日露領土紛争の根源
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日露領土紛争の根源
草思社, 2003.5
- タイトル読み
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ニチロ リョウド フンソウ ノ コンゲン
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注記
主な引用・参照文献: p331-334
内容説明・目次
内容説明
樺太(サハリン)の南半分は日露戦争の結果ロシアから日本に割譲され、第二次大戦の結果、ソ連に返還されたということになっている。しかし、これは理に叶ったことなのか。敗戦によって樺太から引き揚げてきた著者は早稲田の露文科に学び、さらに日ソ貿易の商社に勤務しながら、著者の心は晴れることがなかった。チェーホフの、いま流にいえばノンフィクション作品の傑作『サハリン島』にある「サハリンの処女探検の権利は疑いもなく日本人に属し、日本人が最初に南サハリンを領有したのである」という記述が心にひっかかっていたからである。ところが、著者はついに発見したのだった。一九世紀の半ば、ロシアは早くもシーボルトの『日本』を改竄することによって樺太領有への触手をのばしていたことを。
目次
- 1 シーボルト『日本』露訳の改竄
- 2 チェーホフ『サハリン島』における抵抗
- 3 日本領事久世との邂逅、そして日露戦争
- 4 エンゲルス「ロシア・ツァーリズムの対外政策」
- 5 キリチェンコの抑留批判とスラヴィンスキーの中立条約侵犯批判
- 6 日本の戦勝はロシア革命を支援した—ポクロフスキー『ロシア史』から
- 7 スターリンによる歴史の歪曲
- 8 現代サハリン史学界の動向—ヴィソーコフの新説
- 9 レーニンの真正な日露戦争観—大江志乃夫と和田春樹の誤り
- 10 わが結語
- 追記—サンクト・ペテルブルグとヤルタから帰って
「BOOKデータベース」 より