恐怖と自由 : ジュディス・シュクラーのリベラリズム論と21世紀の民主制
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恐怖と自由 : ジュディス・シュクラーのリベラリズム論と21世紀の民主制
みすず書房, 2024.11
- タイトル別名
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Furcht und Freiheit : für einen anderen Liberalismus
恐怖と自由 : ジュディスシュクラーのリベラリズム論と21世紀の民主制
- タイトル読み
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キョウフ ト ジユウ : ジュディス・シュクラー ノ リベラリズムロン ト 21セイキ ノ ミンシュセイ
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注記
表現種別: テキスト (ncrcontent), 機器種別: 機器不用 (ncrmedia), キャリア種別: 冊子 (ncrcarrier)
原著(Suhrkamp, 2019)の全訳
内容説明・目次
内容説明
これほど多くの人がリベラルを攻撃したがるのはなぜだろう。その攻撃に正当性はあるのだろうか。リベラリズムを打ちのめして生まれる非リベラルな社会は、リベラルな民主制社会より良くなるのだろうか。それは誰にとって、どう良くなるのだろう。執拗な攻撃を受けてリベラルは自己批判を始めたが、それが実を結んでいないのはなぜだろう。―こうした問いにどう答えるかは、リベラリズムをどうとらえるかによる。そこで本書が指針にするのはジュディス・シュクラーである。シュクラーは20世紀の最も重要な政治思想家のひとりであり、本書はその著名な論文「恐怖のリベラリズム」に依拠している。これは、身体的・精神的な残虐さの恐怖に人びとをさらす権力を注視し、そうした恐怖の低減をリベラリズムの礎に置く思想である。一見とても平凡に見えるこの思想がリベラリズムの真価をよく示しているということを、本書は21世紀の今の状況に即してリアルに語っている。「リベラリズムは時代遅れなのか。廃れるべきは、偽りの方程式、偽りの対立、さらに誤った一般化を扱うリベラリズムについての議論である」。巻末には「恐怖のリベラリズム」の全訳を併録した。
目次
- 出発地―自己満足と自虐の狭間から
- 第1章 これは一方通行路なのか?
- 第2章 むち打ち症をわずらう
- 第3章 シュクラーの地図を見る
- 第4章 新しいルートを検索する
- 到着地、ただし目的地ではない
- 「恐怖のリベラリズム」(ジュディス・シュクラー)
「BOOKデータベース」 より