存在と時間
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書誌事項
存在と時間
(哲学探究 / 永井均著, 1)
文藝春秋, 2016.3
- タイトル別名
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存在と時間 : 哲学探究
- タイトル読み
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ソンザイ ト ジカン
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内容説明・目次
内容説明
“私”と“今”は実在しない。この人だけが私で他の人たちが私でないのはなぜか。すべての人間に意識があるのに、現実に感じられる意識が一つしかないのはなぜか。一つはあるのはなぜか。無限の時間の中で、なぜここが、そしてここだけが“今”なのか。存在と時間の深遠を問う哲学的冒険!
目次
- 第1部 世界はなぜのっぺりしていないのか(私は何を問いたいのか—無内包の現実性;私は何を問いたいのか—中島義道氏の解釈との対比;私が安倍晋三になってもなったという変化は起きない;繋がりの仕組みによる“私”や“今”と、むきだしの“私”や“今”;「私である」ことが成立するための異なる二つの基準;“私”の分裂からカントの超越論的統覚・サルトルの前反省的自己意識をへてヴィパッサナー瞑想からアブラハム的一神教へ;繋がりの原理と語りの原理—二種のカント原理;「語りの原理」の根幹にある世界把握;哲学とは何か—「可能性」のタウマゼイン語法)
- 第2部 時間的なのっぺりしていなさの特殊性—マクタガートの議論を中心にして(極限の貧しさと極限の豊かさ—ヘーゲル『精神現象学』の冒頭部について;マクタガートのA系列とB系列とは本当はどういう分類なのか;時間の矛盾を人称や様相と同型である側面において考察する;マクタガート化されたデカルトをへて認識論的問題設定を退け、「正数と負数」と「加法と減法」の対比によって時間を考える;“端的な現在vs.動く現在”vs.“現実の現在vs.可能な現在”;B系列こそが時間の動性の表現である;現実の動く現在;“私”と“今”の違いを語りの原理と繋がりの原理の対比から考える;ただ不思議なことがありありと与えられているだけ)
「BOOKデータベース」 より
