なぜ教育論争は不毛なのか : 学力論争を超えて
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書誌事項
なぜ教育論争は不毛なのか : 学力論争を超えて
(中公新書ラクレ, 88)
中央公論新社, 2003.5
- タイトル読み
-
ナゼ キョウイク ロンソウ ワ フモウ ナノカ : ガクリョク ロンソウ オ コエテ
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内容説明・目次
内容説明
「ゆとり」か「詰め込み」か—いつまで二項対立の愚を繰り返すのか?いつまで「左右対立」の図式に乗るのか?観念論を排しデータに基づく政策科学を志す、まったく新しい教育論。
目次
- 序 教育の論じ方を変える
- 第1部 学力低下論争の次に来るもの(もう、学力論争は終わった;一九九九年風は「ゆとり教育」のほうに吹いていた ほか)
- 第2部 なぜ教育論争は不毛なのか—メディア篇(独立行政法人化報道に欠ける「そもそも論」;消費される「動機理解」の事件報道 ほか)
- 第3部 なぜ教育論争は不毛なのか—行政・政治篇(「学習指導要領」の方針大転換;教育改革国民会議を読み解く ほか)
- 終章 隠された「新しい対立軸」をあぶり出す(なぜ「階層化」が問題だったのか;なぜ「子ども中心主義」教育が問題なのか ほか)
「BOOKデータベース」 より