過剰可視化社会 : 「見えすぎる」時代をどう生きるか
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書誌事項
過剰可視化社会 : 「見えすぎる」時代をどう生きるか
(PHP新書, 1307)
PHP研究所, 2022.5
- タイトル別名
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過剰可視化社会 : 見えすぎる時代をどう生きるか
- タイトル読み
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カジョウ カシカ シャカイ : 「ミエスギル」ジダイ オ ドウ イキルカ
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内容説明・目次
内容説明
目に見えないウイルスの感染者数が日々「可視化」されたコロナ禍の後に残ったのは、一人では安心感を得られず、周囲にも疑いの目を向けあう日本人の姿だった。SNSで自らプライバシーを発信し、政治信条や病気・障害までを社会に公開しても、最後は安易なルッキズム(見た目偏重)ばかりが横行する「すべてが見えてしまう社会」を、どう生き抜くのか?歴史学者から評論家に転じた著者が、臨床心理士の東畑開人氏、哲学者/作家の千葉雅也氏、文化人類学者の磯野真穂氏と白熱した議論を交わし、人文学の方法論の壁を超えて「見えない信頼」を取り戻す方法を提言する!
目次
- 第1章 社会編—日本を壊した2010年代の「視覚偏重」(ベンヤミンが描いた「ルッキズムの近代史」;コロナ危機は「実体なきシミュラークル」だったのか? ほか)
- 第2章 個人編—「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう(キラキラしたダイバーシティの空疎さ;ルッキズムを使った「LGBT擁護」は新しくない ほか)
- 第3章 「見える化」された心と消えない孤独—心理学との対話 東畑開人×與那覇潤(心理学は「平成の勝ち組」で歴史学は「負け組」だった?;歴史にもカウンセリングにも「物語」が不可欠 ほか)
- 第4章 「新たなるノーマル主義」を超克せよ—哲学/文学との対話 千葉雅也×與那覇潤(すべてを「啓蒙」し尽くすことはできない;ファクトよりも先に「品位」を問うべき ほか)
- 第5章 健康な「不可視の信頼」を取り戻すために—人類学との対話 磯野真穂×與那覇潤(「弱者に寄り添う」人文学者はなぜ沈黙したか;科学が進歩しても、人間の根本は変わらない ほか)
「BOOKデータベース」 より