失われるのは、ぼくらのほうだ : 自然・沈黙・他者
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失われるのは、ぼくらのほうだ : 自然・沈黙・他者
(エコクリティシズム・コレクション = Ecocriticism collection)
水声社, 2016.3
- タイトル別名
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失われるのはぼくらのほうだ : 自然沈黙他者
- タイトル読み
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ウシナワレル ノワ ボクラ ノ ホウ ダ : シゼン チンモク タシャ
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注記
引用・参考文献: p343-358
内容説明・目次
内容説明
エコクリティシズムの視点から『自然』、『ウォールデン』、『砂の楽園』、『もののけ姫』、『東京漂流』、『椿の海の記』などをとりあげ、“自然/他者”と“自己”とのあり方を多面的に考察する。
目次
- 自然という他者—声と主体のゆくえ
- 第1部 失われるのは、ぼくらのほうだ(世界は残る…失われるのは、ぼくらのほうだ—“いま/ここ”の詩学へ;“風景以前”の発見、もしくは「人間化」と「世界化」;都市とウィルダネス—ボーダーランドとしての郊外;『もののけ姫』と野生の“言語”—自然観の他者論的転回)
- 第2部 自然というテクスト(自然のテクスト化と脱テクスト化—ネイチャーライティング史の一面;“風景”としてのネイチャーライティング;エマソン的“視”の問題—『自然』(一八三六年)再読;コンコードを“旅”するソロー—移動のレトリック;いま/ここの不在—発見の物語としての『ウォールデン』)
- 第3部 交感と世界化(遭遇、交感、そして対話—世界/自然とのコミュニケーションをめぐって;山犬をめぐる冒険—藤原新也における野性の表象;自然/野生の詩学—星野道夫+藤原新也;環境コミュニケーション論・覚書—交感と世界化;風景の問題圏)
「BOOKデータベース」 より