一百四十五箇条問答 : 法然が教えるはじめての仏教
著者
書誌事項
一百四十五箇条問答 : 法然が教えるはじめての仏教
(ちくま学芸文庫, [ホ14-2])
筑摩書房, 2017.7
- タイトル読み
-
イッピャクシジュウゴカジョウ モンドウ : ホウネン ガ オシエル ハジメテ ノ ブッキョウ
電子リソースにアクセスする 全1件
大学図書館所蔵 件 / 全86件
-
該当する所蔵館はありません
- すべての絞り込み条件を解除する
この図書・雑誌をさがす
注記
シリーズ番号はブックジャケットによる
月刊「在家仏教」連載の「心月輪」(718-775号)を加筆修正の上、文庫化したもの
ページ付けが「319p」のものもあり
内容説明・目次
内容説明
法然が登場する以前、仏教は驚くことに、一部のエリートのためだけに存在する宗教だった。漢文で書かれた難解な経典が読めること、日常生活を気にせず修行に打ち込めること、が条件だったからだ。しかし実際に苦しみ、救済を必要としたのは、文字も読めない市井の人びとに他ならない。そこで法然は、誰でも、いつでも、どこでも実践可能な「念仏」を柱とする浄土宗を打ち立てた。この『一百四十五箇条問答』は、法然の教えに惹かれながらも、従来の仏教との違いに戸惑ったり、生活を改めなければならないのかと不安に思った人びとの145の疑問に、法然がやさしく答えたもの。浄土仏教や法然その人を理解するための、またとない入門書となっている。
目次
- 古き堂塔を、供養し候べきか
- 開眼と供養とは一つ事にて候か
- 『真如観』はし候べき事にて候か
- これは理観とて叶わぬ事にて候
- 七仏の名号にて、罪は失せ候べきか
- 師の事は疎かならず候
- 心よく直り候わずとも、念仏ばかりにて浄土へは参り候べきか
- 陀羅尼は潅頂の僧に受け候べきか
- 仏の母を念ずべしと申し候は
- 赤子の不浄苦しからず〔ほか〕
「BOOKデータベース」 より