敗者は映像をもたず
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敗者は映像をもたず
(大島渚著作集 / 大島渚著 ; 四方田犬彦, 平沢剛編, 第2巻)
現代思潮新社, 2008.11
- タイトル別名
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Oshima Nagisa
- タイトル読み
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ハイシャ ワ エイゾウ オ モタズ
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注記
解説: 四方田犬彦, 宮田仁
収録内容
- 明後日の作家から : 主として批評家に
- 「眠れる獅子--松竹大船」を批判する
- 絶えざる自己否定の上に : 新しい作家の態度
- "ヌーベルバーグ"撲滅論
- 過渡期の日本映画とわれわれの立場
- 金嬉老と私たちの八八時間
- 『松川事件』とその周辺の問題
- 方法だけを論ずる者は頽廃する
- "私的"創造行為への侵害
- 私にとって記録とは何か
- 韓国国土は引き裂かれたが
- テレビの出現
- 映像と現実のバングラデシュ
- 人はなぜ外国映画を日本映画より
- 敗者は映像を持たない
- 東宝争議への疑問
- 映画にとって戦争とは何か : 田坂具隆
- 日本映画の描いた戦争
- 「作家」が語るとき / 宮田仁 [著]
内容説明・目次
内容説明
終戦の玉音放送を読む天皇を、どうして映画に撮っておかなかったのか…。映像と歴史、映画と政治、文化に内在する政治をめぐって格闘する、映像思想家の冴え渡る洞察の数々。
目次
- 明後日の作家から—主として批評家に
- 「眠れる獅子—松竹大船」を批判する
- 絶えざる自己否定の上に—新しい作家の態度
- “ヌーベルバーグ”撲滅論
- 過渡期の日本映画とわれわれの立場
- 金嬉老と私たちの八八時間
- 『松川事件』とその周辺の問題
- 方法だけを論ずる者は頽廃する
- “私的”創造行為への侵害
- 私にとって記録とは何か
- 韓国 国土は引き裂かれたか
- テレビの出現
- 映像と現実のバングラデシュ
- 人はなぜ外国映画を日本映画より
- 敗者は映像を持たない
- 東宝争議への疑問
- 映画にとって戦争とは何か 田坂具隆
- 日本映画の描いた戦争
「BOOKデータベース」 より