クラシック音楽は、なぜ「鑑賞」されるのか : 近代日本と西洋芸術の受容

書誌事項

クラシック音楽は、なぜ「鑑賞」されるのか : 近代日本と西洋芸術の受容

西島千尋著

新曜社, 2010.11

タイトル別名

クラシック音楽はなぜ鑑賞されるのか : 近代日本と西洋芸術の受容

「鑑賞」教育からみた近代日本の西洋芸術音楽受容の研究

鑑賞教育からみた近代日本の西洋芸術音楽受容の研究

タイトル読み

クラシック オンガク ワ、ナゼ「カンショウ」サレルノカ : キンダイ ニホン ト セイヨウ ゲイジュツ ノ ジュヨウ

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注記

博士論文『「鑑賞」教育からみた近代日本の西洋芸術音楽受容の研究』(金沢大学, 2009年)を全面的に修正・加筆したもの(「あとがき」より)

注: 巻末p1-40

内容説明・目次

内容説明

近代日本が西洋芸術の受容と普及に努める過程で、音楽は静かに「きく」べきもの、「わかる」べきもの—“鑑賞”するもの—となった。文化に深く埋め込まれ、音楽を超えて芸術に対する私たちの態度のなかに今も息づく、“鑑賞”の誕生と変遷の文化史。

目次

  • 序章 日本にだけある“鑑賞”という言葉
  • 1章 音楽をきくのは専門家—明治の“鑑賞”は批評?
  • 2章 子どももみんな音楽をきこう—信じられた芸術鑑賞の力
  • 3章 音楽をきいて精神訓練—クラシック音楽の“鑑賞”で身につける日本精神?
  • 4章 音楽を愛そう—日本国民は将来みんなクラシック音楽鑑賞者
  • 5章 音楽は「ただきく」ものではない—“鑑賞”と「きく」ことの違い
  • 6章 みんなできこうクラシック音楽—“鑑賞”は日本人の義務
  • 7章 ポピュラー音楽にかなわないクラシック音楽—“鑑賞”教育の失敗
  • 終章 なぜ日本にだけ“鑑賞”という言葉が生まれたのか

「BOOKデータベース」 より

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