オッカム『七巻本自由討論集』註解

書誌事項

オッカム『七巻本自由討論集』註解

[オッカム著] ; 渋谷克美訳註 ; 協力者周藤多紀

知泉書館, 2007.5-

  • 1
  • 2
  • 3

タイトル別名

Guillelmi de Ockham Quodlibeta septem

Quodlibeta septem

オッカム七巻本自由討論集註解

タイトル読み

オッカム 『シチカンボン ジユウ トウロンシュウ』 チュウカイ

大学図書館所蔵 件 / 51

注記

参考文献: 1: p[255]-258

参考文献: 2: p[228]-231

参考文献: 3: p[213]-216

内容説明・目次

巻冊次

1 ISBN 9784862850102

内容説明

『七巻本自由討論集』に収録されている議論は、オッカムがロンドンに滞在していた間、フランシスコ会の学院で行なわれた討論に基づく。第1巻は1322年の秋、実際に行なわれた討論に基づくと推定される。神に関する問い、天使に関する問い、「線は点から構成されているか」という自然学的な問い、人間の魂や魂の活動である認識や意志に関する問い、神学的な問い、倫理的な問いが議論されている。

目次

  • 自然本性的理性(ratio naturalis)によって、ただ一つの神のみが存在することは証明されることができるか
  • 神の本質と関係は実在の側において(ex natura rei)相違するか
  • 御父性は、御父と相違するか
  • 天使は実態に即して場所においてあるか
  • 天使は場所的に運動することが可能であるか
  • 或る天使は他の天使に語るか
  • 或る天使は、所有態において(habitualiter)認識している対象についての現実態における知識(notitia actualis)を、同じ対象についての現実態における自らの内に生じさせることなしに、他の天使の内に生じさせることは可能であるか
  • 天使が真空空間を通過して動くことは可能であるか
  • 線は点から構成されているか
  • 知性的魂が身体の形相であることは論証されることができるか
  • 「すべての人間に、数的にただ一つの知性が存在することはない」ということは、明証的に証明されることができるか
  • 知性的魂はそれ全体が身体全体の内に存在し、かつ身体のどの部分においても全体として存在するか
  • 認識の生成の始めにおいて、知性によって第一に認識されるものは個物であるか
  • 我々の知性は現世の生の状態において、自らの活動を直知認識するか
  • 我々の知性は現世の生の状態において、可感的な事物を直知認識するか
  • 意志が作動因として自由に自らの活動を生じさせるということは、充分に証明されることができるか
  • 物事において偶然(casus)や偶運(fortuna)を保持するために、意志が自由であることを措定すべきであるか
  • 徳や知識は他から独立して存在する性質(qualitas absoluta)であるか
  • 霊は煉獄の火によって罰を受けるか
  • 外に表われた行為(actus exterior)はそれ自身に固有な道徳的善や悪を持つか
巻冊次

3 ISBN 9784862850393

内容説明

『大論理学』の後に書かれたもう一つの主著である『七巻本自由討論集』の全訳註解。1巻ずつ全体を7冊に分冊して刊行する。『大論理学』訳註の達成を踏まえ、論理学から存在論、自然学、認識論、倫理学、神学にわたるオッカム思想の全貌を見通せる本書の註解に挑む。原典はオッカムに対するさまざまな批判に応える形で展開されるが、当の批判者の言説は紹介されておらず、本文を読むかぎりでは正確な理解は困難である。註解者はその議論の相手を特定しその説を詳細に調べ、注のなかでその原文を示すとともに、議論全体の文脈を丁寧に解説することにより、オッカムの真意が理解できるよう工夫した。なお、全巻目次とともに各テーマがどの巻に掲載されているかを一覧できる内容目次を付した。本書の本格的な訳註をとおして、中世から近世への思想的転換の実態が一層明確になるであろう。

目次

  • 神が万物を知性認識し、万物の直接的作動因であると仮定する場合、このことによって、神が内包的に無限なちから(infinita virtus intensive)を有することが論証されることができるか
  • 神の諸属性は概念において区別されるか
  • 神の本質が、或る属性の特質のもとで、神における生みを引き起こす根源であるのか
  • 神は自己以外のすべてのものの作動因であるか
  • 諸元素は混合物体の内に存続するのか
  • 動物の身体の諸器官の部分、例えば肉や骨の形相は種において異なるのか
  • 一人の信仰者の知性の内に、数においてただ一つの信仰のみが存在するのか
  • すべての判断する活動(actus assentiendi)は複合されたもの(精神の中の命題)を対象として持つのか、あるいは非複合的なもの(外界の事物)を対象として持つのか
  • 希望(spes)は、信仰(fides)や神への愛(caritas)から区別された徳であるか
  • 聖なる処女マリアが原罪のうちにただ一瞬の間留まったということはありえたか〔ほか〕

「BOOKデータベース」 より

詳細情報

ページトップへ