歌麿の生涯 : 写楽を秘めて
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歌麿の生涯 : 写楽を秘めて
展望社, 2019.4
- タイトル読み
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ウタマロ ノ ショウガイ : シャラク オ ヒメテ
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注記
歌麿と写楽関連年表: 巻末p41-51
参考文献: 巻末p52-54
内容説明・目次
内容説明
歌麿が写楽だったとは!大首絵、雲英摺り、襦袢の脇から両腕を出す奇抜なポーズ、上品な色調、視線の落とし方、確かに同一の作風だ。ところが唯一の同時代文献「浮世絵類考」は、歌麿と写楽を別人と記載している。筆者はこれを歌麿擁護のための捏造記載とみなす。この文献を制作したのは歌麿の親友たちなのである。写楽の役者絵は、返討ちに遭う不運な侍、不義密通をした娘の命乞いに切腹する親、主君の息子と偽って我が子の首を差し出す無情の親、など武士道の弱点ばかり。ご法度の心中ものさえ描いた。かくて写楽は幕府のお尋ね者に。写楽は不人気で消えたのではない。歌麿という正体が露見しそうで、危なくて続けられなかったのだ。本書の白眉は学者たちが金科玉条に信じている「浮世絵類考」のからくりを明かすところにある。
目次
- 写楽出現の歴史的背景
- 完成した巨大肉筆画三幅対から推論する歌麿の生涯
- 歌麿の絵師修行のはじまり
- 歌麿が北川豊章と名乗った時代(推定一八〜二五歳頃)
- 歌麿と名乗り始めた頃—遠近法や光と影の表現への熱中
- 美人大首絵の開始
- 写楽 第一期 寛政六年(一七九四)五月の作品
- 写楽 第二期 寛政六年(一七九四)七、八月の作品
- 写楽 第三期 寛政六年(一七九四)一一月、閏一一月の作品
- 写楽 第四期 寛政七年(一七九五)の作品
- 写楽の幕を引く
- 「浮世絵類考」執筆の経緯と写楽隠蔽の歴史的展開
- 写楽の仮面をぬいでからその死までの歌麿
- 南畝没後の「浮世絵類考」変遷の問題点と新たな歌麿像の提唱
「BOOKデータベース」 より