教師のためのからだとことば考
著者
書誌事項
教師のためのからだとことば考
(ちくま学芸文庫)
筑摩書房, 1999.1
- タイトル別名
-
からだが語ることば
ドラマとしての授業
- タイトル読み
-
キョウシ ノ タメ ノ カラダ ト コトバコウ
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注記
本書は「からだが語ることば」(評論社, 1982年4月刊)と「ドラマとしての授業」(評論社, 1983年12月刊)に数篇を加え, 新たに編み直したもの
内容説明・目次
内容説明
いま子どもたちのからだは追いつめられている。演出家として演劇創造・療育に長くかかわり共に生きるための「人間関係としての授業」を追求し続けてきた著者による教師論。どのように声を届かせるか、三角座りがいかに拘束するか、また学級崩壊、不登校…いま教師と教育が抱える問題を生の「からだ」と「ことば」から考える待望の書。
目次
- はじめに(むかつく少年—近代身心二元論終焉の風景;からだの反乱・1982年)
- からだが語ることば
- 人が人へ話しかけるということ
- 人が人に働きかけるということ
- ひとりひとりを「生かす」というコトバ
- 学校という建物はだれのためにあるか?
- からだは常に語っている
- からだを「見取る」こと
- 断章一つ(「からだから見た教育」より)
- 表現への出発
- 対談・働きかけとしてのことば
- おわりに(スタート台の手前・1998年;他者に出会うということ—この15年)
「BOOKデータベース」 より