子どもをあらわすということ
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子どもをあらわすということ
北大路書房, 2025.3
- タイトル読み
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コドモ オ アラワス ト イウ コト
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注記
その他の編著者: 三谷大紀, 川田学, 汐見稔幸
その他の著者: 久保健太, 宮武大和, 浅井幸子, 佐藤寛子, 松井剛太
表現種別: テキスト (ncrcontent), 機器種別: 機器不用 (ncrmedia), キャリア種別: 冊子 (ncrcarrier)
収録内容
- 「子どもをあらわす」ことの意味とその方法を考える / 汐見稔幸 著
- 記述することから見えてくる / 青山誠 著
- 「子ども」をあらわすことと「私」をあらわすこと / 川田学 著
- 乳児から見た世界をあらわす / 溝口義朗 著
- 感覚が湧き出ちゃうし、収まっちゃうときの主体性 / 久保健太 著
- 子どもを撮るということ / 宮武大和 著
- ドキュメンテーションにおける写真とは何か / 浅井幸子 著
- 子どもの声が聴こえてくるとき / 佐藤寛子 著
- 「声」からはじまる保育 / 松井剛太 著
- 「子どもをあらわす」ことで見えてくること / 三谷大紀 著
内容説明・目次
内容説明
子どもと生きた時間をそのままあらわしたい。日々の保育のなかで、子どもとともに過ごした記録として、さまざまな方法で「あらわそう」と試みる。しかし、うまく「あらわせ」なかったり、あらわそうとした瞬間に、何か大事なものがこぼれ落ちてしまうような感覚に悩まされたりもする。それでも、あらわさずにはいられない…。
目次
- 序章 「子どもをあらわす」ことの意味とその方法を考える
- 第1章 記述することから見えてくる
- 第2章 「子ども」をあらわすことと「私」をあらわすこと―保育における観察と記録の一論点について
- 第3章 乳児から見た世界をあらわす
- 第4章 感覚が湧き出ちゃうし、収まっちゃうときの主体性―保育者と語る中動態と主体性
- 第5章 子どもを撮るということ
- 第6章 ドキュメンテーションにおける写真とは何か―子どもをあらわす、子どもがあらわす、子どもとあらわす
- 第7章 子どもの声が聴こえてくるとき
- 第8章 「声」からはじまる保育―あらわれる子どもと私の関係のなかで
- 終章 「子どもをあらわす」ことで見えてくること
「BOOKデータベース」 より