生物学と個人崇拝 : ルイセンコの興亡
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書誌事項
生物学と個人崇拝 : ルイセンコの興亡
(ジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ選集, 第3巻)
現代思潮新社, 2018.4
- タイトル別名
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Биологическая наука и культ личности : взлет и падение Т. Д. Лысенко
Взлет и падение Лысенко : история биологической дискуссии в СССР (1929-1966)
- タイトル読み
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セイブツガク ト コジン スウハイ : ルイセンコ ノ コウボウ
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注記
解題・監修: 佐々木洋
ロシア語版原著: Взлет и падение Лысенко : история биологической дискуссии в СССР (1929-1966) (Книга, 1993年刊)
内容説明・目次
内容説明
スターリンによる強制的農業集団化は未曾有の大飢饉をもたらした。この事態を眼前にしたスターリンは、遺伝学を否定する似非学者ルイセンコを重用することで一足飛びに挽回しようとした。しかしその結果、ソ連の生物学全般は奇怪なものに変貌し、さらにルイセンコ学説に反対する学者たちは大量弾圧と残忍な迫害に曝された。当事者として、疑似科学と政治との結びつきをあぶり出した反骨のジョレス・メドヴェージェフによる壮絶なドキュメント!ロシア語原文からの世界初の完全翻訳。
目次
- 第1部 論争の第一段階(一九二九年‐一九四一年)(ソ連で生物学・農学論争が発生したいくつかの歴史的前提条件;一九三五年から一九三六年の遺伝学および品種改良学の分野における全国的論争の始まり、二つの相反する品種改良学・遺伝学的概念の特徴;一九三七年から一九四〇年の遺伝学論争における第一段階の完成;一九三七年から一九四〇年のソヴィエト医科遺伝学の運命 ほか)
- 第2部 論争の新段階(一九四六年から一九六二年)(戦後期における遺伝学論争の激化;一九四八年のウィリヤムス主義の復活と牧草輪作農法の全国的規模の拡大;遺伝学における二つの学派。理論的局面;実践とは真理の基準である)
- 第3部 論争の最終段階(一九六二‐一九六九年)(一九六二年七月から一九六四年十月までの生物学論争の主な出来事;ルイセンコ主義の終わり。一九六四年十月から一九六九年十二月)
- 結論 論争のいくつかの結論と課題
「BOOKデータベース」 より