスキナー箱が当時の日本の動物行動実験におけるインストルメンテーションに与えた影響について考察した。主要な結果は、以下のとおりである。Harvard製スキナー箱の購入の手続きは、日本が連合国軍の占領下にあった1949年、当時の文部省の輸入機械購入費申請から開始された。機械の購入予算は、GHQのイロア資金によるアメリカ合衆国の予算であった。同装置の1台あたりの1950年度(昭和25年度)予算申請額は$500であったが、実際の執行額は$716であった。船便で横浜港に到着したのは1951年と推定されるが、直接的な文書での記録は見出せなかった。原型のHarvard製スキナー箱は、日本の研究者達にとっては余り使い勝手がよくなかったようで、日本に到着してから数年の間に、ラット用もハト用もいくつかの改造が加えられた。さらに、竹井機器は、Harvard製スキナー箱を原型とした数種類のスキナー箱を、1950年代半ば以降に製作販売した。占領期末期に日本に輸入されたHarvard製スキナー箱の意義は、むしろ日本における国産スキナー箱の設計製作と製品化の契機を作り出したことにある。</p>

収録刊行物

  • 行動分析学研究

    行動分析学研究 33 (2), 135-153, 2019-02-10

    一般社団法人 日本行動分析学会

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