大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗
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大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗
(中公文庫, [S-15-10] . 完訳フロイス日本史||カンヤク フロイス ニホンシ ; 10 . 大村純忠・有馬晴信篇||オオムラ スミタダ アリマ ハルノブ ヘン ; 2)
中央公論新社, 2000.10
- タイトル別名
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大村竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗
- タイトル読み
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オオムラ リュウゾウジ ノ タタカイ ト アリマ ハルノブ ノ カイシュウ
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内容説明・目次
内容説明
有馬晴信(鎮純)を始めとする西国諸侯の改宗が相次ぐなか、竜造寺隆信は大村純忠を大村城から追放し、キリシタン宗門を掌握する。竜造寺軍は更に有馬晴信の島原に侵攻。有馬軍は、家久率いる島津軍の援けをえて、宗門の命運を賭し竜造寺軍と戦い、敵将隆信を敗死させる。毎日出版文化賞、菊池寛賞受賞。
目次
- ドン・バルトロメウ(大村純忠)が、伊佐早に対して既述の勝利を博した後、全家臣と仏僧らを改宗させようと決意した次第
- ベルショール・デ・フィゲイレド師が五島の島々を訪ね、ついで博多の市に居を定めるために派遣された次第、およびかの筑前国からもたらされた成果について
- 肥前国高来の屋形義貞ドン・アンデレの改宗、およびこの人物の性格について
- さらに有馬で生じたこと、およびドン・アンデレ夫人の改宗について
- ドン・アンデレの逝去と、当時の高来の布教の不幸な状態について、また有馬教会の最後、ならびに有馬の主要な十字架を切り倒した二人の男の身に生じた災厄について
- 平戸で生じたことについて
- 当(一五)七七年に到着したイエズス会員について、ならびにフランシスコ・カブラル師が彼らに指示した次第、およびもたらされた成果について
- ドン・アンデレの逝去のために崩壊したキリシタン宗団が、ふたたび回復し再興された次第
- 我らの主なるデウスが、シナから日本に来た司祭や修道士たちを救い給うた異常で奇跡的な大嵐について
- 日本人修道士ダミアンの死去について〔ほか〕
「BOOKデータベース」 より