往復書簡学校を語りなおす : 「学び、遊び、逸れていく」ために
著者
書誌事項
往復書簡学校を語りなおす : 「学び、遊び、逸れていく」ために
新曜社, 2009.9
- タイトル別名
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往復書簡・学校を語りなおす : 「学び、遊び、逸れていく」ために
学校を語りなおす : 学び遊び逸れていくために : 往復書簡
- タイトル読み
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オウフク ショカン ガッコウ オ カタリナオス : マナビ アソビ ソレテイク タメ ニ
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注記
「学校を語りなおす」ためのブックガイド: p238-243
内容説明・目次
内容説明
「学校」って何なのだろう?—少し視点をズラしてみれば、「学校」はもっとおもしろくなる。
目次
- 0 いかに「学び、遊び、逸れていく」か—実践のためのアイディアを探る(「学校」というどうしようもなく存在する枠組みの中で、いかに「学び、遊び、逸れていく」か;学校にいる子どもたちが、いかに学校を語りなおすことができるか、そこに鍵があるように感じます)
- 1 まずは「学校を疑ってみる」—学校観の脱構築をめざして(私たちは「社会的現実」の中で生きており、その中にどっぷりはまって、それがあることにすら気づかない;小学校五年生に「オレらって学力低下なんでしょ?」と言われたことがあります ほか)
- 2 学校において「つながる」ということ—もし学校に「カフェ」があったら(「学校」=勉強するところ、という固定的なイメージは、むしろ子どもたちのほうが強く抱いてしまっているのです;「自由」の獲得には長い時間と努力を要しますが、それを壊して「管理」を進めるのは、案外一瞬でできるのかもしれません ほか)
- 3 子どもと大人の「心と身体」を語りなおす—「心のノート」をめぐる問題(「心を育む」という課題について子どもだけを対象に考えること自体、そもそもナンセンスなのです;子どもたちが「いいこと書いてるなぁ」なんて感心したくなるようなときがあったら、そんなときこそ要注意なのかも ほか)
- 4 フィクションとしての「学校」—学校にとらわれず、学校という場でどう生きるか(「いじめ」のような問題も、文化交流・他者理解という視点で実践的に捉えていくことも必要でしょう;「異なる他者と出会うことで、自分を知ることができる」という話、最近学生たちによくしています ほか)
「BOOKデータベース」 より