ドーピングの哲学 : タブー視からの脱却
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書誌事項
ドーピングの哲学 : タブー視からの脱却
新曜社, 2017.10
- タイトル別名
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Philosophie du dopage
ドーピングの哲学 : タブー視からの脱却
- タイトル読み
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ドーピング ノ テツガク : タブーシ カラ ノ ダッキャク
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注記
原著 (Presses Universitaires de France, c2011) の翻訳
ページ表示が312(xii)~323(i)とあり
内容説明・目次
内容説明
ドーピングは悪なのか?「スポーツ精神」がその根拠とされるが、ドーピングは競争・向上をめざす近代スポーツが生み出した必然ではないのか。ドーピング撲滅運動の問題性を指摘し、スポーツと社会のあり方を根底から問いなおす、関係者必読の書。日本の現状に合わせた訳者解説を付す。
目次
- 1章 エーロ・マンティランタ、(自然によって)遺伝子的に組み換えられたチャンピオン
- 2章 ドーピング、向上医学、スポーツの未来
- 3章 明日のチャンピオン—生まれつきの素質の最適化か、構造的な向上のプログラムか?
- 4章 反ドーピング政策—倫理的ジレンマ
- 5章 ドーピングと(は)スポーツ精神(である?)
- 6章 医療倫理とスポーツ的規範の押し付け(一九八五‐二〇〇九)
- 7章 ドーピングおよび諸々のドーピング的振舞いの防止
- 8章 医学的パフォーマンス、あるいはドーピングする医師
- 9章 スポーツ選手の身体の「自然」と「超自然」
- 10章 ハイレベルのスポーツ選手の活動の理解における「司令」と「自律」—ドーピング倫理にとって必要な知とは?
「BOOKデータベース」 より