苦海・浄土・日本 : 石牟礼道子もだえ神の精神

書誌事項

苦海・浄土・日本 : 石牟礼道子もだえ神の精神

田中優子著

(集英社新書, 1040F)

集英社, 2020.10

タイトル別名

苦海浄土日本 : 石牟礼道子 : もだえ神の精神

タイトル読み

クカイ ジョウド ニホン : イシムレ ミチコ モダエガミ ノ セイシン

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注記

参考文献: p264-266

内容説明・目次

内容説明

水俣病犠牲者たちの苦悶、心象風景と医療カルテなどの記録を織りなして描いた、石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』は類例のない作品として、かつて日本社会に深い衝撃を与えた。だが、『苦海浄土』をはじめとする石牟礼文学の本質は告発だけではない。そこには江戸以前に連なる豊饒な世界と、近代から現代に至る文明の病をも射程に入れた世界が広がる。経済原理優先で犠牲を無視し、人間と郷土を踏みにじる公害、災害。それは国策に伴い繰り返される悲劇である。新型コロナウイルスの蔓延が社会状況を悪化させる中、石牟礼本人との対談、考察を通し世界的文学者の思想に迫る、評伝的文明批評。今は亡き文学者に著者は問い、考える。「石牟礼道子ならどう書いたであろう」と。

目次

  • 序章 石牟礼道子の重層する「二つの世界」(二つの世界;石牟礼道子と「家」;区切りない世界;近代社会と数値;江戸以前の循環型時間概念;鄙と近代の渚で)
  • 第1章 母系の森の中へ(四十数年の想いを託して;石牟礼道子との対談—「近代とは何か、ずーっと考えてきました」;おなごのくせに;おもかさまの哀しみに寄り添う;自殺未遂;高群逸枝との邂逅;母系の森の中へ—古代、女性はリーダーであった;近代的自我とは異なる生命律に身を任せて;「古代の魂」ゆえに)
  • 第2章 闘う共同体(道子が夢想した「新しい共同体」;島原・天草一揆と水俣闘争はつながっている;私たちの春の城はどこにあるのか?;道子は天草四郎の「やつし」;「自分が虫どもに似て来たと思うがのう」;「大切」を知る人々;「もう一つのこの世」の始まり;近代における共同体の喪失;「夢に見るとは、天候のことばかり」)
  • 第3章 もだえ神(悶えてなりとも加勢せんば;「漂浪く」道子の魂;遊行の民として;非人の方法;ひゅんひゅんと移動する神々;日本人に見る「共視」;「境界」を行き来する魂)
  • 第4章 祈るべき天と思えど天の病む(死者と生者をつなぐ文学の役割;水俣の死者たちが再び戻る『不知火』;怨から祈りへ;「死ぬことは死ぬばってん、私どもは死なんもんなあ」;石牟礼道子と話した福島のこと;生まれ変わる力があれば;いのちの声の代弁者として)

「BOOKデータベース」 より

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