ジャーナリズムなき国の、ジャーナリズム論
著者
書誌事項
ジャーナリズムなき国の、ジャーナリズム論
彩流社, 2020.1
- タイトル別名
-
ジャーナリズムなき国のジャーナリズム論
- タイトル読み
-
ジャーナリズム ナキ クニ ノ、ジャーナリズムロン
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注記
池上コラム不掲載事件関連の動き: p204-209
文献あり
内容説明・目次
内容説明
日本の「マスコミ」に、権力の監視など期待できるのか?この国の特異な報道のありようを分析し、その根底にある制度的・構造的な矛盾を浮き彫りにする。日本では「取材の自由」は法的に保障されていない。したがってこの国における「取材」は権力側からの便宜供与に立脚してのみ可能となり、必然的にマスコミは権力の統治機構の一アクターになり果てる。それでも、この国に「ジャーナリズム」を見出すこと、未来に向かってそれを構築することは可能なのか?これまでのメディア論には存在しなかった新しい視座を提示。
目次
- 問題提起 「取材の自由」のない国で、いま起きていること
- 第1部 ジャーナリズム研究という不幸—ないものを、あるかのごとく(イデオロギーとしての取材報道の自由—問題提起をうけて;フェイクの時代に「取材の自由」を論ずる虚無と絶望;「ジャーナリストの自由」の不在が意味するもの;「ジャーナリズム」という日本語のトリセツ—「マスコミ」の消滅はジャーナリズムの消滅を意味しない;日本「マスコミ」はジャーナリズムではない—その虚構と擬制の構造)
- 第2部 ジャーナリストという不幸—非在の職業を生きる悲惨と栄光(記者が総社畜化した時代;人材マネジメントの改革なくして未来はない;「男磨き」の「マスコミ」を離脱、ワセダクロニクルの創刊へ;竜宮城からの脱出)
「BOOKデータベース」 より