日本開国 : アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由
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日本開国 : アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由
(草思社文庫, [わ1-1])
草思社, 2016.6
- タイトル読み
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ニホン カイコク : アメリカ ガ ペリー カンタイ オ ハケン シタ ホントウ ノ リユウ
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シリーズ番号はカバーに記載あり
内容説明・目次
内容説明
1854年、ペリー提督は大艦隊を率いて浦賀に再来航し、その威容をもって日米和親条約を結ぶ。しかし、その後の修好通商条約の締結は“ノンキャリ”領事ハリスただ一人に委ねられた。開国の目的は日本との交易ではなく、中国市場との距離を縮めるべく立案された「太平洋ハイウェイ(シーレーン)」構想が隠されていた—米側の史料をもとに、開国のシナリオを練った中心人物アーロン・パーマーの動向を描きながら、日本に開国を迫ったアメリカの真意を明らかにしていく。本書は、今日にいたるまで一貫するアメリカの対日・対中政策の原型を描き出した「新・開国史」である。
目次
- 幕末知識人のバイブル—一八二七年十一月十八日/京都・鴨川畔
- 家斉の絶頂—一八二八年三月二十八日/江戸・本郷
- 流出する国防情報—一八二八年十二月十六日/長崎
- 運河開削ベンチャーの頓挫—一八二九年十二月七日/ニューヨーク・マンハッタン
- 弁財船漂流—一八三二年十一月三日/鳥羽
- 頼山陽の死と関藤藤陰—一八三二年十一月十九日/京都・鴨川畔
- 宣教師の死—一八三四年八月一日/広州
- 「泳ぐ石油」—一八三五年某日/アラスカ沖シャルウィダンス?—一八三六年六月十二日/マカオ
- 富士は見えたか—一八三七年七月某日/遠州灘〔ほか〕
「BOOKデータベース」 より