越境する知としての西田哲学
著者
書誌事項
越境する知としての西田哲学
京都大学学術出版会, 2025.12
- タイトル別名
-
西田哲学 : 越境する知としての
- タイトル読み
-
エッキョウ スル チ トシテノ ニシダ テツガク
大学図書館所蔵 件 / 全36件
-
該当する所蔵館はありません
- すべての絞り込み条件を解除する
この図書・雑誌をさがす
注記
表現種別: テキスト (ncrcontent), 機器種別: 機器不用 (ncrmedia), キャリア種別: 冊子 (ncrcarrier)
参考文献あり
内容説明・目次
内容説明
戦後間もなくの西田哲学研究は、西田の直弟子たちを中心に、宗教哲学に定位したものが主流であったが、没後50年の1995年頃から領域的にも西田自身が取り組んだ科学哲学や芸術哲学、政治哲学や歴史哲学などへと広がりを見せてきた。本書はそのような成果を踏まえつつ、「越境する知」という枠組みのもと、新たな視座を設定し、新資料をも活用することで、現代社会や伝統をめぐる種々の主題を照らし出し、西田哲学の今日的意義と射程を考える。3本のコラムも掲載。
目次
- 第一部 越境する知としての西田哲学(精神病理学と哲学のあいだ―西田幾多郎と木村敏;西田哲学の視座でエンドオブライフケアを考える―終末期ケアのパラダイム転換を辿りながら;AI西田幾多郎について;西田の場所論とAI、メディア;居合道における「永遠の今の自己限定」;自覚は瞬間的なのか―身体技術の稽古に取材する;惨劇の遺族を取材する意味―西田哲学を通して考える)
- 第二部 マルチダイナミクスとしての西田哲学(実践の原理としての行為的直観;歴史的生命とは何か;物来って何を照らすか?―西田哲学と「物」の現在;西田幾多郎の意味理論;西田幾多郎と左右田喜一郎―「極限概念」を軸にして;悪とニヒリズムと宗教的なもの―西田幾多郎と西谷啓治のドストエフスキー解釈;東アジア哲学における二つの形而上学―西田幾多郎の「実在」と熊十力の「本体」について;西田幾多郎新資料研究の現在)
「BOOKデータベース」 より
