映画の声 : 戦後日本映画と私たち
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書誌事項
映画の声 : 戦後日本映画と私たち
みすず書房, 2016.10
- タイトル別名
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映画の声 : 戦後日本映画と私たち
- タイトル読み
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エイガ ノ コエ : センゴ ニホン エイガ ト ワタクシタチ
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文献あり
内容説明・目次
内容説明
「もし死刑という制度に例外事態が起こってしまったとするならば、すなわち、死刑の執行が失敗し、その後も被告人が生き延びてしまったとしたら、一体何が起きるのか?こうした一見、抽象的な思考実験とも思える問いを通して、大島は「国家」という制度の核心へと近づいてゆく」。『日本の夜と霧』『絞死刑』『儀式』『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』『浮雲』『森と湖のまつり』『仁義なき戦い』『セーラー服と機関銃』—大島渚や木下恵介からメロドラマ、実録やくざ映画、角川映画まで、日本映画は戦後民主主義と大衆消費社会の結節点にありながら、国家と共同体の外へ追われた“他者の生”を描いてきた。国民の物語と娯楽性の狭間にあって映画は、安保を、在日を、天皇を、戦争を、沖縄を、アイヌを、ふるさとを、恋愛を、少女を、いかに表象してきたのか。映像に固有の論理と緻密な分析によって、仮借なき暴力に彩られたそのさまざまな“声”を聴き取る、硬派で繊細な映画批評の誕生。
目次
- 第1部 大島渚とその時代(時代を証言する—『日本の夜と霧』;法の宙吊り—『絞死刑』における国家と発話主体;呼びかける死者たちの声—『儀式』における国家と戦後民主主義のイメージ;オオシマナギサを追悼する—つねにいつもそこにいる運命的な「他者」に向って)
- 第2部 メロドラマの政治学(幼年期の呼び声—木下恵介『二十四の瞳』における音楽・母性・ナショナリズム;従軍する女性たち—『ひめゆりの塔』にみる戦争とジェンダー/植民地表象の政治学;コロニアル・メロドラマ試論—成瀬巳喜男『浮雲』にみる「植民地主義メロドラマ」の可能性;メロドラマ的回帰—『秋津温泉』にみるメロドラマ形式の可能性)
- 第3部 ジャンル映画のディスクール(馬鹿は死ななきゃ治らない—『次郎長三国志』における富士山の表象とその遊戯性;“ビヤッキー”と呼ばれた男—内田吐夢『森と湖のまつり』における高倉健のイメージ;召喚される暴力/記憶—『仁義なき戦い』における菅原文太と分有されるイメージ;少女・謎・マシンガン—“角川映画”の再評価)
「BOOKデータベース」 より