近代日本と「日の名残り」 : 二葉亭・鴎外・漱石・荷風の軌跡と錯綜
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近代日本と「日の名残り」 : 二葉亭・鴎外・漱石・荷風の軌跡と錯綜
郁朋社, 2011.10
- タイトル読み
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キンダイ ニホン ト ヒ ノ ナゴリ : フタバテイ オウガイ ソウセキ カフウ ノ キセキ ト サクソウ
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注記
主なテキストおよび参考文献:p317-320
内容説明・目次
内容説明
鴎外描く安井夫人佐代はひたむきに夫の息軒を愛して居り、夫を敬し仕える事だけが生き甲斐だった。その息軒は「攘夷封港論をした」り、「藩政が気に入らぬので辞職した」りしたが佐代自身が「辺務」即ち国家国防のあるべき姿などを決して談じる事はなかった。それは佐代が世情に関心を持たぬ「愚か」であった故なのか。抑、「世情に明るい事」が「賢者」の証なのか。同じように漱石は「坊っちゃん」を書いて、その中で「近代思想」とは無縁の「封建時代の主従」のような関係を主人公と彼に対して無私滅私の忠義を尽くす「清」に据えた。カズオ・イシグロの名作「日の名残り」のダーリントン卿に対する執事スティーブンスの忠誠心を対比しつつ近代思想が齎らした「賢愚」の意味を探る。
目次
- カズオ・イシグロ論—「老耄した過去」の救済と「日の名残り」
- 鴎外と漱石—昧者としての津下四郎左衛門と白井道也
- 心頭姑く用と無用とを度外に置けず—二葉亭四迷論 近代政治主義と和魂
- 「ふらんす物語」と幕末遣米使節—醜業婦アアマとパナマ運河建設
- 鴎荘主人と執事スティーブンス—森鴎外、ロイヤリティと見切りの思想
- 「非人情の天地」の逍遙者—隠者達の「別乾坤」憧憬
「BOOKデータベース」 より