ボストン美術館富田幸次郎の50年 : たとえ国賊と呼ばれても

書誌事項

ボストン美術館富田幸次郎の50年 : たとえ国賊と呼ばれても

橘しづゑ著

彩流社, 2022.4

タイトル別名

富田幸次郎研究 : 日米文化交流における役割

ボストン美術館富田幸次郎の五〇年

ボストン美術館富田幸次郎の五十年 : たとえ国賊と呼ばれても

ボストン美術館 : 富田幸次郎の50年 : たとえ国賊と呼ばれても

タイトル読み

ボストン ビジュツカン トミタ コウジロウ ノ 50ネン : タトエ コクゾク ト ヨバレテモ

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注記

博士論文「富田幸次郎研究 : 日米文化交流における役割」を下敷きにしたもの

タイトルは奥付による

富田幸七略年譜: p39-41

富田幸次郎略年譜: p217-230

参考文献: 巻末p19-26

富田幸次郎著作目録: 巻末p27-30

内容説明・目次

内容説明

富田幸次郎(1890〜1976)は東洋美術コレクションで名高いボストン美術館のアジア部長を戦前、戦中、戦後の32年間(1931〜1963)勤めた人物。「岡倉覚三(天心1863〜1913)最後の弟子」と伝えられながらも日本では、その経歴や業績はあまり知られていない謎の人でもある。

目次

  • 第1部 ボストン美術館アジア部キュレーターへの道のり(父、蒔絵師富田幸七—漆の近代を見つめて(一八五四〜一九一〇);幸次郎の生い立ちと米国留学(1890〜1907);ボストン美術館—めぐり合う人々(1908〜1915);目覚め—美術史家として(一九一六〜一九三〇) アーサー・ウエーリと司馬江漢の落款をめぐる論争考)
  • 第2部 富田幸次郎の文化交流—日米戦争のはざまを米国で生きる(祖国に国賊と呼ばれて(一九三一〜一九三五)—『吉備大臣入唐絵詞』の購入;一九三六年「ボストン日本古美術展覧会」の試み(一九三六〜一九四〇)—戦間期における日米文化交流の一事例;太平洋戦争とその後(一九四一〜一九七六))

「BOOKデータベース」 より

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