樺太が宝の島と呼ばれていたころ : 海を渡った出稼ぎ日本人
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書誌事項
樺太が宝の島と呼ばれていたころ : 海を渡った出稼ぎ日本人
(SQ選書, 08)
社会評論社, 2015.11
- タイトル別名
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樺太(サハリン)が宝の島と呼ばれていたころ : 海を渡った出稼ぎ日本人
樺太が宝の島と呼ばれていたころ : 海を渡った出稼ぎ日本人
- タイトル読み
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サハリン ガ タカラ ノ シマ ト ヨバレテ イタ コロ : ウミ オ ワタッタ デカセギ ニホンジン
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注記
参考文献: p246-248
内容説明・目次
内容説明
現在のロシアによって開発が進められているサハリンは、かつて日露戦争後、北緯50度以南が日本の領土「樺太」になった。「宝の島」とも「夢の島」とも呼ばれ、日本の財閥系企業が中心になって開発をすすめた樺太。北海道や東北の貧農や失業者が仕事を求めるなか、漁業や林業への出稼ぎが最も多かった。また、日韓併合以後に強制連行された朝鮮人も多く樺太に渡ったが、大半は炭鉱で働かされた。しかし、そうした人びとについての資料や記録は現在ほとんど残されていない。海を渡り極寒の地で生きた出稼ぎ日本人18人への聞き書きを通じ、近代日本の民衆史を掘り起こす。
目次
- 「宝の島」樺太(サハリン)の歴史
- 聞き書き1—樺太の林業(下請けの仕事もして—三浦憲治;凍った酒を切って売る—藤田与五郎;極寒の山で働く—松橋清左エ門;死人は雪に埋めて—佐々木計助;喧嘩とバクチの中で—金野留五郎;女のジャコと働く—安部金助;ロウソクの飯場暮らし—伊藤勝治郎;樺太まで片道一週間—鈴木金作)
- 聞き書き2—樺太の漁業(ニシンの大半は肥料に—中塚源吉;樺太で漁師に嫁ぐ—青山テツ;ニシンの来る音—三浦利七;樺太で三〇年も働く—菅原安蔵;樺太は魚の宝庫—三浦勝太郎;裸一つでニシン漁に—江戸八十八;寝ないで働くニシン漁—笠原市蔵)
- 聞き書き3—樺太に育ち、引揚げて(看護師として働く—鈴木シヨ;一歳で両親と樺太へ—鎌田ナミ;樺太に生まれる—金弘)
「BOOKデータベース」 より